第9章 真白の相違点
第30話 末期の水
最奥の扉を開くと部屋の中央には八重が立っている。その八重は俺に背中を向けホロモニタに映された映像を見ていた。
「支影を支配下に置いたのは組織の持ち得る裏の権力によって首相謁見の場を用意するため。その場でこの半年で集めた法律改正の署名を手渡し、それを全国配信したことでオレの目的は達成された」
映像にはまさに今、朽名絵花が首相に書類を手渡している瞬間だった。
「真に改正されるかは分からない。だが、それも人の選択。それこそが、オレが求めた自由選択社会。そして、たった今、オレはアコニトムとは無縁になった。組織はオレを切り離した」
映像のテロップにはこれまでの犯罪まがいの行いを強要した八重日を追放、と書かれている。画面には国会議事堂周辺に集まるアコニトム、いや、八重日の思想に賛同する多くの人々が集まっている様子が映し出されている。
「既に国民の意識には『自由』への渇望が根差している。それがあの署名だ。これほど大々的に打ち出せば大きな力に握りつぶされることもないだろう。オレは、決して朽ちることのない意識の花の種を蒔き、咲かせた。それがオレのなすべきこと。オレの生きる意味。たった今、このときをもって──完遂した」
感慨深く結び八重は俺へと振り向いた。
「オレの生きる意味は達成された。そんなオレが今ここに立つ理由はたった一つ。お前との約束を果たし、戦うことだ。仁科」
「ああ、約束を果たすときだ。俺は意味を見つけた。だからお前と決着を──」
ザシュッ──
言葉を遮って、俺と八重のちょうど中間の壁が斬り破られた。
「その言葉、真実ならばワタクシにもアナタと戦う権利があると思うのですが、仁科澪?」
思わぬタイミングでの斬撃魔の登場に二人とも即座に光を放って迎撃態勢を取る。
その百々香に移した視線。その視界に百々香の手に握られたボールのようなものを見て、俺たちは絶句した。
女の生首。彼女は彼の姉。彼女は俺の師匠。
彼女とは如月弥生。その生首が髪を無造作に掴まれた状態で鬼の手に握られていた。斬られた首の断面からはポトポトと血が落ちている。
鬼は無言の絶望に気付きゆらゆらと振り子のようにそれを揺らした。
「これですか? 脱獄の際、黒い彼とのもう一つの約束だったもので」
百々香は弥生の頭をそっと床に置いた。
「貴様ァッ!!!!!」
吼え、飛びかかろうとする弟・八重日に対して真っ先に俺が光を放つ。
「ダメだ、八重!」
俺が放った輝気は『心に邪念がなく、落ち着き払った状態』にする技【明鏡止水】。
それにより、八重は強制的に冷静になり、飛びかかるのをとどまった。
技をかけられた八重が見たのは自分。鏡に写った憤怒・憎悪・殺意を抱いた醜い自分。その鏡面に水が一滴、ぽつんと落ち、波紋を広げて不愉快な自分を消し去った。そこで意識が現実に引き戻される。
その瞬間──
ゴォオオオ!!!!! と押し寄せる凍気のように重く鋭く冷たい圧を持った白い光が放たれた。それに思わず、俺も百々香も飛び退く。その発生源はもちろん八重だ。
悟る。彼が弥生の死によって自分と同じ境地──神の域に達したことを。
これまでアイスブルーだった八重の光は氷ではなく、雪のような白く白く真白な色へと変化している。しかし、その白はどこまでも温かく包むような俺の白さとは全く逆の、どこまでも冷たく突き刺すような白さだった。
神域に入って得るものは莫大な光量と優先度。それは八重もおそらく同様だろう。
百々香は八重の覚醒に待ってましたとでも言うように凶悪な笑みを浮かべている。
「アイツとは激情のままに戦ったらダメだ。呑まれてしまうぞ」
俺の言葉にも怒りが孕まれている。百々香に対しての怒りが──。
これまではずっと対極だった。相反する磁石のN極とS極のように正反対だった。そんな俺たちが今、同一の目的を持ち、立ち向かおうとしている。
「すまない」とぽつり一言謝ってから、八重も目の前の仇敵を真っ直ぐ見る。
「行くぞ、八重!」
「遅れるなよ、仁科!」
同時に水と氷を展開し、一斉に同じ目標に向かって飛び出した。
最初に攻撃を仕掛けたのは八重。無数の氷弾を撃ち放つ。その弾撃に対し、百々香は斬撃をもって全てを斬り落とす。優先度は物理操作には関係ないのは分かっている。
そのやりとりの間に背後を取った俺のオーバーヘッドキックが百々香の脳天を捉える。寸前、百々香の後頭部から斬撃が迎え撃ってくる。それを回避するため打ち込んだ脚を水にする。そのため蹴りは無力となってダメージを与えられない。そのままでは終わらない。澪は脚の水でそのまま百々香の頭部を覆う。
これを抜ける術を百々香は持たない。
俺が高をくくった間際、水から百々香が脱出し、俺の本体に斬撃を飛ばしてくる。
「──!?」
今度は全身を水にして回避し、百々香の間合いから後退する。
百々香は自身の窮地を斬り抜けたのだ。それは【斬撃】という輝気を極限まで斬り詰めた輝技。
自分や俺を対象とした輝気は優先度の影響を受けるが、場や状況に対するものはその範疇ではない。だからゆらによる時間の巻き戻しは影響し、俺の位置を元に戻した。しかし、その事実を俺も八重も見抜けない。
ただ敵がこちらの攻撃を脱したという事実が俺の恐怖となって襲った。百々香は推定星域。それが神域の攻撃を抜けた? まさか──いや、俺は神域の優先度についてちゃんと理解してるわけじゃない。でも──。
百々香の戦力は羽場には及ばないと聞いていた俺。それは誤りではなかった。彼が羽場と戦うまでは。楽園で経験を積みより強くなった羽場との戦いを経て、その斬り裂き鬼は星域こそ脱さないがもう一段上の強さへと至ってしまった。だからこそ、如月弥生を圧倒し、ここへ乗り込んでこれた。通常の斬撃も斬れ味を増している。
「カ──ッ!!!」
これまで見せなかった鬼気迫る本気の殺気を込めた慟哭のような声と共に発せられる鉄臭さが滲む血色の光が俺を一歩後ずさりさせる。
──終輝がくる。
概念すら斬る圧倒的な斬撃の輝気。その最大の技を予想して怯んでしまう。これまで、そんなことはなかった。逆に、自らの命が失われることを惜しいとすら思ったこともなかった。だけど俺は生きる意味を見つけてしまった。人を、ゆらを愛してしまった。それが初めて自分の命を大切にすることに繋がる。死にたくない、と。
それが無意識な精神的防衛となって一歩退く。それは初めて百々香に襲われたときとは真逆の反応。
だが、八重は違った。彼にはもう思い残すことはない。強いて言えば、仁科澪との対戦だけ。今、八重を突き動かしているものは間違いなく、姉の仇を討つという意志だ。俺とは真逆の行動となってそれは表れる。
俺と入れ替わるように前に出た八重は身が芯から凍てつくような真白色の光を放った。
「終輝──」
それは俺に伝えるための、LOSで叩き込まれた号令。対する百々香は金斬り声で技名を叫び、二人が同時に終わりの輝気を放った。
「【氷に鏤め水に描く】」
その意、無駄な努力。対象の存在を無にする終輝。
「【
対象の存在を斬る終輝。この世界に存在したという事実を世界から斬り取り、世界線を対象の存在がいなかった世界線へと変動させる。
ザシュッ──ガチコチ──という斬音と凍結音が同時に響き、俺の目の前から八重が消え去った。
「八重ッ──!!!」
思わず出た俺の叫び、だが叫びながら矛盾を感じる。八重が斬られた? 優先度はどうなってんだ。
百々香も違和感を感じていた。【在斬】は存在を斬り落とし、それまでの『この世界にいた』という記録・記憶のない世界に切り替わる。今回ならば、八重日が生まれなかった世界線にシフトするはずである。しかし、斬り落としたあと俺が八重の名を呼んだ。それは【在斬】が失敗したという事実。百々香はそれを悟る。
これは神域の優先度によるものではないが、たしかに百々香の終輝は失敗していた。それは対象が八重日だったからという一点において。
現在進行形でアコニトムによる自由選択社会への道は切り拓かれている。その先導者は八重だ。この半年、いや、ずっと昔から、世の中を騒がせ、世の中を変えるに至った彼の影響力は大きすぎた。八重の存在は大きすぎた。
つまり、百々香の光量では存在を消すには足りず、彼の肉体を世界から斬り離すにとどまった。もし澪が受けていたら、存在は消滅し、消え去っていたのだが、理解する者はいない。
叫ぶ俺に思考を巡らせる暇を与えず、斬撃による斬音が響く。迎え撃って反撃。
手足を切り落とそうと繰り出した水の斬撃は再び輝いた窮地を斬り抜ける輝気によって回避された。そこは百々香の間合い。水を展開せず俺は輝技を発動前に斬られ使えなくなる。ここまでやればさすがに分かる。優先度は同じ対象にかけるときだけだ。自分では技の発動に技はかけられない。だから斬られる。俺は百々香の間合いから抜け出れない!
遂に巡りきた俺を殺すチャンス。その至上の歓びに忽忽と殺意だけを血走らせた鬼が斬撃を走らせる──。
「甘いぞ、仁科」
その必殺の斬撃は俺に届く前に凍りつき届かなかった。
先に響いたその声に付随するように氷が出現し、それが人形を成して、人となった。
八重が自力で現実に復帰した。命の危機を回避したことと八重の再出現に俺は安堵するも八重の次の攻撃で息を飲んだ。
「死ね、百々香」
鬼に向かって右手をかざし、吐き捨てるように呟いた八重。その攻撃を思わず制する。予想外の妨害に百々香ですら驚きの表情を浮かべ、八重は吠える。
「邪魔をするな、仁科ッ! オレは、今、コイツを殺すためだけに生きている!」
「違う! お前は俺と戦うために生きているんだ! その手を血に汚すためじゃない!」
鬼を完全に無視して繰り広げられるそのやり取りを鬼は傍観する。
「お前は今はLOSじゃない。執行権はない。それにお前はこれまで誰も殺してこなかった。脱獄のときでさえ、全員を殺さず捕らえた。それはお前の悲願だったからのはずだ。誰も殺さないという縛りこそが、お前の野望を実現させたんじゃないのか!」
その言葉は八重の奥深くに刺さる。
「それでも……オレは……」
視線の先には姉がある。
「これも全て黒の手引だ。黒はお前の積み上げてきたものを全て壊して遊ぼうとしているんだ。ここでお前が百々香を殺したら、切り離したとは言え元アコニトムの殺人犯と言われ、アコニトムは求心力を失って、お前の意味が消え去ってしまう。これ以上、アイツの思い通りにさせちゃダメだ!」
八重は目を伏せて、一呼吸する。再び開かれたその瞳には未来を見据えたいつもの八重の光がこもっていた。
ドッ──と百々香から殺気と呼ぶにふさわしい光が放たれる。
百々香の瞳はより一層輝きを増している。黒黒とした瞳孔には高強度の赤黒い殺意が宿っている。
「心外ですね。絶対殺すという意志を持ったワタクシを前に『殺さない』と? それは釣り合いが取れていない。一方的だ。殺す覚悟を持った人間を止められるのは同じく殺す覚悟を持った者だけです!」
その斬殺鬼を正面から見据えて俺は答える。
「ああ、その通りだ」
俺の肯定に八重も、百々香も再び驚きの表情を見せた。
「百々香、お前ひとつだけ約束を破ったな。俺を殺すまで誰も殺さないっていう約束。戦ったから分かる。弥生さんが殺されるほどお前を追い詰めたとは思えない」
「言ったはずですよワタクシは。『先約は優先する』。九条ゆらと如月弥生の殺害が脱獄の条件でした。そちらが先約だったまでです」
「それが俺より先の黒との契約だったとしても、お前は殺しをした。そして今なお俺と八重を殺そうとしている。これからも、お前は生きている限り人を殺し続けるだろう。それは止めなくちゃならない。これ以上、被害が出る前にお前はここで殺さなくちゃならない」
握り締めていた拳をゆっくりと上げ、人差し指を立てて百々香を指す。
「俺がお前を殺してやる」
その光に殺意は一切こもっていない。込めていない。水のように澄んだ真白の光に包まれる。
それに返すように、百々香が殺意で濁りきった血赤色の光を放った。
「八重、コイツは俺が殺る。コード404執行権を行使する。それがLOSに、今の俺に与えられた社会の秩序を護るための責任であり、義務だ。そして──」
百々香が満面の歪んだ笑みを貼り付けた顔を見せる。
それは目の前に立つ真理の境地に至った人間と相まみえることができた喜びに、その人間を殺せるという極上の甘美に、その人間に殺されるという至極の快味に。
「師匠の仇は俺が取る!」
『殺す』という意志はしっかりと持ちながら、言葉とは裏腹に一切の殺気が出ていない。
それは慈愛。生きる意味を得た今の俺にとって、世界の全ては色づき、全てが意味あるものとなった。たとえ、相手が史上最悪の斬殺鬼であっても、たとえ相手が自らの手で殺さなければならない相手だとしても、その極悪にすら余り余る慈愛を持っていた。
それこそが、今の俺の白い光の温かさの源。
三度、百々香の間合いへと侵入する。
今度は八重はリアクションせずに傍観している。
決着はそこから一撃だった。
俺と百々香の視線が再び交わる。
「百々香、次に生まれてくるときは私情じゃなく、せめて
「──それも、悪くないかもしれませんね」
刹那、これからの一連の流れ、結果まで悟った百々香から最期、渾身の斬撃が放たれる。
それと同時、祈りを込めて光を放つ。
温かい真白な光に包まれる百々香。
(ああ、なんと──なんと温かい光だ。まるで日の……)
俺は最期の斬撃を左手の甲で受ける。そこには百々香と出会ったときにつけられた消えない斬痕がある。それを上書きし血を走らせて斬撃は水と消えた。
その傷から流れる一筋の血が大きい水溜りの中にぽつりと垂れる。
「末期の水、か」
そこには大きな水溜りが遺るばかりで百々香の姿は跡形もなく消えていた。
数秒、目を伏せ黙祷のように沈黙した俺は再び目を開くと八重へと向き直った。
八重もそれに応じて俺へと距離を詰めた。
「「さあ、決着をつけよう」」
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