第26話 氷青《アイスブルー》

 撃ち込まれる無数の氷弾を空気ごと凍らせて無力化。空中へ意識を向け疎かになった私の足元へ今度は氷の細槍が波のように迫る。それを空気を凍らせてから、空気を凍らせ階段のように駆け上がって回避、同時にあかりの頭上を取る。上からの氷結を警戒するあかり。しかしそれは私の思うつぼ。

「【氷の間リンク】」

 短く呟いた技名の通り、私自身は空中を舞ったまま、床を凍らせる。床は立っているのも困難なほどツルツルと摩擦を失って滑る仕様だ。

 足下を凍らされたあかりはわざとかというほど派手にスリップ。仰向けとなって倒れる弟に向かって振りかぶった拳を振るう。腹めがけて放たれた一撃は弟の身体を氷みたいに粉々に打ち砕いた。いや、本当に氷だ。手応えがない。軽すぎる。

 いつの間にか氷の人形と入れ替わっていた氷使いは無防備な姉の背後に今度は大型の槍を撃ち込んでくる。着地した私が床を転がって反転し、氷の大槍を凍らせて砕きダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い散らせる。

 この間、あかりは床についている背中を狙い床から細槍を繰り出していたがそれらは張られた氷のリンクに阻まれ届かない。そこで反撃に転じようと、立ち上がった瞬間──

 ガコッ──と氷が割れる音が鳴った。それは私の右足から発せられたもので、モデルのようにスラッと伸びているのが自慢のその足が氷に変化し膝のすぐ下で体重を支えられずに折れた音。そのまま私はバランスを失って倒れそうになるのをこらえる。そこへの追撃はない。

 勝負は決していた。

 追撃してこず無防備な隙を見せた弟に、膝立ちの体勢から終輝を放とうとする私の口から血が流れる。

 私の腹を貫いていたのはあかりの氷の槍撃。それもただの槍ではない。それは目に見えない透明な氷。生み出した氷の屈折率を空気と同一にした不可視の氷が腹部を貫いた。その槍は細く、致命傷を与えるほどのものではなかったが、敵は自分の脚を瞬時に氷に変えることができる上に、見えない氷にいつ攻撃されるかわからないこの状況で私はもう動くことができなくなった。

 その差を思い知る。強い意志を持って未来を切り開こうとした弟と、現状を受け入れ停滞した自分。その差がこの圧倒的な力の差となって、姉を凌駕していたという事実を思い知った。私は強くなんてなかった。澪は意味意味って言ってたけど、主体があるだけマシだ。本当に自分がなかったのは──私だ。

 そう思った瞬間、私の純色だった青色がくすんでいった。

「これが限界だった。お互いに」

 傍らで自身を見下ろす弟の苦渋に歪んだ口から落ちたその言葉に瞼を下ろした。

「その通りだね。まったく……」

 その気になれば、お互いにお互いを殺せた。だが、あかりは信念と誓いの下、私は最愛の弟への迷いの下、殺すことができなかった。動けなくさせられたこの瞬間ですら、私は【時の凍結トランセンド】や【光の凍結ダルク】を使えば容易に弟を葬れる。同様にあかりも【氷の世界グラーセ】を用いれば……。だが、この状況に至るまでの過程は覆せない。その過程は弟の勝利を告げている。だって、人を殺さず、犯罪を何もしていないこの男を犯罪者だとはもう思えない。

 腹を貫いた槍が消され、私は傷を凍らせて出血を防ぐ。そのまま尻もちをついて弟を見た。

「そのスーツ。LOSの制服だよね……。なんでまだ着ているの?」

「他に着るものがなかっただけだ」

 目を逸らす弟への優しい問いかけに嘘が返ってきた。だからその本心をせめてもの抵抗として言ってやる。

「未練があるんでしょう。私たちと共に戦ってきた日々もまた、あかりにとって大切になってしまってたんだね。一年ちょっとだけど、とても長かったからなぁ……」

 過ぎ去った日々を回顧してから弟の顔を見る。

「私にはあかりを止められなかった。だけど、話を聞かなきゃいけないと思ったから、こっちに一人で来たんだ。それは叶った……話してくれてありがとう。さあ、澪のところへ行って。今の彼とならきっと本気で戦える」

 その言葉は目の前の弟を抹殺せんとする社会への叛逆も同然。それでも、彼らは戦うべきだ。

 意志の下に覚悟を持ち、信念のため世界を変えようと戦ってきたあかり。

 意志もなく覚悟もなく、意味を見つけようと苦しみ抗ってきた澪。

 正反対の二人だ。もし、弟が間違っているというのなら、きっと彼が止めてくれる。

 あかりは私ではない違う方を見て、いや澪の方か、を見て言う。

「……久遠に殺されているかもしれない」

「ありえないね。それはあかりも分かっているでしょう?」

 再びこちらを向いた目としっかりと向き合う。これまでちゃんと見たことがなかったその瞳には強くきらめく光が携えられていた。──これが覚悟の光か。

「仁科とは戦わなければならない運命だったんだ。オレがこの道を歩き始めたときから」

 あかりは私に背を向け歩き出し、部屋をあとにした。その背中はかねてから弟や部下として見てきたものではなく、はっきりとした強さを滲ませる一人の人間のものだった。


 感傷に浸る私の思考を中断させたのは、新たに入ってきた侵入者だった。

「おや、八重日とは入れ違いになってしまいましたか。ですが、これはこれで好都合……」

 その顔を見て、私は唾をごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。そうか、私は本当にここまでの運命だったんだな……。

「可能性は考えてたよ……。行かせない。あかりと澪のところへは……!」

 青色の光を放つ。それを打ち消すように血赤色の光が放たれる。


 ──それが彼女が放った最期の光だった。

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