第25話 氷源
コツ、コツ、と低いヒールのパンプスで床を鳴らしながら如月弥生は輝臨神社の奥へと歩みを進めた。そして、実弟の光が扉越しにも強く感じられる一室の前で立ち止まり、そのドアを開く。部屋の中央でLOSの黒スーツを纏った彼が立っていた。
「久しぶりね、あかり」
「そうだな……。一週間も経ってないはずなのに、ずいぶんと時間が過ぎた気がするよ」
聞いているだけならなんの変哲もない姉弟の会話。その実、向かい合う血を分けた唯一の存在に対し、お互いにぶつけている感情は『悲哀』だった。
「なんでこんなことをしようと思ったの」
弟への口調は、まるで母と瓜二つだ、と母に叱られた幼少の頃を回顧した。
「お父さんとお母さん……、そして私のせい?」
「……そうだよ」
「──どうして」
自責から悲しそうに問うてくる姉に対し、一拍おいてから淡白に答えた。そしてそのまま自分が現在の思想に至る発端の出来事を思い出す。
「たしかに、両親の離婚はオレがシステムに疑問を持ち始めた原因の一つだ。だが、はっきりとこの体制を変えようと思ったのは二年前……百々香の事件のときだ」
◇ ◇ ◇ ◇
両親が離婚したのはオレが八歳のときだった。オレは父親に、姉さんは母親に引き取られ離れ離れになったのだが、それまでは普通の一般家庭だったと思う。その当時は小さかったこともありそんなに気にしていなかったが、それは成長し、そのことを振り返ったとき忽然と湧き上がった。
『なぜ適正により結ばれた二人が別れてしまったのか』
その疑問を強く抱き始めたのは高等教育に入る前だった。
学生たちは皆そこで初めての適性判断を受ける。その内容は学ぶ学問の向き不向きであり、以降の五年間で学ぶ専門教育を決めるためのものだ。言語学や歴史、法学、経済学や経営学などを学ぶ文系、数学や各種理科科目、工学や情報学、
オレに出た判定は法学と物理学、そして輝学。輝学とは輝気についての学問。のちにLOSの適性が出ることを考えれば納得の行く妥当な判定だった。だが、そのときオレの学びたいことは別にあった。それがトリガーとなった。
『やりたいことがあるのに、なんでそれができないんだ?』
そこからタガが外れたようにオレの中に暗く黒いモヤのような思考が溢れんばかりに湧き上がり始めた。そんな考えを押さえ込むように蓋をして過ごしていた。
来たる職業適性判断。そこでこの日本の、現在の光社会の秩序を守るLOSという判定にオレは遂に我慢の限界を迎えた。
この社会の在り方にこんなにも強く疑問・疑念・懐疑・猜疑心を持っているオレに、その社会を守れと、世界が言ってきた。素直に「はい」とは言えるわけがない。それどころか、真逆の……反抗心とも呼べる感情に身を任せ、オレは『この社会を壊したい』とさえ思った。
しかし社会への反逆を考えても、それを実行に移す手段はそのときのオレには一切なかった。そう、真っ黒黒な黒い男と出会うまでは。
『キミ、この社会に不満なんだ』
そう話しかけてきたその男はオレの思考よりも黒くさらに黒く、深夜の月明かりすらない真っ暗な闇に溶けているような男だった。その男はたやすくオレの中に入り込んで……いや、オレを侵食するように闇色に染めてきた。
黒はオレに手段をくれた。光の扱い方を教え、輝気の放ち方を教えてくれた。同じ思想を持つ者たちを集め、組織を作った。組織をまとめ、導くための力をくれた。
そしてオレ自身で作戦を立て、決行を決めた。ここまで黒い師と出会ってからたったひと月の出来事だった。そんな矢先、あの事件に巻き込まれた。
空から人が降ってきた。
天気予報では快晴だったはずなのに、人通りの少ない道を行くオレの頬に大粒の雨粒が一滴当たった。それを手で拭ってみるとその水滴は赤く、少し生温かかった。異変にすぐ空を見上げた視線の先、空中を舞い飛ぶ大きめの物体。初めは鳥だと思ったが、赤い飛沫を撒きながら人型をして落ちてくるそれが人間だと気づいてオレは思わず輝気を放った。氷の滑り台を創り出し、落ちてくる人を受け止めた。その体には右肩から左股関節まで大きな裂傷が走っていた。あとから追いかけるように降り注いできた血の雨を避けて辺りを見回す。残念ながら、オレに怪我人の治癒スキルは物理的にも輝気的にもなく、ただその傷を負わせたであろう、連続斬殺事件の犯人を探した。
「おや、氷使いと思ってみれば……」
背後から気配なくかかったその声に目を見開きながら振り返る。自分の五メートルほど先に件の百々香タタラがフラフラと身体を揺らしている。歩くその姿に全身の肌が粟立った。
──攻撃。オレが選んだその選択肢が間違っていたとは思わない。だが輝気を使い始めたばかりで、その上多くの仲間を従え始めていたオレが慢心していたことも認めざるを得ない。
放った氷の弾丸は一瞬できらきらと舞い散った。
その次の瞬間に襲いくる百々香の斬撃をオレは回避すらできなかった。
「ぐッ!」
降ってきた男と同じようにオレは胸を横一文字に斬られ、情けない悲鳴とともに赤色の飛沫をあげた。傷口を押さえる事もできず膝をついて、目の前で今にも自らの命を奪わんとする鬼を見上げた。
こんなにも呆気なく。これから始まろうとしていた革命の狼煙も上げることができず、オレは……。絶望、という初めての感覚に真正面から立ち向かえない。クソ、クソ、クソが!
「アナタも、同じですか……」
血に塗れたその鬼は嘆くように呟いて、息の根を断つため血と同じ色の斬撃を放った。
その斬撃がオレの
「百々香、もうこれ以上殺させはしない!」
聞いたことのある、女性にしては低音で凛と響くその声は母さんのものに似ている。俺の目の前に立ったその声の主は、十年以上会っていなかった実の姉・如月弥生だった。
「姉さん……」
「あ……かり……?」
目の前で俺を庇うように立つ弥生は、愕然と振り返ってオレの顔を見た。
その大きな隙を、いや、隙と言うには無防備すぎる姿を晒す彼女を、斬殺に魅せられた鬼が斬り裂いた。
倒れた姉の身体からトクトクと流れ出る血。オレの脳内では目まぐるしく思考が回る。
なんで姉さんがここに? どうしてこんな犯罪者が生まれてしまうのか? 目の前で血を流していたのは本当に姉さんなのか? 適性に則っても犯罪者が出てしまう社会は間違っているのでは? なぜこの男は姉さんを斬った? この社会もこの犯罪者も消え去るべきでは? 誰がやる? それは──。
──思考が血のように赤く染まっていく──
「消す。──オレが」
突き刺す冷気のような光を感じ、百々香が飛び退く。
庇ってくれた姉をさらに庇うように前に出た。勝算なんてなかった。むしろもう負けていた。受けた傷は深く、意識はもうもたない。ただ、目の前のバグを排除しようという使命だけで身体を動かす。勝手に動く。
放たれた輝きはほのかにくすんでいて、いつもよりも少しだけ冷たく光った。
言葉もなく、斬り裂き鬼はただ殺すために斬撃を放った。それを分厚い氷壁で防ぐ。だが、氷壁はたやすく斬り砕かれ、次の斬撃に対応することができない。
だが、今度は目の前の敵から目を逸らさなかった。氷越しに鬼を見続ける。
オレを斬らんとする斬撃が次々に凍りつく。
「……言っただろ! これ以上は殺させない!」
咆哮とともに、鬼を凍らせんと光を放った弥生。先程の傷口は凍りついている。
その凍結を回避して百々香は言う。
「さあ、果たしてそれはどうでしょうね」
馬鹿にしたように大きく不気味に笑う鬼に自分たちが放つ冷気とは関係なしに鳥肌が立つ。
ありったけの光を込め氷を生み出し物量で攻める。しかし、それも斬り砕かれてしまう。
最後に斬撃を一閃。ソレを氷の壁で打ち消すと、そこに百々香の姿はなくなっていた。オレと姉さんをその場に残し、殺さず百々香は消えるように去った。なんで──という疑問は視界を横切っていった日本最強・羽場紡糸で解消された。なんにもできなかった。オレは何も……。オレも姉さんももう動けずその場に倒れ、駆けつけた九条に再生されるまで。そのまま苦虫を噛み潰すしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
そのとき、百々香に斬られ、逃げられて倒れる弟を見た私は今と同じように悲哀の眼差しを向けながら呟いた。
『──どうして』
「この世界はおかしい。いや、光が生まれ、輝気が放たれ始めてからおかしくなったんだ。そんな世界をオレがこの手であるべき姿に戻す!」
改めて口にする決意は、一人の青年が抱えるにはあまりにも大きく、果てしない野望と覚悟。
だが、そんな途方もない夢を、弟はあと一歩というところまで叶えかけている。しかし、それを、姉である自分が打ち砕かねばならない。
正義とは悪を淘汰することでも、信念を貫くことでもない。正義とは社会の規範に収まることだ。
だが、もはやそれが本当に正義であるのか私にはわからなかった。
私にも、アコニトムの掲げる自由選択社会とは、理解できない妄言と切り捨てることはできなかった。むしろ──。
それでも組織の命に背くことはできなかった。彼らは、弟は現在の社会を、平穏をいっときでも揺らがし壊そうとしているテロリストだ。システムは、社会はそうだと判断した。LOSに入ったのも適性に従ったからだ。これまで輝気による判断を信じてきた自分に、その判断を疑うことはできっこない。
徹底的に対極にいる。同じ血を分け、同じ氷属性の輝気を持った姉弟のはずなのに。なぜこうも正反対になってしまったのか。その憂いが私の心を哀しみでいっぱいにした。
「あかり、私は私の考えであなたを止めるとは言えないし、言わない。あなたの思想に思うところがあるから。でもあなたが変えようとした社会はあなたを悪だと判断した。私はその決定に従う。あなたの望みを叶えたいのなら私を倒しなさい。それが社会を倒すことでもあるわ」
精一杯だった。ただ私にはそれ以外の選択肢がなかった。だから、精一杯をぶつけ、自分の信じてきた正義を──執行する。
「まだ、捕まるわけにはいかない。あと少しなんだ……」
弟がこれまで以上に澄んだ深く果てしない氷山を貫いたようなアイスブルーの光を放つ。
私は一点の曇りもない清く他の何者にも染まらない大海原のような真青の光を放つ。
二人の青い光が混ざらず部屋の隅々までに凍気を届かせてぶつかりあった
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