第7話 灰が出る意味
僕が澪と出会ったのは九歳になったばかりの頃だった。
その頃には既に澪は『生きる意味』を失っていたんだと思う。
澪は九歳にしては大人っぽい雰囲気があったが、同時にちゃんと子供らしさも持っている不思議な子どもだった。
周りの子どもと遊ぶ様子はまるで紙にこぼれた水のように、ただその環境という紙に染みているようだった。
大人たちは澪のことを少しませていると評したが、僕からすればそんな可愛いものではなかった。僕自身もそう言われていたから、自分との違いをハッキリと感じたのかもしれない。
僕はあんなふうに笑えない。
澪はまわりのすべてをあるがままに受け入れていて、自分の意志などない地面にこぼれた水のように土に滲みたり、低い方へ流れていったり、まさに水のようだった。
ある日、僕は聞いてみた。
「仁科くんはなんでそんなにからっぽになれるの?」
その問いをきいた澪は目を丸くして僕の顔を見返した。
まだあまり言葉を知らなかった澪はなんて言えばいいのか分からなかい様子で
「おまえ、頭いいな」とだけ返してきた。
それが澪との初めての会話だ。
それから澪は僕によく話しかけてくるようになった。また、僕からもよく澪に話しかけるようになった。他の友だちには一線を引いていたように見えた澪が僕には分け隔てなく接してくれるようになって、とても嬉しかった。人と仲良くなる過程ってそんなに覚えてないことが多いけど僕はハッキリと覚えている。いや、忘れさせてくれない。それほどに強烈なインパクトが澪にはあった。
僕自身も澪のからっぽな部分に、水の中へ沈んでいくように心酔(浸水)した。そのからっぽさは僕の全てを受け入れてくれる心地よさはまるで砂漠の中で唯一見つけたオアシスのように僕の拠り所となっていた。
だが、付き合いが長くなってくると気付いてしまう。思い知らされる。
僕は澪の拠り所にはなれない。
からっぽな澪は
あるがままを受け入れるだけの澪は何にも意味を見出したりはしない。
それに気付いた僕は決心した。
澪を拠り所にするのをやめて、澪の隣に立ち、もし澪がふらつく事があれば支えられるような人間になろうと。いつか、澪が支えを必要とする日が来るかもしれない。その日が来る前に僕は強い人間に。
胸に生まれた思いを力へ変えていった。
澪は百々香と出会い、生きる意味を探し始めた。本人は気付いていないと思うがその姿は以前とはまるで違ってイキイキとしていた。
自分のことに目を向け始めた澪に感化されたのかもしれない。
いや、それは嘘だ。百々香の事件のとき、百々香は僕にまるで目もくれなかった。僕はたしかに澪の隣にずっといたのに、まるで見えていないかのように澪だけを見ていた。半年前の漆黒と初めて出会ったときもそうだ。やつは澪にばかり気を取られ、僕のことなんてどこ吹く風だった。相手は犯罪者だ。そんなことに嫉妬するのは馬鹿だってことはわかってる。それでも僕は悔しさを感じずにはいられない。
澪と対等になりたい。そうなるためには、澪には目をつけたのにその隣にいた僕を無視した黒と百々香に自分の存在を認めさせなければならない。だから強くなる。
そう、澪の隣に立つことは僕にとっての誇りであり、生きる意味なのだから。
◇ ◇ ◇ ◇
先の一件から瑛は何かと僕に突っかかってきた。それを軽くいなしつつも、長い秘密裏の調査の束の間の安らぎとなっていることに気付く。彼女がシロだと最初に見ていたおかげで彼女には心置きなく接することができたというわけだろうか。澪以外にこんなふうに接せられるなんて。
「ちょっとせんぱーい! なんかあたしにだけ厳しくないですか〜?」
「そんなことないよ。そう感じるなら日頃の鍛錬が足りないか初日のあれを根に持ってるからじゃない?」
「も〜〜。やな人に目付けられてさいあくぅ」
アコニトムの予告から五日、動きはなく、一人を除いて全員シロで調査は終わっていた。
その一人、幌小十郎の輝気【
輝気を用いての対人戦闘訓練。小十郎の相手に名乗り出る。それを瑛が「やった!」と喜ぶ。少々いじめすぎたかな。
戦闘が始まる。さすがに実力差があるため僕は風を起こすだけというハンデを背負っている。
小十郎が一気に間合いを詰め殴りかかる。自身の動きさえもおぼろげにしてしまう小十郎の攻撃は読空を使わない今の僕には強風で吹き飛ばす以外に回避方法はない。
吹き飛ばされた小十郎が僕の認識から消える。背後から振り下ろされる拳をを受け止めると小十郎が言葉を投げてきた。
「一度捕まえてしまえば怖くはない、とでも思いました?」
「そうだね。攻撃を隠すまではいいけど、その後の攻撃が愚直すぎたね」
「ふ。しっかり掴んでないと逃げられますよ」
自分がしっかりと小十郎の腕を握っているはずなのに、握っていないかのような錯覚に陥る。それも朧の能力。そして目の前の小十郎が認識できなくなっていく。
だが、決して掴んだ腕は離さない。認識の外から放たれた蹴りをも受け止める。まるでわかっていたように。小十郎は完全に動きを封じられる格好となって決着がついた。
「──!」
「輝気の特質上、無意識に僕は空気の動きや流れを感じてしまうんだ。きみがいくら認識を阻害しても空気が存在を証明してくれる。動きは丸見えだ」
小十郎を離して彼を評価する。
「輝気をちゃんと学び始めて数週間とは思えない動きだね。去年誰かに教わったりしたの?」
核心に迫る質問を投げる。アコニトムのスパイであれば納得だけど。
「いえ、ハッキリ言うと、俺は八歳くらいからこの力でいたずらとか悪さをしてたんです。だからいつの間にかこんなふうに使えてました」
僕を自分より格上で尊敬すべきと判断したのか小十郎は腹を割って語った。
「そんなに前から? すごいね。僕や澪なんて高等最後の年までなんにも使えなかったのに」
「逆に言えばたった二年でそんなに強くなったんですよね? そっちの方が凄いです」
そう笑う小十郎が気を抜いたことで輝気が解かれた。それを見逃さず、読む。
──シロだった。この中に敵の刺客はいない。安心して小十郎の肩をぽんと叩く。
「きみもこれからもっと強くなれるよ」
「はい!」
その夜、結果を生守に伝えると、その任は完了となった。アコニトムの予告から警察学校宿舎に泊まり夜も交代で見張りを立てていた。明日の早番は僕だ。ベッドに横になり疾く眠りについた。
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