第2章 生命の水

第4話 水に帰す

 出動要請だ。

「場所は……輝気犯かがやきはん特別刑務所とくべつけいむしょ。複数の囚人が脱獄した模様」

 告げる弥生の声は明らかに曇っている。その理由は続く言葉で分かった。

百々香出示とどかたたらも脱獄した」

 鳥肌。その名の鬼の脱獄に怖気が全身に回る。アコニトムの一件から一ヶ月が過ぎ二月の冷え込みが最大となる季節。背筋が凍りついたのは寒さのせいでもあかりや弥生の輝気によるものでもなかった。


 現場に着いてすぐに【再生】で九条が刑務所で起こった出来事をリプレイさせる。発端となったのは百々香の房だ。手錠同様、建物自体に輝気が使えない加工が施されているはずなのに、鬼が突如斬撃を放って鉄格子を破壊。周りの牢も斬り裂いて破壊しながら刑務所から抜け出した。

「分からないことが多すぎる。なぜ百々香は輝気を使えたのか、ここは外部からそうやすやすと支援できるような施設ではない……。いや、考えるのは後だ。これから私たちは囚人たちの確保に向かう。ここに入れられてるのは凶悪犯ばかりだ。それが野に解き放たれた。それがどれほどの被害を出すか分からない。発見次第速やかにコード404の実行を許可する」

 コード404とは〝対象の殺害許可〟である。それが許可されたのは俺たちにとって初めて。嫌でも空気が張り詰める。俺は漆黒に言われたことを思い出してしまう。

『生きる意味を持たないキミに生きる意味を持つ者を撃てるのかい?』

 思い出すな。しまえ。今、躊躇は許されない──。

「ゆらはここに残って刑務所の再生を。あかりは三度と、澪は私と来て。囚人ごとに発信機が取り付けられていて位置情報は分かる。ただ、百々香は後回しだ。アイツはこちらも態勢を整えないと対処できない」

「「了解」」


 弥生のあとを追いながら人通りのない路地に集団で逃げた囚人たちを追った。路地を一望できるビルの屋上から彼らを視界に捉える。

「見える範囲に七人います」

「暴れられたら厄介だ。一気に消すよ」

「……了解」

 終輝を準備した瞬間──再び黒の男の言葉が脳をよぎる。

 唇を噛んで邪念を振り払う。与えられた役割すら果たせないのならば、意味など見つけ出すことなんてできない──。

「俺が全てやります」

 その言葉に少し意表を突かれてからコクリと頷いた。放とうとしたのは俺の本当の必殺技。花水輝が最大ダメージを与える技ならコレは、確実に殺す技。俺にとってその必殺の一撃を人に向かって使うのは初めてだ。恐怖が光のゆらぎとなって現れるのを抑え込む。いけ! やれ!

「──終輝【│水に帰す《フロース》】」

 それは文字通り『水に帰す』技。相手の体細胞、もとい構成分子や光すべてを水にすることで対象を消滅させる。絶対必殺の終輝。任意の空間の空気やモノにも使用できる。必勝、必消の一撃。

 七人を一瞬で消し飛ばし、生命の源である水に帰す。遠隔で七人もの命を奪った。手応えなんてないはずなのに手に大量の血がこびりついてるみたいだ。べとべとと気持ち悪い──気付くと膝を落として嘔吐していた。全て出してなお胃酸がこみ上げてくる。

「たとえどんなに辛いことでもいずれ慣れてしまう。でも、慣れたとしても、澪は考え続けてしまうと思う」

 優しく俺の背中をさすりながら言う弥生の言葉に袖口で口を拭いながら顔を上げる。

「今日、私と組ませたのはキミにこれを言うため。

 ──背負いなさい、すべて。

 自分が殺した者たちのことをすべて背負え。糧としろ。自分自身が意味を見つけるための。これから先、犯罪者ではない人間を殺すこともある。救えない命もある。そうして殺すことへ、救えないことへ罪悪感を抱くのならば答えを見つけろ。それがなにがなんでも見つけたい答えならば、すべてを足がかりにして進むしかない」

 弥生は手を差し伸べてくる。だけど俺の手は血みどろだ。実際には汚れてなんかいない。でも──。

「私の手も死んでしまいたいほど汚れてるよ」

 その言葉にハッとする。師匠も多くの命を握ってきたんだ。LOSとはそういう仕事なんだ。軽視していた。覚悟が足りなかったんだ。なにもついていない手をズボンで拭って頬をパンと叩く。俺はここからだ──。弥生の手を掴み、引っ張られて立ち上がる。

 その表情にも心にも朝目覚めて顔を洗ったあとのように憂いは一片も残っていない。

「いくよ、敵はまだまだいる!」

「はい!」

 俺はまっすぐに前を向き駆け出した。


◇ ◇ ◇ ◇


 鬼が狙っていたのはLOSひいては世界の将来的な要となる彼女、再生の天使・九条ゆらだった。それが脱獄させることの交換条件のひとつ。建物内部の再生を終え外に出てきたところへ降り立つ鬼。

「はじめまして、お嬢さん」

「百々香ッ!?」

 ゆらは咄嗟に百々香を再生させ元いた場所まで吹っ飛ばす。この間、百々香も斬撃を放ってきたが【光戻し】で打ち消す。

 弥生に緊急事態を知らせるも安心なんてできない。応援が来るまでその鬼と一人で戦わなければならない。

 ゆらは自分自身を再生できない。それを弥生は『仁』と言ったが、内心では自分をいたわれなければ他人もいたわれないと思っていた。ゆらの輝気は貴重だ。大規模な修復から過去視までなんでもできる。上層部もそのことは分かっているのか第零班に配属されてからも前線での戦闘を指示されたことはない。だが、心の内ではそれでいいのか、と思ってきた。

 ──ここで戦わなくちゃ、私はずっと自分を慈しむことなんてできない。他人に慈愛をあたえることなんてできない! 

 戦意の光を見た百々香が笑う。百々香の輝気は斬撃のみ。光戻しで消し続ければ攻撃は受けない。ここまで百々香に相性がいいのはLOSでも自分くらいだと前に出る。

「ほう。ワタクシに向かってきますか。それでは手数の勝負となりますね。どちらが先に光が尽きるか──どちらが長く輝き続けられるか、勝負です!」

 奇襲を回避するためとは言え、百々香に距離を取ったのは愚策でもあり得策でもあった。ゆらの攻撃手段は格闘術と拳銃のみ銃弾は斬り落とされる。つまり攻撃手段は近接のみ。だが、近づけば斬られやすくなる上に、技自体の発動を斬られる。ならば手数の勝負。斬撃を敵の光が尽きるまで撃ち続けさせるしかない。斬撃を打ち消すための光戻しにももちろん自身の光を消費する。光に戻すため光を使い、どちらの光が先に尽きるかの勝負!

 ゆらの光量は決して多くない。警察学校時代に光をなくなるギリギリまで使う訓練がある。後輩三人は莫大な量を保有していたが、ゆらがやったときとは比べ物になれなくてそれを見たときは萎えたものだ。──でも、私だってやってやる!

 斬撃を打ち消すたびに自分の光がみるみる弱くなっていくのを感じる。敵の狙いは自分だということを理解しているからこそ、引けない。弥生が、澪が来てくれるまで持ちこたえ、時間を稼げばなんとかなる。戦う意志を示しながら、結局こんなことしかできないとはとうそぶくのは後でいい。自分の役割を果たすことが自分が戦うってことだ!

 ──光が尽きる。

 打ち消せなくなった斬撃が迫る。あ、と死を覚悟する時間もなく斬られ

 ──ない!

 ザパァンッ! と水の斬撃で血色の斬撃が打ち消され、残った水飛沫がかかって死という考えを洗い流した。百々香自身には氷結が襲っていてそれを回避するため斬撃を放つのを中断した。

「大丈夫ですか、九条さん!」

「よく戦ったね。後は任せなさい」

 自分の前に立つ二人の背中に安堵し、「はい」と答えてその場に倒れる。光は生命エネルギー。使いすぎれば生命活動に支障をきたし、なくなれば死に至る。死ぬほど使い切ることはまずできない。脳が無意識に抑制してしまう。今回のゆらも貧血や酸欠のようなものだ。前のめりに倒れるゆらを澪が受け止め、ゆっくりと寝かせて立ち上がる。

 その背中を薄れ行く意識の中で見る。まるで風呂でリラックスしているときのように自分を包んだ彼の温かい光にそっと目を閉じた。


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