第2話 冷たい雨
1
「ごめーん! 待った〜??」
なぜか猫なで声で手を振って呼びかけながら駆け寄ってくる九条に挨拶を返す。
「待ちましたよ一分くらい。っていうか、なんですかその
「それ
「なんて? 『やって』が多くて内容が入ってこないですよ」
「やってんなあ、私。とにかく自分のことを待ってくれてる男の子に駆け寄ってみたかっただけなのだよ」
「なのだよ? そんな喋り方普段してませんよね。テンション高すぎじゃないですか?」
「あ、当たり前でしょ、初デートなんだから! もう! ホントは澪に三〇分くらい前にきてソワソワしててほしかったのに時間ピッタリに来るし! もう!」
「え? ということは三〇分前からここを見張って待ってたんですか!?」
「一時間前だよ!」
「す、すみません……」
思わずガチトーンで謝る俺から九条はぷいっとそっぽを向き頬を膨らませている。
十二月二四日、恋人たちで賑わう駅前の寒空で待ち合わせをしていたのは言葉通りのデートをするためではなく、第零班でのクリスマスパーティー兼忘年会の買い出しのためだ。
そんな九条の出で立ちはいつもの黒いパンツスーツとは真逆。白いスカートに同じく白のトップスをインしてその上からアイボリー色のトレンチコートを羽織っているほぼ白一色のコーデ。夏なら純白のワンピース姿が見れたのだろうか。黒いセミロングの髪もいつものひとつ結びではなく、サラッと下ろされていて左側を耳に掛けている。顕になった左耳には控えめな水色のピアスが付けられている。
「めちゃくちゃ気合い入ってますね、色々」
「──! ま、まあ身だしなみしっかりするのは当然だよ」
「すごく似合ってますよ、いつもの黒ずくめよりずっと」
「あ、ありがと!」
膨らませた頬をしぼませて照れ隠しか右の前髪の毛先をくるくると指で遊んでから「惚れるなよ〜?」といたずらに笑いかけてくる。
大丈夫。俺は誰にも惚れたりしない。そんな俺の心など見えないように、九条は俺の服装を下から舐めるようにチェックした。
俺の服装は黒のデニムに白T、黒のマウンテンパーカーだ。モノクロ。
「無難……いや、めちゃくちゃ似合ってるけども」
「まあ、私服これしかもってないですしね。夏はTシャツ一枚で十分だし……」
「はあ? 正気? 正気じゃないでしょ!」
「服くらいで正気を疑われます?!」
「当たり前でしょ! 人の第一印象は見た目だよ。まず目に入るのが顔・髪そして服装なんだから。顔は整形しないと変えられないけど髪と服は違うでしょ? それがその人を表す記号になるんだよ! それに良い服装は『福』装、福も招くってね」
「な、なるほど?」
「予定変更! 今日はまず澪の服を買いに行きます!」
「買い出しはいいんですか?」
「バカめ。服を見て、ご飯を食べて、買い出しをする。そしたらちょうど夜の水族館を見られる。初めからそういうプランだったのさ。服を見るのは私の服のつもりだったけど」
「まあ、そういうことなら……」
「デートも服もしっかりコーディネートしてあげる!」
うわあ……。ウインクしながらこちらを指差す九条。ちょっとクサすぎる。
2
連れていかれたのはどこぞの民族衣装が陳列される店だった。いやいや、奇を衒いすぎやしませんか?
「これとか似合いそう」
「いやいや、どう考えても遊んでるでしょコレ! バカなんですか?」
「上官にバカとはなんだぁ? バツとしてコレを着なさい!」
「バツって言っちゃってるし!」
差し出してきたのは上と下が一体になっているつなぎのような、だぼだぼのガウチョ気味で裾が紐で閉じられた茶色いパンツと緑色と黄土色の模様があつらえられたひらひらのカーディガンのようなデザインの服だ。
試着室に無理やり連行され押し込まれる。これはハラスメントに違いない。仕方なく渡された服に袖を通し、先にひとりで鏡を見て確認する。うっわ……。
その嘆息と同時にバサッと勢いよく試着室のカーテンが開かれる。
「うっわぁ……」
嘲るように笑みを浮かべる九条。さすがにぶん殴ってやろうか。
合間にパンケーキの美味しいカフェに連れて行かれたりもしながら、二店目、三店目と最初の店はやはり完全に遊んでいただろと睨みたくなるほどちゃんと服を選び始めた九条に着せかえ人形のように扱われた。つまるところ、遊ばれているのは変わらないのかもしれない。その間も九条は笑顔を絶やすことはなく、また会話を途切れさせることなくずっと喋っていた。それが俺には新鮮だった。
俺は普段こそ明るく振る舞うことを心掛けているが、そこには感情がなく、まるで人形のような人間だ。だから九条に着せかえ人形として扱われているのかもしれないが。
まあそれは置いておいて、学生時代、友だちは多かったが素の自分を晒せるような間柄は三度くらいしかいなかった。いや、今も三度くらい、強いて言うなら
「はい、次はこれ!」と笑顔で服を渡してくる。白と黄緑色のストライプシャツの前を留めずに白いTシャツの上から羽織り、
「お! シンプルだけど一番いいじゃん! 特にまくった袖の先に見える前腕がいい!」
親指をグッと立てていいねと力強く言う九条になんだか急に恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、この服買いますね」
「よろしい!」
冬に着るには薄い。春までは着ないだろう。
そもそも今日のこれも気乗りしなかったのだ。たまたま非番がかぶったところを班長のパーティー実施の号令がかかった。そこから気乗りしなかったのに弥生にいい感じに話を進められて断れなくなってしまったのだ。
置いておいた話を取ってこよう。この世界はあらゆるものを適性システムに頼っている。自分の向いている学問や職業、ひいては生涯のパートナーまで光から判断された適性で決めることができる。それに身を任せて生きる人間ばかりの世で意思や感情のない人間は少なくない。俺もそんなひとりだが、その中でも少し特殊な人間だ。自分の未来をシステムに任せてもたいていの人は趣味など自分なりの生きる意味を持っている、だけど俺はそれがまったくない。本当になにもない、『無』なのだ。
感情のない、意味のない俺を九条は好いてくれている。俺の自意識過剰でなければ、だが。こんな俺を、適性判断もしていないのに自分の意志で俺を……。俺はそれをどう受け止めればいいのか分からない。だって、俺は、
──誰のことも好きになれないのだから。
俺には生きる意味がない。意味がない、そう自覚してから俺には『楽しい』とか『好きだ』とかそういうものが分からなくなってしまった。その感情がないということが、服とかそういう趣向とか趣味とかにも表れているのだろう。部屋には最低限の家具しかなく、服も最低限しか持たず、色も白黒。思えば、九条に選んでもらったこの黄緑ストライプのシャツが初めての色付きのものかもしれない。いや、光の色が水色だった。これは輝気を修得するときに一番俺が驚いたことだ。光の色も白か黒。モノクロに近い色だと思ったのに水色。光に色があったからこそ、俺は今前を向けているのかもしれない。でも、元々モノクロ人間な俺がそんな簡単に色づくわけがない。
そんな俺が人を好きになれるとでも? それこそ、さっきの民族衣装を買うよりも冗談だろう。
服を買い終えると、九条は服が入った紙袋を持たない方の俺の手を取った。その手から俺が感じれられるのは温かいという事実だけだった。
「よし! 目的は達した!」
「いや、買い出しが目的ですよ!?」
「あ……」
「本懐を忘れないでくださいよ」
「忘れてたわけじゃないよ。記憶の奥にしまってただけ」
「取り出しにくくて仕方なくなってるじゃないですか」
「思い出したからいいの!」
「思い出させたの俺ですが──」
「わかった。そんなに言うならもう一度忘れるんだから! 買い出しは後! 先に水族館行こう!」
「はあ……」
「レッツゴー!」
気付けば昼過ぎに集合して、ティータイムを挟んだとは言え、空は暗く日は沈んでしまうところだ。こういうとき、だいたいは楽しくて時間が経つのがいつもより早く感じるものなのだろう、それは知識として知っている。だけど──。
3
「かわいい!」
結局、九条の決定に逆らえず水族館へとやってきた。
ライトアップされた水槽をふわふわふわぁと舞い遊ぶクラゲを見ながら九条がガラスに張り付いている。半透明で半球状の水なのか生き物なのかもわからないものを見るだけで、どこが楽しいのだろうか? 否、俺はクラゲに限らず、生き物に対してもなんの感情も抱けない。抱くとしても、それは哀れみや同情といったマイナスの感情だ。
この水族館に捕らわれた魚たちに対してもそうだ。魚自体の感情があるなしに関係なく、人間に見られるためにこの水槽という名の檻に閉じ込められ、本来彼らにとって果てのない広大な自由の世界である海を泳げぐこともできない。それは哀れだ。悲しいことだと思う。いや、そういう思考があるだけで、実際には何も思っていない。
九条に腕を引っ張られながら、いろいろな水槽を見て回る。
そうして思ったのは『俺もこの魚たちと似たようなもんか』という虚脱だった。
俺自身、適性システムなど将来を決めてくれるこの社会に大きく依存している。何も感じない俺は、意思のない俺は決められた道へ進むことしかできない。LOSに入ったのも適性が出たからだ。でも、それじゃ、ダメだと。それじゃ、嫌だと思い始めている。だけど何もできず、システムに囚われたままの俺と水槽に囚われた魚を重ね、それが似ている、と。
この檻には人間の欲が詰まっている。閉じ込めておきたい独占欲、命を自由にしたい支配欲、見せびらかしたい顕示欲、他者に認めてもらいたい承認欲。この水族館というものは人間社会の縮図なのかもしれない。そう考えれば、この魚たちにも意味があるのだろう。なのに俺ときたら……。
「みーお!」
どーんと横から身体をぶつけられて現実に引き戻る。もう魚の展示も終わりで、残すはグッズショップだけだった。
「ちょっと見ていこうよ」とゆらにまたまた引っ張られ、中を見て回る。
「あっ、コレいいんじゃない?」
九条が手にとったものを俺の胸元にあてがう。それはペンダントで、装飾のコインにはクラゲが彫られている。
「胸元が寂しいと思ってたんだよね〜ちょうどいいじゃん!」
「じゃあこれ買います」
「あ、待って」と引き止められ、手からそれを奪われる。九条はそれをふんふんと鼻歌交じりにレジを通して俺に渡してきた。
「クリスマスプレゼント!」
プレゼントとなったペンダントを受け取り首から垂らす。
「ありがとうございます」
家族以外からクリスマスプレゼントをもらうなんて初めてだ。
ああダメだ。このままだと男が廃れてしまう……そう思ったのは魚たちを見てアンニュイになったからだろうか? これまでそういう風に考えることなんていままでなかった。せめてもの抵抗、と俺はもうひとつ同じものを手にとってレジへと向かう。
「これ、お返しです」
買ったものを九条に差し出す。
「いいの?」
「はい。今日のお礼です……それと、メリークリスマス」
そう笑いかけると九条はとても意外そうに、でも嬉しそうにそれを受け取って「おそろい」と微笑んだ。
4
場所をショッピングセンターに移して買い出しという本来の任務を遂行する。サンタの帽子やトナカイの角のカチューシャなんて本当に必要だろうか?
「一昨年はいっぱい班員がいたから盛大にやったんだけどね……」
商品を物色しながら悲しそうな呟きになんて返せばいいのか分からない。
第零班はある事件によって壊滅した。たったひとりの通り魔によって。そしてアイツは──。
『キャアアアアアッ‼‼‼』
言葉を紡ごうとしたその時、沈黙を破ったのは建物内に響き渡るほど大きな女性の悲鳴だった。
「九条さん!」
「追いかけるから行って!」
ほぼ同時に言葉を投げ合う。俺は九条の指示にうなずいて持っていた荷物を九条に投げながら悲鳴のした方へと助走をつけて飛び出した。
◇ ◇ ◇
駆けつけるとそこには女性が血を流してうずくまっている。幼い女の子が母親であろうその人にすがって泣きじゃくる。
そこから少し離れたところ、逃げ惑う人々の中心で包丁を持った男がそれを振り回していた。
一気に間合いを詰め、取り押さえようと思った瞬間、周りの逃げようとしていた人たちが唐突に悲鳴をあげた。犯人の近くの店の売り物であろう宝石や金物類が闇雲に飛んできたのだ。
この程度の攻撃、防ぐことは容易かった。でも、俺はそうしなかった。理由はふたつ。ひとつは九条がいるから。もうひとつは、俺の存在を気付かれ奇襲を失敗させたくなかったからだ。それが、人々を守るはずの職務につく人間がとる行為ではないことはわかっている。これは俺の責任だ。だからこそ、捕らえる。
次の瞬間、水を射出し射程に入ると、銀行強盗のときのように犯人の頭部をまるごと水で覆って窒息させようとする。しかし、それは実現しなかった。
相手の輝気は周りのものを飛ばしたことからおそらく【念力】のようなもの。物質を操れるその力で頭に被さった水に空気穴を開けて助かった。さすがに水を飛散させるほどの光はなかったようだ。だが、おかしい。いきなり顔面を水で覆われてそんな対処が可能か?
その間に一気に間合いを詰め、犯人を組み伏せる。
念力の力で反発され、上手く締め上げられない。なら、物量で攻める。
犯人が操れないほどの大量の水で犯人の身体を覆う。それにはさすがに対処しきれず、犯人は溺れかけた。その直前に俺は水を解除して問う。
「お前は俺がここにいること、水で頭を覆ってくることを知ってたな? 誰から聞いた?」
「ごほっ、ごほっ……。言うかよ、バーカ」
「なんでこんなことをした」
「俺には生きてる価値がねーんだ。職業適性はなにもねえ。俺を見放した社会でのうのうと生きている奴らに悲しみをあたえてやったんだ!」
犯人の最後の悪あがきか俺に向かって周りの飛散物や包丁を飛ばしてくる。それらは水に阻まれ俺には届かなかった。そして安全のため犯人を気絶させ事件に幕を下ろした。
傷ついた女性のところには九条がちょうど駆けつけてきて輝気を放つところだった。
「【再生】──」
九条の輝気【再生】は『元に戻す』など再生の言葉から想像できることができる輝気。アイボリー色の光に包まれ、一瞬で流れていた血は消え、その源となった傷も消え去った。
犯人の攻撃を受け怪我をした人は数名だった。犯人の輝気が弱かったからその程度で済んだ。結果論で言えば俺の判断は間違っていなかった。だが、道徳的には……。
救護を終えた九条がこちらへやってきた。
「おつかれ!」
「……お手数おかけしました」
「なに気に病んでんの! 聖夜に似合わないよ!」
「俺に赤と緑の夜は初めから似合いませんよ……。こいつが言ってました。『適性社会に見放された』って」
「そう。……この人も、前の銀行強盗たちも、この光適性の社会からあぶれた人たち。適性社会はほとんどの人に理想的な生活を送れるようにしてくれた。だけど『すべての人に』じゃない。こういう人たちのケアもしっかりしていかないといけないのにね……」
警察に後を引き継ぎ、憂いを帯びたまま俺たちはLOS本部へと足を向けた。
5
班員総出(五人)と
パーティーを終え夜勤の最中、俺は彼女に聞いてみた。
「……九条さんは適性に頼らないんですか?」
恋愛も相性診断の適性システムが使われる。学校に行っている間はそんなものに頼らず好き勝手にやるが、大人になって、将来を考えるときは誰もがそれに頼る。そんな世の中なんだ。そして俺たちはもう遊んでいられるような年齢は脱してしまった。
唐突な、なんのことを指しているかも分からないその質問に九条はまっすぐ答えてくれる。
「それくらい私自身で決めたっていいでしょ?」
その言葉にスッとして、俺は俺の望みを思い出す。あの事件で突きつけられた俺自身の大きな望みを。
「そうですね。俺は……俺も、自分で決めれるようになりたいな」
だから、俺は自分で決めてみた。水族館で九条にもらったクラゲのネックレス。それをこっそりと袖を通したワイシャツの下に首から下げることを。その日から毎日それをつけるようになったのは誰にも言えるまい。
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