第4話


「おねえちゃんこっち!」

「葵、あんまり遠くまで行かないで〜」


 持っていた一眼レフで、一枚、写真を撮った。




 火星で研究者として働く両親が珍しく一緒に旅行に行けることになった。


 行き先は、「地球」


「行って大丈夫なの?」

「大丈夫よ、葵ももう予防接種を受けたことだし、三日間くらいの旅行だもの、大丈夫!」


 それに何かあったらちゃんと治療すれば良いんだから、と母は笑っていた。







 人類が火星へ移住したのは数百年前のこと。


 当時、新型ウイルス〝BT-O99710〟感染症が大流行し、多くの人類が命を落とした。


 多くの研究者がウイルスに対するワクチンや治療薬を開発するために奮闘した。ほとんどの国で国費をその研究に費やし、一刻も早く流行を止めようとしていたらしい。


 それでも、人間の神経に直接感染し高熱を引き起こす殺人ウイルスの感染経路や感染機序は、数百年前の人間の頭脳やテクノロジーでは解析することが出来ず、人間の努力も虚しく、ウイルスは圧倒的な感染力で人間を死に追いやった。


 ウイルスは地球上の人類を脅威に晒した。


 そんな時、アメリカの科学者が言った。




 「地球を出よう」と。




 私が生まれた頃にはもうワクチンや治療薬が開発されており、火星ではまだウイルスが確認されていないにも関わらず、予防接種は義務化されていた。


 七歳、十二歳、二十歳の三回接種。


 地球への旅行が決まったのは、今年七歳になったばかりの妹の葵が人生で初めての予防接種を受けて間もない頃だった。







 それは、次の日の昼の便で火星に帰るという夜のホテルでのこと。


「葵!夕方に撮った葵の写真すごく綺麗で───」


 風呂から上がった葵に夕方撮った写真を見せようと一眼レフを手に取ると、逆上せたように顔を真っ赤にした葵はそのままベッドに横になってしまった。


「あおい?」

「んー…」

「大丈夫?」

「んー…。お風呂、熱かった〜」


 熱かった、そう言っているにも関わらず、妹の小さな身体は小刻みに震えていた。


 何かがおかしい。


 両親は火星の研究所に地球の現状を知らせるために部屋の外でテレビ電話をしていたから、部屋には私と葵の二人だけ。


「あおい?痛いところとかない?」

「ないよ…でも、ぼうっとする」


 赤く、じんわりと汗ばんだ妹の額に手を当てると、思わず手を引っ込めてしまうほどの温度。

 今まで何度か妹が風邪を患ったことはあるし、その度に忙しい両親に代わって私が看病をしてきたけれど、ここまで熱いのは初めてだった。


「まさか…」


 火星を出てくるときに旅行者全員に渡された小さな袋から検査キットを取り出す。


 妹の口内から綿棒で粘膜を少し擦りとって検査キットの上に塗りつけると、


 色が、白から赤色に変わった。






 それが示すのは、


「BT-O99710 陽性」




 予防接種は受けたはずだった。


 事前に受けた抗体価検査も問題なかった。




 それなのに妹の小さな身体は、殺人ウイルスに感染してしまっていた。




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