第395話 【外伝4】6月の憂鬱

 全国高校自転車競技会を終え1ヶ月が過ぎた。

 6月となり雨も多くなってきたというのもあるが、全日本選手権まで1ヶ月を切ったというのに、相変わらず気持ちが今ひとつピリッとしない状況に、流石に冬希も少し焦りを感じ始めていた。

 とはいえ、モチベーションというものを自由にコントロールできるほど、まだ自分というものを理解できていないということも、わかっていた。

 トレーニングの強度は、少しずつ上げていく段階には来ている。しかし、それは他のメンバーたちに引きずられるように走っているだけだ。

 冬希の気力の有無に関わらず、腹は減るもので、日曜日の自由練習で、先輩である平良柊と共に利根運河、江戸川、利根川のサイクリングロードを2周した後、ファミレスで少し遅めの昼食をとることにした。

「から好しか」

「最近、唐揚げにハマっているんですよ」

 真理の家で、大量の唐揚げをご馳走になった後、自分の母の作る唐揚げ以外にも、いろいろな味付けがあって美味しいのだということがわかり、いろいろな店の唐揚げを食べてみる、ということがマイブームになっていた。

 全国高校自転車競技会が終わり、極端に体を絞る必要もなくなったため、食事量も抑えることなく、冬希の体はまた厚みを取り戻し始めていた。そして減量前より、筋肉質になったように感じる。

「相変わらず、気の抜けた顔をしているな、お前」

 柊のいう、相変わらず、というのが全国高校自転車競技会が終わってからのことを指すのか、出会った時からずっとのことを言っているのか、冬希には判断がつかなかった。

「まだ、誰が全日本選手権で、誰がインターハイに出るのか決まっていませんし」

「俺だって、どっちに出るかなんてわかってない」

 1日で終わるワンデーレースの全日本選手権は、上りもあるが決着はスプリントになる。ステージレースであるインターハイは、上りで総合優勝が決まる。その傾向ははっきりとはしているが、今の神崎高校は、平良柊、平良潤は比較的ヒルクライムに強く、伊佐、竹内はどちらかというと平坦向きとなっている。

 全日本選手権でも上りはあるし、インターハイでも序盤は平坦ステージとなっているので、どちらに誰を出すのが良いのか、明確な答えはない。

 理事長兼監督である神崎は、相変わらず何を考えているのか、冬希にはよく分からない。

「潤がわからないというんだから、お前が考えてわかるわけがないだろう」

 それは冬希にもわかっていた。

 潤に相談に行った時、僕にもわからない、という答えが返ってきた。

 ただ、冬希と違って淡々としており、潤に思い悩んでいる様子はなかった。

 やるしかないんだ、という潤の言葉が、ただ冬希の胸に深くささった。

 結局、どっちに合わせたトレーニングをすれば良いかも分からず、ただ目標もなく、走り続けている状況が続いているのだ。

「ちょっとドリンクバー行ってくる」

 柊が席を立った。

 今まで気にしなかったようなことを、気にしている。

 全国高校自転車競技会での優勝で、負けるのが怖くなっているのかもしれない。

 よくない傾向だということは、自分でもわかっている。

 ふと、冬希のスマートフォンが振動し、着信を告げた。

 画面には、坂東裕理、という文字が出ていた。

 冬希は、スマートフォンをそっとカバンの中にしまった。


 柊が戻ってきた。

 透明のガラスコップは、やや緑がかったドス黒い液体で満たされていた。

「それ、飲めるんですか?」

「飲めるに決まってるだろ。この店のドリンクバーは、飲めない液体が提供されているのか?」

「見たことがない色をしてるんですけど」

「メロンソーダみたいな奴と、あと色々まぜてみた」

「なぜそんなことを」

「子供の頃から、誰もが一度は通る道だろ」

「一度じゃなくって、あんたはその道を行ったり来たりしてるんでしょうが!」

 再び、スマートフォンのバイブレーション音が聞こえてきた。

「おい、カバンの中で携帯鳴ってるぞ」

「間違い電話です」

「見てもないのにわかるわけないだろ」

 取らないでおこう、と思ったが、周囲の席や店員の方の視線も気になったので、冬希はカバンのチャックをあけ、渋々スマートフォンを取り出した。

「もしもし」

『お前、恩人からの電話にはすぐ出ろよ』

 間違いなく裕理の声であり、言い草だ。

 裕理から何か恩を受けただろうか。冬希はちょっと思い出せなかった。

 袖ヶ浦のレースで、賞品を譲ってあげたことはあったはずだが。

 だが、助けてやったことがある、と言われると、何かあった気がするのは、冬希と裕理の関係性として自然に思えた。

「すみません、ちょうど練習で走っている途中だったんで」

 とっさに嘘をついた。

 ビデオ通話にしなければ、バレることもないだろう。

 隣の席に食事を届けたネコ型配膳ロボットが、戻りぎわに一言発した。。

「ご注文、ありがとうニャー」

「……」

『……』

「……」

『ガストだろ』

「チ、チガイマスにゃー……なんちゃって」

『冬希、お前パスポート持っているか』

「最近受け取りに行ってきました」

 裕理は話を続けた。

 真面目な話のようで、冬希のくだらない話に付き合う気は無いと見えた。

 先週届いていた。申請から1ヶ月はかかると見ていたが、実際には1週間で出来たて、

『順調だな』

 電話の向こうの裕理の声は、すこぶる上機嫌だ。

 とっさにしょうもない嘘をついたことは、どうやら許されたようだ。

『再来週の土曜日は空けておけ。レースを見に東の方に行くぞ』

 東といえば、佐原、銚子、ちょっと北に行けば茨城、ひたちなかなどもある。南に行けば、成田、酒々井、富里。銚子の先は太平洋だ。

 レースなどあっただろうか。

 冬希はぼんやりと考えた。成田、パスポート。と思考が何かを掴みかけた時、

『着信無視した件は、許してやる。家にいたら、迎えに行ってやる』

「っていうか、なんで俺の家を知ってるんですか?」

『とある男と、今年の全国高校自転車競技会の阿蘇のヒルクライムで、勝った方が知りたいことを一つ教えるという賭けをした』

「はぁ」

『お前の先輩は、快く教えてくれたぞ』

 柊が、テヘッと、舌を出した。

「人の個人情報を売るんじゃないよ!」

 しょうもない嘘をついた代償もあり、冬希は裕理の提案を承諾せざるを得なくなっていた。

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