第389話 二人の距離
日本とフランスの時差は8時間。
露崎、郷田、坂東の3人が全国高校自転車競技会の結果を知ったのは、朝起きてからだった。
「おめでとう、郷田。お前のところ2連覇じゃないか」
「天野が前日に10秒以上のタイム差をつけられたかった時点で、勝負はついていた」
露崎の言葉に、坂東はぶっきらぼうに返した。
「まさか、総合でも勝つようになるとは。冬希もそこが知れない男だ」
生粋のスプリンターであった冬希が、どういう成長を遂げて総合争いをするまでに至ったか、郷田には想像もつかなかった。
冬希とはメッセージでやり取りをすることも多かったため、事故での国体欠場など、その辺りの事情は知っていたが、それだけで総合優勝できるようになるなどということが可能なのか、目の前で冬希の成長を見たわけではなかった郷田には、まったく信じられなかった。
「そんなことよりもだ、露崎、郷田。次のレースをどうするか決めなければ、ニュルブルクリンクのほうはもうキャンセル期限を過ぎているから仕方ないが、マルセイユの方は今日中に返事をよこせとチームから言われている」
「坂東。貯金の方はまだ余裕があるぞ」
郷田は答えた。
3人はチームとしてWCIポイントの獲得を続けつつ、生活費を稼ぐために賞金稼ぎのようなこともやっていた。ドイツのニュルブルクリンクで行われるレースは、賞金も高額なため、WCIポイントが獲得できるマルセイユのレースとどちらに出るか、天秤にかけていたのだ。
「決まりだな、郷田。露崎は監督に連絡をしておけ」
「お金はあるというがな、お前ら。お金があるならさっさと自分たちの部屋を借りろよ。いつまでこの狭い部屋に3人でやっていくつもりなんだ」
「生活費は出しているだろ?」
何の問題があるのか、と坂東は露崎にとぼけて見せる。
実際、坂東の建てる計画は隙が無く、酷く効率的にWCIポイントと賞金を稼ぎ続けていた。
「ニュルブルクリンクの方は、キングのプロチームが足慣らしで出るらしい。交通費の分だけ無駄になる公算が高い」
キングはイギリスのチームで、ツール・ド・フランスを5連覇したこともあるワールドチームだ。その育成用のプロチームが出てくるとなると、たった3人ではどのような手を使ったとしても賞金が出る入賞ラインまでは居れる可能性は、現在のところは高くはない。
坂東は、無理をせずに、確実に賞金やポイントを狙えるレースを選んでいた。自分たちを過大評価することもなく、夢を追う事もなく、確実に狙えるところを狙っていた。
「それとだ。郷田、露崎もだ。マルセイユゴールドレースでは、プロのレースの前に、市民レースもある。それなりに賞金もでる」
「だが坂東よ。コンチネンタルチームの俺たちは、プロのレースの方に出る。市民レースの方には出れんぞ」
露崎が首をかしげていった。
「日本から呼ぶ。俺の弟と、国体優勝の天野、あと冬希もだ」
「青山はわかるがな、お前の弟と、その天野という奴は使えるのか」
「天野は全国高校自転車競技会で総合2位だし、そこそこ走れる。裕理は案内役だ。飛行機代に親父のマイルを使うのに、親族であるあいつが必要だというのもある」
坂東の父は、輸入関係の会社に勤めており、世界を飛び回っている関係上、3人分の往復航空券を余裕で手に入れられるほどのマイルがたまっていた。
「冬希が来るのか。会えるのはうれしいが、全国高校自転車競技会で欠席が多くなっている。来てくれるか」
郷田が恐る恐る聞いた。全国高校自転車競技会は平日も含めて行われるため、その分の遅れを取り戻すのはそれなりに大変なのだ。
「普通に言えば来ないかもしれないな。まあその辺は裕理がうまくやる」
罠にはめよう、ということだろうか、郷田は冬希が心配になってきていた。
「冬希がパスポートを持っているとも限らんぞ」
「そこは盲点だった。そこも裕理に気を付けさせよう。郷田」
にやりと笑う坂東を見て、郷田は心に引っかかるものを感じた。余計なことを言ってしまった気がしてたのだった。
表彰式後、福岡の街を真理と二人でゆっくりと散策、という展開にはならなかった。
神崎高校吹奏楽部は、表彰式が完全に終わるころには、既に福岡空港へ移動していた。
博多駅から市営地下鉄で2駅。驚くべき利便性の高さだ。
総合優勝者のインタビューも、報道学部連が取りまとめてくれたおかげで、なんども同じ話をする必要もなかった。
黒川、南、立花らとあいさつを済ませ、植原とは、二人で江戸川をサイクリングする約束をした。
印象的だったのは、裕理がしきりに、冬希にパスポートを持っているか、作る予定があるかを聞いてきたことだった。
神崎高校は修学旅行も国内なので、冬希は必要性を感じてはいなかったのだが、あまりに執拗にパスポートの重要性を主張してくるため、千葉に帰ってから調べる、とだけ言って引き下がらせた。
福岡で一泊し、翌日には千葉へ帰ってきた。
優勝報告などの行事は、理事長兼顧問である神崎が後日にしてくれたのだが、表彰関連でもらったメダル、盾、トロフィー、賞状などの荷物があまりに多かったため、一度全員で学校に寄ってから解散することとなった。
とりあえず、表彰記念品は、箱に入ったまま、いくつもの紙袋にわけられ、分担して持ち帰ってきた。
今は、部室に積み上げてられていた。
宅配便で発送してもよかったのだが、なんとなく、自分たちの手で地元に持ち帰りたかったのだ。
平良兄弟は、輪行バッグに入った自転車ごと、迎えに来てくれた親の車に乗せられて帰っていった。
竹内と伊佐も、流石に輪行を解いて自走して帰る気力は残っていないようで、輪行バッグごと部室に置いて、バスと電車で帰っていった。
冬希も輪行バッグを部室に置くと、戸締りをして部室の鍵を返しに行った。
途中、廊下で神崎に行き会った。
「冬希君、帰るのかい?ご苦労だったね」
「いえ」
「鍵は僕から返しておくよ」
「よろしくお願いします」
神崎は、今年の大会は、初優勝した去年よりもずいぶんと落ち着いて見れていた、とのことだった。
神崎高校で全国高校自転車競技会で総合優勝する、という夢を昨年には叶えた神崎が今、何を考えながら神崎高校自転車競技部を続けているのか、冬希には想像もつかなかった。
元々、なにを考えているのか全く読めない人ではあったのだが、今回の大会は、特に言葉数が少なかった気がした。
冬希が校舎から出て、着替えと荷物の入ったスポーツバッグ1つでバス停に向かおうと思ったが、しばらく校門のまえで待つことにした。
吹奏楽部の練習の音が聞こえなくなっていることに気が付いたのだ。
しばらくすると、吹奏楽部の部員たちが校舎から出てくるのが見えた。
その中の一人が、冬希の元に駆け寄ってきた。
「冬希君、待っててくれたの?」
「ちょうど練習が終わったころかと思って」
冬希は、事も無げに真理に言った。
「あ、そうそう。これ」
冬希は、真理に最終ステージで優勝した際にもらった、記念品のぬいぐるみをスポーツバッグから取り出し、渡した。
「ありがと、冬希君。かわいいねこれ」
「総合リーダージャージを着ている猫、らしいよ」
チベットスナギツネ、のようなやる気のなさそうな目をしている。
「猫なんだ。どこかちょっと冬希君に似てるかも。優勝しないと貰えないんだよね?」
「そうらしいね、そういうのプライズ品っていうのかな」
「それはUFOキャッチャーの景品とかを指しているんじゃないかな」
真理はからからと笑いながら言った。
笑顔がうれしかった。真理を待っている時間も、楽しかった。
冬希はバス停の方へ歩き出そうとするが、真理は、冬希をじっと見つめて動こうとしない。
「……」
冬希も真理を見つめ返す。
「……」
可愛い。
呼吸をするのも忘れるほど、見入ってしまう。
このまま窒息してしまうかもしれない。それも悪くないと思った。
綺麗な卵型の顔。二重で澄んだ瞳、整った鼻と口。
好みの顔、と言えば安っぽいかもしれないが、まさに冬希の心のど真ん中を打ち抜いていた。
人それぞれの好みの女性がいるとしたら、真理は冬希にとってのそれだった。
「……どうしたの?」
危うく三途の川を渡りかけた冬希が、真理に問いかけた。
「えっと、いつもの冬希君だなと思って」
ふむ、と指をあごにあてるしぐさも可愛い。
と、見惚れている場合ではない。冬希は真理に言葉の意味を理解すべく、目まぐるしく頭を回転させた。
全国高校自転車競技会で総合優勝したことを言っているのだろう、という結論に達するのに、それほど時間は要しなかった。
「変わらないよ。しんどい経験はしたけど、だからといって急に人が変わったりはしないんじゃないかな」
「冬希君は、俺は最強だあ、とかにはならないの?」
「それはちょっと頭のおかしな人だなあ」
「うん、そうなったらちょっと嫌かな」
ちょっとなのか、と冬希は思った。
想像してみる。真理が吹奏楽で全国のコンクールで優勝して、高笑いしている姿。
それはそれで悪くない、だが、今の真理の方が話しやすくていいかもしれない。
嫌かと言われれば、ちょっと嫌かも。
そう、確かにちょっとだ。
「少しだけ、ほんの少しだけだけど、冬希君が雲の上の存在になっちゃうのかな、って思ったりしたからさ」
真理の、少し寂しそうな表情を見ると、冬希は胸が締め付けられるような気持ちになった。
「少し、歩こうか」
校門で向き合う二人の向こうのバス停。
定刻通りに、駅へ向かうバスが発車していた。
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