第388話 全国高校自転車競技会 第10ステージ 表彰式

 会場では、表彰式が始まろうとしていた。

 表彰される選手たちが待機するテント内の空気は、永田が期待したほど、冬希が入ったことによる改善は見られなかった。

 静岡の千秋は、つまらなそうにスマートフォンをいじっているし、佐賀の天野は、ステージの反省をしているのか、ずっとうつむいて考え込んでいる様子だ。宮崎の南は、スプリントの時に接触した黒川がいることで気まずそうにしているし、黒川は、他者を寄せ付けない独特の空気を放ち続けている。

 冬希は、他のメンバーほど黒川を話しにくい相手とは思っておらず、特に気にすることなく隣に座ってはいたが、真理に会えておらず、少なからず落ち込んでいた。

 頼みの綱の冬希も、緊張を緩和する存在になりえず、永田はもはや諦めたのか、感情を失った表情をしており、置物のようになっていた。

 それにしても、真理はどこへいるのか。

 顔だけでも見ることが出来れば、と思っていたが、今は最早どこかで迷子になっているのではないか、トラブルに巻き込まれてはいないか、そういった心配ばかりが脳裏を過った。

「女か」

 冬希は驚いて、声をかけてきた黒川の方を見た。

「どうしてそう思われたのですか?」

「多田が、時々そういう表情をすることがあった。あれも女がいるからな」

 この黒川の面倒を見続けているのだから、多田は余程性格がいいのだろう。女性にも好意を持たれそうな人柄ではある。

「黒川さんから見て、俺はどういう表情をしているように見えたのでしょうか」

「お前が何を考えているかはわからんが、多田は付き合っている女に会えない時に、そういう顔をしている」

「そうですか」

「別の学校に通っているため、週末しか会えぬのだが、俺が練習の予定などを入れて時間が無くなることもあるのでな」

「あんたが原因か」

 冬希は少なからず多田に同情した。

「青山、おまえだって練習に割かれる時間は少なくないはずだ。でなければ、このような結果を残せるはずがないからな」

「結果については、ありえないことだと、最近思うようになりましたよ、黒川さん」

「異なことを言う。全国高校自転車競技会では1年生にしてステージ4勝、全日本選手権でも入賞し、インターハイでもスプリントで露崎を倒した。今年の全国高校自転車競技会では総合優勝だ」

「去年までは、自転車ロードレースで勝つのが、どれほど大変なことか、あまりわかっていなかったと思います。今回、いまここにいるメンバーを相手に、勝つことがどれほど難しいかを思い知らされました」

「しかし青山、お前は勝ったではないか」

「まあ、結果的には。難しいとは思っていても、結果が出ているこの状況がいつまで続くのか」

「不安か?」

 冬希は、少し考えた。

「不安ではないです。負ければ実力が足りなかったというだけの話で、その辺はあまり気にしていないです。ただ、応援してくれている人たちには申し訳ない気がしますね」

 黒川は鼻で笑った。

「それこそ、気にする必要がない事だ。そういった連中は、勝てば喜んでくれるだろうが、それも一瞬の事だ。また次の結果を期待し始める。そこに応えられると思っているのなら、甘いと言わざるを得ないな」

「手厳しいですね。黒川さん」

 黒川の言う通りかもしれない、と冬希は思った。

 そこは、黒川がとうに通ってきた道なのかもしれない。ユースチームのエースで、前年のシリーズ総合優勝。例え今年も走ったところで、それ以上の結果は出しようがない。

「自転車を始めるきっかけは、女のためだったとして。お前は今なんのために走っているのだ」

 冬希は考えていたことを、逡巡しながらもなんとか言葉にしようと努力した。

「それは、先ほど南にも言われて考えたのですが」

 言葉を選びながら、なんとか説明しようと思った。

「その子と同じ学校に通ったら終わり、というわけではなく、少しでも彼女にふさわしい男になれれば、と考えているのだと思います」

「ほう」

 黒川が、興味深そうな目で見てきた。

「それは女がそう望んだか」

 黒川の言葉の意味を、冬希は一瞬考えなければならなかった。

「全国に行ってとか、勝って、とかいうことを言ったか、ということですか。多分、そういう事をいう子ではないと思います」

 真理と二人でいる時には、レースの事や大会の事など、話題に上ったことすらなかった。

 付き合うようになってわかったことだが、彼女はとても思慮深かった。

 冬希は、そんな真理の側面を見せられるたびに、いかに自分が幼稚であるかを、思い知ってきた。

 真理が冬希との会話で、レースの事を話さないのは、冬希が自転車を辞めても関係が変わらないようにするためであり、冬希の活躍を期待するようなことを一切言わないのは、勝てなかったときに冬希が、真理の期待に応えられなかった自分を責め続けたりしないように、という配慮があるのだと、冬希は薄々感じていた。

 一方で真理は、自分と同じ程度の配慮を冬希に求める傾向があり、配慮に欠ける言動や行為があった場合、怒られることも何度かあった。

 ある時、私、面倒くさいでしょ、と真理は言った。だが、その面倒くささも、冬希の心に深く突き刺さった真理の大きな魅力のひとつだった。

 会いたい。

 冬希は、叫びたくなるほど強く想った。


 表彰式が始まった。

 ステージ優勝の表彰で、冬希はゲートから、博多駅の博多口側広場、大きな時計の前に設置された、表彰台に向かって歩いていく。

 表彰台への通路は、観客たちとは柵で仕切られている。

 どこかにいないだろうか。冬希は真理の姿を探して周囲を見渡しながら、表彰台へ向かった。

 だが、姿は見えなかった。

 表彰台の一番高い位置に上る。

 周囲を見渡す。どこかに真理がいるのではないか。だが、あまりにも人が多く、冬希はその姿を見つけることが出来なかった。

 メダル、盾、記念品を受け取り、報道学部連のインタビュアーからいくつかの質問に受け答えし、表彰台を降りた。

 ゲートから出ると、テントの前に待機していた竹内に、受け取ったものを渡した。

「冬希先輩、元気がないですね。どうしました?」

「竹内、そう見えたか?」

 冬希が真理に会いたいというのは、個人的な感情であり、大会を見に来てくれたお客さんや、長い期間運営に携わってくれたスタッフ、共に戦ってきた選手たちには関係のない話だ。

 つまらなそうな表情をするのは、申し訳ない事だと冬希は思った。

「大丈夫ですか?」

「ありがとう、竹内。気を付けるよ」

 新人賞、山岳賞、スプリント賞の表彰が次々に続いていった。

 先ほどまでテントでつまらなそうにしていた山岳賞の千秋が、表彰台の上では一番愛想を振りまいており、インタビューにもにこやかに応対していることに、冬希は驚きを禁じ得なかった。

 見習わなければなるまい。

 最後に、総合成績の表彰が始まった。3位の黒川、2位の天野が呼ばれた。

 前年度のユース総合優勝である黒川、同じく前年度国体王者の天野、ともに慣れた様子で表彰台に上っていった。

 次に、冬希の名が呼ばれ、表彰台までのゲートをくぐった。

 ステージ優勝の時より、一層大きな歓声が会場を包んだ。

 冬希は、表彰台へと歩いていく。

「冬希君」

 どんな歓声の中でも、聞きまごう事なき声。

 柵の向こう、最前列に真理の姿があった。

 気が付くと、冬希は通路を外れ、柵越しに真理の前まで走っていっていた。

「えっ、わっ、冬希君、こっちに来ちゃっていいの??」

 真理は慌てているが、もうそんなことは関係ない。

「どうしてここにいるの?ずっと探してたんだ」

 先ほどまでの作った笑顔ではなく、心からの笑顔になるのを感じた。

「表彰式見たいからって、吹奏楽部の部長さんにちょっとだけ別行動させてもらって、早めに表彰式の会場で待ってたんだけど、もう結構みんな待ってて。山岳賞の表彰が終わった時に、たぶん同じ学校の人たちだったと思うんだけど、前の人たちがどいてくれて一番前まで来れたの」

「ええ、なんだ、そうだったんだ」

 本当に会いたかった。でも実際に会ってみると、言葉が出てこない。

「あ、まだ言ってなかったね。冬希君、優勝おめでとう」

 真理の祝福の言葉、だが、それは冬希が期待していたものとは少し違っている気がした。

 具体的に何が違うか、上手く言えない。だが、伝えなければ、わかるはずもない。

 適した言葉が浮かんでこない。だから、頭に思い浮かんだ言葉を叫んだ。

「褒めて!」

 真理は驚いた顔をした。冬希自身も驚いていた。まるで小さな子供が母親にお願いするようだ。

 戸惑いながらも、真理は小さく頷いた。

 ふっ、と真理の手が伸びてくる。

 優しく空気が揺れ、サボンの香りがした。

 真理の手は、冬希の頭に伸び、ゆっくり動いた。

「えらいえらい」

 よりにもよってその言葉かと思ったが、言われてみると、冬希が求めていたものと、大きく違いは無いように思えた。

 冬希は目を閉じ、くすぐったさを感じながらも、撫でられるに身を任せた。

 閉じた瞼から、涙が溢れそうになるのを必死にこらえた。

 長く、苦しい大会だった。

 途中、喜びなどあったかわからない。

 いばらの道を歩んできたようなものだ。

 だが、全ての苦難が、報われた気がした。

『あの、青山選手。そろそろ……』

 報道学部連の生徒がマイクで呼びかけた。

 我に返ると、全ての観客が自分たちに注目していたことに気が付いた。

 表彰台を見ると、黒川はにやにやしながら、天野は戸惑ったようにこちらを見ていた。

「あ、すみません」

 冬希と真理は、二人で赤くなった。

 冬希は、真理の元を離れ、慌てて表彰台に駆け上った。

 黒川から肘で小突かれた。

 冬希は、今度は心からの笑顔で、観客の声援に応えた。




■第10ステージ

1:青山 冬希(千葉)1番 0.00

2:立花 道之(福岡)401番 +0.00

3:伊佐 雄二(千葉)2番 +0.00

4:天野 優一(佐賀)411番 0.00

5:赤井 小虎(愛知)231番 +0.00

6:黒川 真吾(山口)351番 +0.00


■総合

1:青山 冬希(千葉)1番 0.00

2:天野 優一(佐賀)411番 +0.03

3:黒川 真吾(山口)351番 +0.32

4:永田 隼(愛知)235番 +3.12

5:植原 博昭(東京)131番 +8.21

6:三浦 新也(神奈川)141番 +10.49


■山岳賞

1:千秋 秀正(静岡)221番 25pt

2:植原 博昭(東京)131番 16pt

3:青山 冬希(千葉)1番 13pt

3:天野 優一(佐賀)411番 13pt

5:黒川 真吾(山口)351番 10pt

5:平良 柊(千葉)4番 10pt

7:牧山 保(茨城)81番 9pt


■スプリント賞

1:南 龍鳳(宮崎)455番 217pt

2:水野 良晴(佐賀)415番 167p

3:立花 道之(福岡)401番 184pt

4:赤井 小虎(愛知)246番 161p

5:青山 冬希(千葉)1番 150pt


■新人賞

1:永田 隼(愛知)235番 0.00

2:竹内 健(千葉)5番 +11.36

3:村岡一行(鹿児島)465番 +43.22

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る