第386話 全国高校自転車競技会 第10ステージ レース後

 続々と選手たちがゴールしてきた。

 冬希は、後続で何が起こっていたか確認すべく、伊佐に事の次第を話させていた。

 南、黒川、冬希が交錯している状況については把握していたが、なにかゴチャっとしているな、程度の認識だったようだ。

 話によれば、おそらくその前に天野は動いていたのだろう、ということだ。

 おそらく、というのは、伊佐自身がその時すでに天野を見失っていたのだという。

 天野を探してきょろきょろいるうちに、残り200mを切ってしまい、慌ててスプリントを開始したとのことだ。

「冬希先輩の言っていたことが、初めて分かった気がしました」

 冬希は、伊佐にスプリントで勝つ方法を聞かれ、極力自分の脚を使わないことだ、と答えていた。

 期待した回答とは違ったのか、あからさまにがっかりした表情を伊佐がしていたのを覚えている。

 今日のステージの終盤での伊佐は、先頭集団の前の方で、自分からは一切動くことはせず、ずっと冬希が上がってくるのを待っていた。

 スプリントについても、天野を見失って動揺していたことで、図らずしも仕掛けがいつもより遅くなり、最後までスピードを維持することが出来た。

 天野の動きを把握して、同時に動いていたとしたら、また違った結果になっていたかもしれない。

 黒川がやってきた。

「首尾よく勝ちを拾ったようだな、青山」

 言われてみればその通りだと、冬希は思った。

 総合成績で言えば、まさに勝ちを拾ったというほかない。

「伊佐のおかげです。黒川さんはご存じですか?」

「ああ。いい走りをする1年がいる、と思っていた」

「きょ、恐縮です。黒川選手」

 伊佐がガチガチに緊張している。流石は黒川。国内でプロを目指す中高生たち全員の憧れと言っていいだろう。

「でもよかったんですか、黒川さん。南とぶつかってしまって」

「南が寄せてくる、ということは、結局のところお前と南の間に挟まれていた俺も、行き場がなくなるという事だ。どのみち突っ込むしかなかった」

「俺は、助けられた、と思っています」

「最後のスプリントでどうなったところで、俺は総合3位という結果は変わらなかった。悔いが残らない選択をした、と思っていてくれ」

「はい」

「南には、敵前から逃げて悔いを残す、という経験が足りなかった。安易な勝ちを求めた瞬間、並の選手におちてしまった」

 最後の勝負所で、決死の覚悟で勝負に出たスプリンターたちを相手に、それは致命的だった。

「まあ、おめでとう、と言っておこう、青山。久しぶりに充実した戦いが出来た。この数日間は、本当に楽しかった」

 黒川は、冬希たちに背を向けると、片手をあげて去っていった。その先に、笑顔の山口の選手たちの姿が見える。

 黒川が去るのを待っていたかのように、次々に冬希の元に、選手たちが祝福に訪れた。

 立花、植原、山賀まで。それを見て、話したこともない選手たちまで列をなし、順番待ちの行列が出来上がっていた。

 冬希は、基本的に全選手のゼッケン番号と名前を憶えていたため、一人一人の名前と感謝の意を伝え、総合優勝者に認知されていた選手たちは驚き、感激していた。

 一度待機エリアまで進んだものの、戻ってくる選手まで現れた結果、ゴール前を塞ぐ渋滞を発生させてしまった。

「青山選手、いい加減に先に進んでください。邪魔なので」

 係員に酷く怒られ、冬希は平謝りした。


 フィニッシュラインに設置されたゲートの、左半分は選手の人だかりで通行止めになっていた。

 裕理は、それには対して興味を示さずに、空いているゲート右側からフィニッシュラインを通過した。

 フェンスにバイクを立てかけ、酷く落ち込んだ様子の天野の姿が目に入った。

「負けたか」

「すみません」

「いい、天野。お前のせいじゃない」

 全体的に千葉には、終始押され気味だった。結果は仕方ないと言わざるを得ない。

 チーム力、戦略、全てが劣っていたのだ。

「最後の大博通、真後ろに南がつけ、私は彼のスプリントのアシストをするつもりでした」

「そうはならなかったのか」

「私が引っ張る前に、南が先に動きました」

 裕理は、思わず笑いが出そうになった。南からすれば、天野がアシストしようとしているなど、夢にも思わないだろう。

 天野から南に一声かければ済む話だったかもしれない。ただ、冬希か伊佐か、近くに千葉の選手がいたため、勘付かれないよううまくコミュニケーションが取れなかったのだろう。

「それで?」

「黒川選手、それに青山冬希も前に上がったので、動かざるを得ませんでした」

「その判断は正しかったな。南が先に動いた以上、奴の成績に関わらず、お前がやれることは3位以内に入ることだけだからな」

「遅かったのだと思います、裕理さん」

「遅かっただと。仕掛けが早すぎて、後ろから差されたのではないのか」

「仕掛けがではなく、自分で勝負するしかない、と思い定めるのが遅すぎたと思います」

 南を勝たせる、という消極的な選択肢が、天野の気合をぼやけさせた、というのであれば、責任は裕理にもあると言ってよかった。

「全ては展開のあやだ、天野。その展開を味方につけられるほど、我々に力がなかった」

「はい」

「振り返りは明日やる。今日はそれ以上落ち込んだ顔をするな。表彰式で暗い顔などするようことは、県を代表している身として許されないと弁えろ」

 天野は、毅然とした表情を取り戻した。

 それを見た裕理は満足した。


 博多駅前を通り過ぎ、郵便局の前あたりには、潤、柊、竹内、それに一足先に合流した伊佐がいた。

「おせえよ」

 柊がぷりぷり起こっている。

「柊先輩は、早く冬希先輩のお祝いが言いたくって、待っていたのです」

「竹内、余計なことをいうな」

 潤が、冬希を出迎えるように前に出てきた。

「先頭に残した伊佐は、役に立ったようだな、冬希」

「はい、あれをアシストというのはどうかと思いますが。そういう使い方を想定していたのですか?」

「まさか。そういう役に立ち方もできる、ぐらいだ。実際にそういう展開になる可能性は、それほど高いとは思っていなかった」

 荒れた展開になった。伊佐は優秀なスプリンターだが、全国の強豪の中で3位に入れたのは運もあったのだろう。

 黒川と南が絡み、赤井も出遅れた。

 万全の状態でスプリントを行うのが、どれほど難しいか、ということでもある。

 間隙を突いた天野を差し切った。

 伊佐が十数㎝前にゴールしただけで、冬希は総合優勝となり、天野は2位となった。

 プロローグから1000㎞以上走り続けて、十数㎝で決着がつくのだ。

 それが自転車ロードレースというものなのだろう。

「冬希はいつもの走りをした。チーム全体でそれをアシストし、最後に伊佐が決めた。そういうことだ」

 柊が言った。ステージに関してはもちろんそうだが、大会を通してのことと考えると、冬希にもしっくり来た。

「あまり時間がない、冬希。表彰式だから、新しいジャージに着替えてくれ」

 伊佐がテントの方から、洗濯済みのジャージを持ってきた。

 冬希は、竹内から受け取った濡れたタオルで顔を拭いた。

 タオルの、拭いた部分が茶色くなった。

 これは10ステージ分の汚れだと、冬希は思った。、

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る