第383話 全国高校自転車競技会 第10ステージ⑥ 最終周回へ

 天神、博多駅周辺を周回するコースに入った。

 一周5㎞で、ここまでほぼ直線で走ってきたことを考えると、急なコーナーが多く、減速して加速が繰り返される、選手たちにとっては苦しいレイアウトになっていた。

 冬希は、先頭集団内で、相変わらず天野の姿を見つけることが出来ていなかった。

 しかし、少しずつ位置を変えながらその姿を探すことで、ある程度はその居場所を特定できていた。

 今まで動いていて、唯一死角になっていて見えなかった場所。

 宮崎のトレインの中。

 そう、南龍鳳の巨体の向こう側だ。

 それがわかって、改めて冬希は天野の恐ろしさを思い知った。

 天野は、決して冬希に位置を勘付かれないようにしているだけではなかったのだ。

 ゴール前で、南の番手を利用して仕掛けることも、そして南自身を勝たせるためにアシストすることも出来る。

 一度わかってしまうと、今まで何故気づかなかったか、というほど天野が気を放っているように感じた。

 自分は、吞まれかけているのかもしれない。

 冬希は、頭を振って、自分の中の怯懦を追い払った。現実以上に相手を大きく見て萎縮することほど、無駄なことはないのだ。

 集団の後ろを振り返った。

 潤も竹内も、姿は見えなかった。

 愛知の山賀の姿は見える。あれほどのペースで集団を牽引し続け、ここまで残っているのが信じられない。

 集団の前に目を移すと、かなり前の方に、千葉のサイクルジャージが見えた。伊佐だろう。

 集団の中ほどにいる冬希のところまで下がってこずに、前のポジションを維持し続けている。

 それでいい、と冬希は思った。

 一度後ろに下がれば、前に上がるのにまた脚を使う事になる。

 近いところに植原の姿が見えた。麻生、夏井といった東京のアシストの姿もある。

 植原は顔色も悪く、発汗も見られる。

「植原、大丈夫か」

「痛み止めの効果が切れてきただけだ。それより青山の方の調子はどうなんだ」

「ようやく天野の動きがわかってきた。といっても、このステージはやる気だってことぐらいだけど」

「おかしなことを言うな。やる気がなければ、集団に残っていたりはしないだろう」

「それでも大きな進歩なんだよ。ここまでは、姿を捉えることすらできていなかったんだからな」

 天野が手強い、という認識は一層強くなった。

 だが、姿が見えない、という得体の知らない不安からは解放されていた。

 天野が冬希に仕掛けていた、姿を見せないという動きは、それほどまでに冬希に大きなプレッシャーを与えていた。

「勝てそうか?」

「自信を持って戦えるかというと、そこまでではないな。ゴール前でどうなっているか、まったくわからない。予想外のことが起きるだろうし、それに自分が対応できるかどうかもわからない」

「きっと大丈夫だと思う。お前は落ち着いている。僕はそれを確認するためにここに踏みとどまっていたんだ」

 植原は、笑っているように見えた。

 顔色は悪く、水をかぶった後のような汗だ。

 だが、植原は笑っていた。

「植原、お前がそういうのだったらそうなんだろうな」

「信じるか、青山」

「お前は、俺よりもよほど信用できる人間だからな」

 植原は、先頭集団から千切れていった。冬希は、一緒にいた麻生と夏井に軽く会釈をした。

 麻生は、冬希の目を見て、軽く頷いた。

 二人はきっと、植原を守りながらゴールまで連れて行ってくれるだろう。

 冬希は、実際のところは、結果自体はあまり心配していなかった。

 天野と自分、どちらが総合優勝にふさわしいか。ただそれだけの戦いだと、思い定めていた。


 平良潤も竹内も、先頭集団から千切れていくのを確認していた。

 平良柊は、竹内に牽引されて追走集団に追いつく際に千切れていったので、冬希を含めて4名の動きは把握できていることになる。ただ、残り1名がどこかにいなければ、勘定が合わない。

 残り1名というのは、スプリンターの伊佐だが、冬希と合流した気配はない。

 千葉は、伊佐をなにかの目論見に使おうとしていると考えるべきだろう。それがはっきりするまで、動くべきではない、と天野は思っていた。

 冬希の動きをマークしつつ、どこかにいる伊佐を探さなければならないということは、天野の精神を徐々に疲弊させていた。

 右前に、宮崎のスプリンター南龍鳳がいる。

 その巨体は、天野の身を隠すのに利用できたが、天野の視界もかなり制限する存在となっていた。

 南は、天野の事など見えていないかのように振舞っている。

 この男を勝たせるか、自分が3位以内に入るかで、総合優勝が決まる。

 第9ステージで、総合成績で冬希に10秒以上の差をつけていれば、今日は集団でゴールするだけでよかった筈だった。だが、青山冬希はそれを許さなかった。

 本当の強者というのは、そういうものなのかもしれない。決定的な差だけは絶対につけられない、そんな得体の知れない強さを持っているのだ。

 天野自身は、強さを追求してきたというつもりはなかった。

 何か、前に進まなければならないという、脅迫感のようなものの中で、ひたすら自分を鍛えてきた。

 前に進めば、何かが楽になるのかと思っていたが、そのようなことはなかった。

 前に進めば進むほど、背後も狭くなった、

 強くなり、実績を残せば、それだけ周囲の期待という壁が背後から迫ってきた。

 結果的に、心が自由でいられる範囲は、ほとんど変化がなかったといっていい。

 ほとんどの高校生は国体に優勝しなくても、何事もなく生きていける。だが、勝てば勝ったで、その事実に翻弄されることになった。

 冬希の方に目をやった。

 彼も、同じような感覚の中で戦っているのだろうか。一度、話してみたいと思った。

 那津通りから大博通りに入った。右へのコーナーリング。

 見えた。先頭集団の前の方、千葉のサイクルジャージ。

 その時、天野は初めて、伊佐の姿を視界にとらえた。

 伊佐が集団の前の方に位置し、そこから動かないということは、冬希の方からそこまで上がっていく、ということだ。

 千葉の動きが、今はっきりと見えた。

 そうとわかれば、いつでも仕掛けられる位置に、早めにポジションを上げておくべきだ。

 早めに上がっておけば、それだけ上がるのに使った脚を回復する時間も長くとれる。

 天野はペダルを踏む足に力を入れた。

 1周目のフィニッシュラインが見えた。

 通過すれば、最終周回が始まる。

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