第382話 全国高校自転車競技会 第10ステージ⑤ 裕理の終わり

 さすがに牧山と有馬に協力して逃げられると、山賀ひとりで捕まえるのには骨が折れた。

 しかし、その仕事は完遂することが出来た。

「化け物かよ」

 集団に吸収されながら、有馬が吐き捨てるように言った。

 たわけたことを言う、と山賀は思った。

 去年のインターハイを走ったのならば、自分を化け物などと言えないはずだ。

 昨年の全日本チャンピオンである郷田隆将。

 山賀は、あのレベルのルーラーに自分がなれたと思ったことは、一度も無かった。

 佐賀の坂東裕理を含め、3人の逃げを捕まえるだけでこのざまだ。

 だが、きっちり周回コースへ入る前に、仕事を終えることが出来た。

 この後は、コーナーが続く加速、減速が続く周回コースであり、殆ど脚を使い果たした山賀が残っていても、チームの邪魔になるだけだ。

 下がっている途中、名状し難い気配を感じた。

 先頭集団の中断よりやや後方。

 いったい何なのか、何が起きているのか理解できなかった。

 それが、一人の男の発する気配だと気づくのに、わずかながら時間を要した。

 青山冬希。

 昨日までの、山賀の冬希に対する評価は、優秀なスプリンター、というものだった。

 今、山賀は己の不明を恥じていた。

 あれを優秀なスプリンター、などと考えていたとすれば、自分の目こそ節穴ではないか。

 山賀の視線は、自然と冬希に吸い寄せられていた。

 ただならぬ気配、という以上の表現を、山賀はできなかった。

 冬希が、時折なにかを探すように周囲に視線を飛ばしていた。

 冬希から、集団を挟んで対角線上、総合リーダージャージ。

 去年の国体で総合優勝した、佐賀の天野優一。

 山賀の位置からははっきりその姿を確認できるが、巧妙に冬希の死角に入り、なにより見事なまでに気配を殺している。

 先頭集団のペースは落ち着いているように見えるが、この二人はずっとこのような戦いを続けてきたのだろう。

「赤井には、二人の相手は荷が重いか」

 山賀は、先頭集団に留まることにした。

 体は疲労感に包まれ、ペダルを踏む足も、万全な時に比べると力が入っていない。

 しかし、このまま下がっていくことが、惜しい気がした。

 このステージの勝敗の行く末を、直に見ておきたい。そして、そこに関わっていたい、という感情が湧いてきていた。

 どのみち、今日で最後なのだ。多少の無理も許されるだろう。

 どこまでやれるかは、わからない。だが、集団から千切れれば、もう機会はない。

 山賀は、最後まで戦う事を選んだ。


 もはや、レースはコントロール不能となっていた。

 レース前に、坂東裕理が数十パターンのシミュレーションをした、どのケースにも当てはまらない展開となっていた。

 先頭でひたすら逃げていた裕理は、同じ佐賀の選手たちがどういう状況となっているのか、全く把握できていなかった。

 有馬や牧山の逃げに、ほとんど寄与することは出来なかった。

 裕理は二人とともに集団に吸収された。ほとんど一瞬で飲み込まれたと言っていい。

 集団に誰が居て、誰が居ないのか、確認する余裕すらなかった。

 そして今、先頭集団となったグループからも、脱落しようとしていた。

「天野は先頭集団に戻った。けれど佐賀のアシストは一人も残れなかったよ」

 その言葉に、裕理は顔を上げた。

「平良潤か」

 潤は、敵意など欠片もない目で、裕理の目を見てきた。

「坂東。君とは一度、会って二人で話してみたいと思っていた」

「お前がこの位置にいるという事は、冬希が集団に戻る算段が付いたという事か」

「見事な攻撃だった。全く予測できなかった。それにより竹内は先頭集団に残ることが出来なかった」

 冬希が戻れたという事は、裕理の作戦は半分は成功し、半分は失敗したということになる。

「気になることを言ったな。天野は先頭集団にいるのか」

「いる。冬希は見失っているようだが」

「教えてやらなくてもいいのか」

「冬希も馬鹿じゃない。姿が見えないという事は、見えない場所にいるという事だ。見えなくとも、いるであろう位置はわかるはずだ」

「余裕があるように見えるな、お前には。まだ集団には南龍鳳もいるのだろう?」

「冬希が南に勝てなければ、それまでだということだ」

「冬希が勝っても、天野が3位以内に入れば、お前らの負けだぞ」

「それこそ、天野が総合優勝にふさわしいという事ではないか」

 この男は達観している、と裕理は思った。ずっとそう思い定めて戦ってきたのだろうか。

「平良、もう俺たちにできることはない、ということか」

「僕はそう思っているよ、坂東。ここでこうして話している。僕たちの戦いは終わった。あとは冬希と天野の戦いだ」

「あいつらに、俺たちの力は必要だったのだろうか。二人は、自分の力だけでも戦ってこれたのではないかと思う事がある」

「そうかもしれない。だが事実として僕らは戦い続けてきた。それは間違いない事だ」

 役目は終わったのだと言われた気がした。

 緊張が解けたのかもしれない。

 裕理の頬を、涙が伝った。

 こらえようとした。しかし、どうやっても両目から流れ出る涙を止めることは出来なかった。

「坂東、最後に話せてよかった」

「お前とは、長い付き合いだった、という気がする」

 裕理は踏み止めた。

 先頭集団から千切れた後続の選手たちに、次々に抜かれていった。

 永遠に思えるほどの長い時間、戦ってきた気がした。

 去年3年生だった兄が引退し、裕理一人でチームを背負ってきた。

 だが、もうその仕事が終わったのだ。

 裕理は、涙でにじむ先頭集団を、静かに見送った。

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