第381話 全国高校自転車競技会 第10ステージ④ 草香江
メイン集団は散り散りになった。
茨城の牧山、宮崎の有馬、そして佐賀の坂東裕理のアタックにより、集団前方は彼らを追うために急激にペースアップし3か所から4か所ほどでメイン集団は分裂していた。
坂東裕理が動くことを予測できなかった点については、自分の不明と言っていいだろう。また実際に動いていたことも察知できなかった点については、裕理の巧妙さを褒めるしかない。
ただ、有馬が動いた点についてだけは、潤はどうしても理解できなかった。
有馬は、宮崎で南の最終発射台として最も警戒すべき人物であり、この段階で宮崎が切っていいカードではないはずだった。
頭だけで考えるな、という事かもしれない。
いくら考えても答えなど出てこない、心情的な何かが働いたのか。
理屈をこねくり回し、心の機微に疎い。そんな自分の弱さを突かれた気がした。
「潤先輩、俺らも追走に協力しますか?」
ペースの上がる追走集団の中で、気力をみなぎらせて伊佐が言った。
「追うのは、他チームに任せておけ、それよりも問題は後ろだ」
冬希と竹内は、この寸断されたプロトンの中、どこまで上がってきているか、まだわからない状況だった。
当然、前に追いつこうと竹内が動いてはいるだろうが、間違いなく二人の後ろには佐賀のメンバーが、送り狼のように付き従っているはずだ。
「冬希と竹内を引き戻すために、一旦柊と下がる。伊佐は、先頭が見える位置にとどまれ。何があってもだ」
「俺も戻ったほうが」
「冬希は、必ずスプリントのタイミングで前に戻ってくる。お前がアシストするんだ」
大会最強のルーラーである山賀が先頭に上がっていくのが見えた。愛知が本気で前を捕まえに行こうとしている。
いくら牧山や有馬が強力な選手であったとしても、山賀に追いかけられたら、長くは持たないだろう。
だが、愛知が山賀を投入してきたということは、ここが勝負どころだという判断なのだ。
事実、宮崎は南のアシストをすべき有馬が動いており、冬希は集団後方にある。
赤井というスプリンターで勝負したい愛知は、有馬を潰しつつ、千葉に脚を使わせるという、両面で赤井に有利な状況を作ろうとしている。
山賀が前に出てきたということは、メイン集団のペースが緩むことはもうないだろう。
自分達も、竹内を使って追い上げるしかない。
各校が、ゴール前で使いたかったアシストをここで使い始めた。
ノーガードで殴り合う、乱戦のようなものだと潤は思った。
ゴール前まで持ってくれば、少なくとも冬希が重要な判断を間違えることはないだろう。
だが、乱戦になればなるほど、佐賀のようなチームは力を発揮する。
坂東裕理はここまで考えていたのだろうか。
山賀が先頭を牽引し始めた。
メイン集団が、一気に縦長に伸びていく。1列棒状になった。
「行け」
伊佐に追わせた。
「あいつ、大丈夫かな」
柊が首を傾げながら言った。
「最後は任せるしかない。それよりも、僕らは僕らの仕事をしに行こう」
「仕事?」
「佐賀への嫌がらせだよ」
「潤、お前……家でトランプやってる時と同じ、やな顔してるぜ」
潤と柊は、ほとんどペダルを緩めていないにも関わらず、徐々に集団の後方に下がり、メイン集団から離れていった。
竹内の牽引する集団が、また1つのグループを吸収した。
前から落ちてきたグループを吸収し続けているのに、この集団が一向に大きくならないのは、吸収しているのと同程度の人数が、この集団から千切れているからだろう。
目の前には竹内の背中、そして後ろを振り向くと、佐賀の4人の姿が見えた。一人は総合リーダージャージの天野だ。
竹内の牽引は、佐賀の選手たちを集団前方に引き上げることにもなる。だが竹内はそれを気にしている様子はない。
「後ろに、すごいひっついてきているな」
佐賀の後ろにも、30人以上は連なっている。
「何人ついてきても関係ありません。俺の仕事は、冬希先輩を先頭集団まで引き上げることです」
「気にならない?」
「なりませんね。全員ゴール前までついてきたとして、そこから冬希先輩に勝てるものなどいませんから」
なるほど、そういう考え方もあるのか、と冬希は感心した。
後続を気にしていない分、前の集団よりペースが良いのか、逃げている牧山、有馬、裕理との差だけではなく、その追走を行う南や山賀のグループとの差も、少しずつ縮まり始めていた。
大きな背中だ、と竹内を見つつ感心した。
体格が大きい分、受ける空気抵抗も大きいはずだが、体重を乗せてペダルが踏める分、平坦区間での巡航能力は高く、また風除けとして、最後のスプリントのために脚を温存したい冬希を守ってくれていた。
潤は、こういった事態に備えて、竹内を冬希につけてくれていたのだろう。
だが、脚を使わずに前に追いつけてしまうのは、佐賀も同じだ。
前のグループから、潤と柊が下がってきた。
「竹内、冬希。前のグループとの差は、20秒程度だ。前のグループの先頭は山賀。そこに南もいる」
つまりは、一つ前の集団がほとんどメイン集団ということだ。
「伊佐は?」
冬希が問うた。
「前に残してある。お前の発射台は、あいつがやる。だから竹内、お前は南たちに追いつくのに力を使い果たしていい」
潤の言葉を聞いた竹内が頷いた。
「なあ潤、俺たちはどうするんだ?」
「冬希の後ろにつく」
潤、柊の順番に、冬希の後ろに入った。佐賀の選手との間だ。
竹内がペースを上げた。
冬希も必死についていく。
後ろに潤、柊と続く。
佐賀のアシストたちの顔が苦痛に歪み始めた。
竹内のペースアップとともに、目の前が潤、柊といった小柄な選手に変わったため、得られるドラフティング効果の恩恵が減ったのだ。
「おい!」
佐賀のアシストである武雄が、潤と柊にならびかけようとする。冬希の後ろに入りたいのだ。
だが、竹内は時速50km超のペースで走り続けているので、容易にならびかけられない。逆に武雄と鳥栖は脚を使ってしまい、竹内の牽引するグループから千切れていった。
竹内のペースアップは、佐賀のアシストを削り落とすとともに、他の選手たちをも選手たちをもふるいにかけていた。
30名以上いた選手たちは、8名程度まで絞られた。
元々平坦向きではない柊も、力尽きて下がっていった。
「もうだめだぁ。あとは、まかした」
十分な役割を果たしてくれた。
「気にするな、竹内。踏み切れ」
後ろから潤の檄が飛ぶ。流石に苦しそうだ。
冬希も、まったく無事というわけにはいかない。
脚の筋肉を極力使わないように、ペダルの回転を上げるように意識する。
気がつけば後ろは、潤、水野、天野だけになっていた。
竹内が、前のグループの最後尾に追いついた。
特にペースが落ちているわけでもない、山賀の牽引する追走グループに追いついてみせた。
「竹内、ご苦労だった」
大きな集団の後ろにつけることができた。
集団は、巨大な空気のトンネルを作り出し、冬希たちはほとんど風を受けることなく走ることができた。
もう集団についていくこと自体は、それほど難しいことではない。
「前に上がるぞ、冬希。後方にいては、また中切れが起きた時に、集団から取り残される可能性がある」
少し休むと、潤は冬希を集団の中ほどまで連れて上がってくれた。
疲弊した竹内は、流石に集団の後方から動けなかった。千切れないので精一杯という様子だ。
無理もない。ずっと一人でみんなを牽き続けたのだ。
気がつけば、天野は姿を消していた。
この辺りの、はしっこさは流石という他にない。次に何を仕掛けてこようとしているか、まったく読めない。
集団中頃まで上がっていくと、潤も力を使い果たした。
「最後にお前が間違えるとは、僕は思っていない。あとは任せた。気楽に走って帰ってこい」
辛いはずの潤は、笑顔さえすらみせながら、集団の中を下がっていった。
佐賀も、使えるアシストを全て使い切らせた。
そして冬希は、大幅にポジションを回復させた。
だが、その代償は大きかった。
「ひとりぼっちになったなぁ」
30人ほどの集団の中、冬希は孤立した。
他のスプリンターたちの姿を探した。
福岡の立花がいた。
愛知の赤井。
永田の真後ろにいた。
福岡も愛知も、どちらも2名以上アシストを残している。
一際大きな体、南龍鳳。
宮崎のアシスト3人に守られている。
黒川。
山口の3人のチームメイトも残っているようだ。
天野、それに冬希のチームメイトの伊佐の姿も見えない。
まだ前にいるのか。
頭の中で、目まぐるしく計算する。
誰がどう動くのか、誰の後ろにつけておくべきなのか。
ここからは、去年の優勝校だから、ゼッケン1番だから、青山冬希だから、という威厳は通用しない。
どこかに割って入ろうとしても、各チーム自分のエースを守るために、全力で冬希をブロックしてくるだろう。
難しい。
だが、無理して脚を使ってスプリントできる位置までポジションを上げて、尚且つスプリントでも勝つには、相手は強すぎる。
特に南龍鳳。
万全な状態でも、勝てる見込みは3割とないだろう。
演奏が聞こえてきた。
聞き慣れた曲。神崎高校の校歌だ。
入学式の日に、不意に新入生代表の挨拶をさせられ、直後に聞いた、思い出深い校歌。
冬希は、この校歌が好きだった。
油山観光道路を、六本松に差し掛かる。
270°のコーナー。
去年と同じ場所に、神崎高校の吹奏楽部がいた。
「ブレーキ!」
前方からかけ声がして、選手たちは一気に減速する。
冬希はブレーキをかけて右に旋回した。
荒木真理の姿があった。
今年は、楽器を吹いている。ファゴットというらしい。
真理がこちらに気づいているかどうかは、冬希からはわからなかった。
しかし、必死に楽器を演奏する姿を見て、弱気になりつつある自分を、情けないと感じた。手など振られるより、はるかに冬希の気持ちを鼓舞した。
「落車あああああああ!!」
愛知のアシストが、車体を倒しすぎて転倒しようだ。
曲がりつつある冬希の目の前に、転倒した選手のバイクが現れた。
だが冬希は、それには目もくれず、真理の姿を見つめたまま、ヒョイとビアンキOltre XR4をジャンプさせると、倒れたバイクのホイール部分を飛び越えた。
後ろでブレーキ音がして、次々に停車し、メイン集団が半ばで分断された。
冬希は、自分が今までにないほど集中できていることに驚いた。
「これは負けられないなあ」
冬希は、細かいことを考えるのを止めた。
相手は強い。
だが、真理が必死に楽器を吹いている姿。それだけを胸に戦えばいい。
そんな気がしていた。
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