第380話 全国高校自転車競技会 第10ステージ③ 攻撃
メイン集団のやや前方に、黒川率いる山口チームのトレインが見えた。
大したものだ、と裕理は思った。
これがユースで圧倒的な力を誇ったエースの力なのか、黒川を牽引している3人も、それなりの選手に見えてしまう。
黒川を牽引する3人のアシストについて、裕理は戦力分析の過程で、とるに足らない選手と、名前すら覚えなかった。
しかし、今となっては、なんと身の程知らずなことを考えていたかと思う。
今の自分は、彼らほどの力も持ってはいないだろう。
なんだかんだと天野や水野に、偉そうに指示を出してはいたが、実戦ではほとんど自分は戦力になっていなかったではないか。
ボトルなどを携えて集団の前方に上がろうとする神奈川の選手がいた。
裕理はその後ろにつけ、なるべく力を使わずに集団前方に上がって行こうとする。
メイン集団の外側、集団走行が未熟な南龍鳳を牽引するために、宮崎は固まって走る選手達から少し離れて走っている。
それなりに脚を使うだろうが、周りの選手にぶつかって落車するよりはマシ、という判断なのだろう。
小玉が牽引する宮崎のトレインの、さらに外側を裕理が上がっていく。
神奈川の選手がそこを走ったというのもあるが、千葉の3選手が真逆の方向にいるので、見つからずに済むという利点もあった。
有馬と目が合った。
何事もなかったかのように、有馬の方から視線を逸らした。
そうだ、それでいい。裕理は心の中で呟いた。
今から裕理が行おうとしていることは、集団の前方にエースである南を置いている宮崎にとっても、利のあることだ。
佐賀としては、冬希が優勝さえしなければいい。南がステージを勝つという結末でも、全く問題がないのだ。そういう意味では、共闘していると言ってもいい。
メイン集団は、茨城が結構いいペースで牽いている。
逃げている有象無象の10名を吸収し、カウンターで牧山を発射するつもりだろう。
その茨城の目論見は、裕理でなくとも容易に推測できることだ。それ以外に考えられないと言っていい。
福岡や愛知のスプリンター系チームが、あえて茨城の動きに対応しようとしないのは、無事に牧山を発射したとして、今逃げている10名が牧山1名の逃げに変わったところで、大勢に影響が無いと考えているからだ。
スプリントしたがっているチームは、福岡、愛知の他に宮崎、当然千葉もそうであろうし、黒川ももうひと勝負しかけてくるかもしれない。牧山は強力な逃げ屋だが、それらが相手では勝負にならないだろう。
逃げていた10名が、茨城に追われて散り散りになりながら、吸収されていく。
裕理は、牧山の後ろに取り付いた。
集団前方を固めている福岡や愛知の選手達が、一瞬不思議そうな顔をした。
だが、裕理の考えていることまでは、わかるはずも無い。せいぜい、総合リーダーチームがようやくメイン集団のコントロールに協力する気になったのか、と思い込んだぐらいだろう。
神経を集中した。
タイミングを誤るな、と自分に言い聞かせた。
目の前に、逃げていたメンバーがいる。
5人。
これで逃げは一旦吸収となる。
通常ではあり得ないことだが、5人は横に広がっていた。
普通なら、メイン集団に吸収される際には、邪魔にならないように端に避ける。
未熟な奴らだ、と思うと同時に、裕理はここしかない、と持てる全ての力でペダルを踏んだ。
メイン集団の先頭を走る、茨城の選手が、一瞬スピードを落とした。横に広がってコースを塞いでいる、逃げメンバーが邪魔なのだ。
よく頑張ったと、お互いに握手などしている5人の隙を、裕理は飛び出した。
天野や水野に比べると、鈍重な蹴り足だ。だが、メイン集団のペースが落ちたタイミングでの仕掛けは効果的だった。
牧山はまだ来ていない。だが、必ずくる。
裕理が全力で踏んでいても、牧山は普通に追いついてくるだろう。
だから裕理は踏み続けた。
「坂東さん、どういうことですか」
気がつくと牧山は、裕理の真後ろに来ていた。こちらは全力で踏んでいたのにだ。
「いいから、先頭変われ」
牧山は、序盤も逃げていたはずだが、それを感じさせないほど調子がよさそうだ。
「どういうことですか」
牧山は再び聞いた。
「お前がこのまま逃げ切れば、天野は総合優勝だ」
牧山のペダリングが、一層力を増したように見えた。
裕理としても、実際のところ牧山が簡単に逃げ切れるとは思っていない。要は千葉に足を使わせればそれでいいのだ。
牧山に代わって再び裕理が前に出る。メイン集団はまだ混乱しているようだ。どんどん差がついていく。
裕理自身、いつもより調子は良いようだ。ある程度早いペースだが、苦しさは比較的感じない。
少しペースを上げる。まだメイン集団は後ろに見えている。
サイクルコンピュータを見る。どんどん裕理の心拍数が上がっていく。
同じ出力でも、牧山と裕理では、持続可能な時間が違う。実力以上の力を出し続ければ、心拍数はどんどん上がっていき、限界に達する前に、呼吸が苦しく、走れなくなっているだろう。
メイン集団との差が離れなくなってきた。裕理の限界も近い。
駄目か、と裕理は思った。
実力が実力が共なわない、無理な仕掛けだった。
二人して、メイン集団に捕まるのは時間の問題だ。
悔しかった。
仕掛けが成功したのは、裕理が他のスプリンター系チームにとって、とるに足らない選手だったからだ。
そして、それが予想通りだった、という結果になるということが、たまらなく悔しかった。
「牧山」
先に行けと言いかけた時、後ろから気配がした。
「ちんたら走ってんじゃねえぞ」
牧山と裕理は同時に振り向いた。
「有馬」
「有馬か」
裕理は驚きを禁じ得なかった。
宮崎の有馬が、メイン集団から抜け出し、二人に合流してきたのだ。
「牧山、ビシビシ回れ」
有馬は発破をかけながら、自らも二人を牽引した。
有馬の牽きは強力で、後続との差がまた開き始めた。
「有馬、どういうつもりだ。お前らは南で勝負だろう」
「後ろの連中を引っ掻き回してやろうと思ってね。福岡や愛知、千葉は泡を食って追いかけてきている。坂東さんもそれが目当てだろう」
逃げに有馬を送り込んでいる宮崎は、追走に協力する義務はない。ゆっくり脚を休められるということだ。
「なんだ、有馬。調子でも悪いのか、南は」
「そうだとして、あんたにいうと思うか?」
「ふん」
裕理としては、南を勝たせるでもいいとは思っているが、内情を話せるほど、お互いを信頼しているわけもない。
「この仕掛けはうまく行った。奴らは、ゴール前で使いたかったアシストを、俺らの追走に使わざるを得ないだろう」
「わかりきったことを言うな、有馬」
「俺が驚いたのは、あんたが自分で前に出てきて、アタックをしたことだ。俺はどうせ今日も、あんたは偉そうに命令ばかりしてるんだろうと思っていた」
「その点はお前の言うとおりだ。俺の実力など、宮崎のどの選手にも劣るだろう」
「そうかもしれないがね、坂東さん。俺はそんなあんたが、強い覚悟で何かを仕掛けようとしている姿に、一口乗ってもいいと思ったんだ。正直ここまでやるとは思ってなかったがね」
有馬が先頭に立ち、代わりに牧山が下がってきた。
「坂東さん、あなたが俺たちを動かしたんです。できれば今までのように、手段を選ばずに俺たちを逃げ切らせて欲しいですけどね」
「まあ、この3人の中じゃ坂東さん、あんたがリーダーだよな。俺らに指示を出してくれよ」
「馬鹿なことを言うな。ひたすら踏み続ける以外に、何ができると言うのだ」
牧山は茨城の、有馬は宮崎のそれぞれキャプテンだ。自分で考えろ、と言いたかった。
奇妙な3人になった。だが、牧山と裕理の二人で逃げていた状況に、有馬が加わったことで、メイン集団の自分達に対する脅威は、かなり増したはずだ。
「坂東さん、回復したらたまには先頭代わってくれよ」
「いいだろう」
「代わってくれるのか。意外だな」
「メイン集団の奴らの、辛そうな顔を拝んでやりたいからな。簡単に捕まらないために、協力してやる」
裕理は、3人グループの先頭に立った。
牧山と有馬に比べると、長い時間ではなかったが、それでも裕理のローテーション参加は、二人に休む時間を与えた。
油山観光道路に、残り25kmのバナーが見えた。周回コースに入るまで、15kmということだ。
コーナーが多い周回コースの方が、逃げる方は有利だ、
メイン集団は追ってこない。裕理は、このまま3人で逃げ切るのも悪くないと思い始めていた。それでも天野の勝ちなのだ。
順調だ。だが、裕理は心のどこかに引っかかるものを感じていた。
とても正攻法とは言えない裕理の攻撃に、有馬が乗ってきた。
それは有馬が、真っ向勝負では南が冬希に勝てないと考えているからではないか。
裕理は、一瞬過った不安を、心の中から追い出した。有馬に訊いたところで、どうせ答えてはくれないのだ。
目の前の、この戦局だけに集中する。それ以外にできることは無いのだと、裕理は自分に言い聞かせた。
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