第378話 全国高校自転車競技会 第10ステージ②
メイン集団から、何人かが逃げている牧山と天野を追い始めた。
簡単には捕まらないだろう。
逃げを目指したアタックを積極的に潰してきた連中が、一息入れたい、と思っているタイミングで仕掛けたのだ。
二人とも、ほとんど脚を使わずに、タイミングだけで飛び出した。
しかし、坂東裕理には、もっと重要なことがあった。
「わかったか」
チームの3年生メンバーである鳥栖と武雄の二人は、首を横に振った。
「わずかですが、動きがあった気がします。2番と4番でしょうか」
水野が言った。
「天野を追おうとした動きがあったのは、その二人だ。5番の竹内は、天野が動いた瞬間に冬希の方を見た。アレは冬希のそばを離れないだろう。平良潤は、全体の動きを見極める役割と考えると、目的ごとに誰を相手にしなければならないかがはっきりしてきた」
竹内は、冬希の最終発射台としてゴールまでついてくるだろう。冬希をどうにかするには、まず竹内に対応しなければならないが、竹内に対抗できるルーラーは、残念ながら佐賀にはいない。
天野にアタックをさせれば、平良柊と伊佐が動いてくる。
平良柊は、ピュアクライマーであり、今日のような平坦では裕理は彼を、賑やかし程度にしか考えていなかった。ただし、瞬発力がある伊佐と組まれると、それなりに面倒な存在かもしれない。
牧山は、捕まることを嫌って、さらに加速した。
天野はそれに付き合わなかった。
スプリンター系チームは、天野が下がってきたことで、一旦はペースアップをやめた。彼らとて、いつまでもハイペースでの追いかけっこを続け、これ以上消耗することを避けたいはずだ。
スプリンターを抱えるチームに、それなりに脚を使わせた。千葉の動きも見えてきた。一旦序盤のアタックは成功したと言って良かった。
天野のアタックは、スプリンター系チームが協力して潰した。
だが、どちらかというと、天野が自分から集団に戻ったようにも見えた。
現在は、牧山が一人で踏み続け、メイン集団から散発的にアタックしてきた選手達を拾い上げようとしている。
「天野は思いの外、あっさり引き下がりましたね。潤先輩」
「最初から、ここで逃げようなどという算段ではなかったのだろう」
「今日の調子を確認するためのアタック、と言ったところでしょうか」
「ああ、だが、どこかでアタックをかける気が無いのであれば、そんなことを試みたりはしないだろう」
「裕理さんが、じっとこちらを見ていましたね」
「天野がアタックをした時、誰が動くかというのを見極めようとしていたのだろう」
「見られましたか」
「柊と伊佐が、わずかにいつもと違う動きをした、というところは見られたかもしれない」
潤が止めることで釣られはしなかったが、見極められるほど、しっかり観察されていた。
「冬希、竹内にはお前から離れるなと言い含めてある。それも含めてメンバーの役割を読まれたと考えるべきだろう」
「佐賀は、確実に動いてくるという事ですね」
「ああ、それを察知できただけでも、こちらにも得があった」
人は、自分が信じたいものを信じる。
佐賀は動かない、という可能性もあれば、心のどこかでその可能性に期待してしまう。
坂東裕理の視線は、潤の中にあった甘さも打ち消していた。
「みんな聞いてくれ。坂東裕理は、様々な手を打って我々を揺さぶってくるだろう。だが、それぞれの手にどの程度、彼らの勝利の可能性があるのかは、未知数だ」
伊佐がわからない、という仕草をした。
「どういう事でしょうか」
「伊佐、もう少しだけ聞いてくれ。このステージで、佐賀は僕らを揺さぶろうと、あらゆる試みを行なってくるだろう。我々が対応するのは、このステージの勝敗に影響をもたらしそうなものだけにする、ということだ。佐賀が動いたもの全てに反応する必要はない」
「反応する必要があるかどうかは、誰が判断するのでしょうか」
「柊と伊佐について指示を出すのは僕がやる。それ以外については何もしないでいい。冬希と竹内については、一切動く必要はない、と考えていてくれ」
全員、肯んじたようだ。
伊佐と柊も、佐賀の動きに敏感になりすぎていた。その必要がないと言われ、少し緊張を解いたようだ。潤の指示がない動きについては、反応しなくていいという事は、二人が常に神経を尖らせる必要がないということでもあった。
まだまだレースは長い。ずっと緊張状態が続けば、最後まで集中力が持たない。
冬希が、こちらを見て頷いてきた。
二人の緊張を解くことが目的だと理解しただろう。今はそれでいい、と潤は思った。
冬希には冬希の考えなければならないことがある。
潤の真意を読むものがいたとすれば、坂東裕理以外にいないだろう。
ここからは裕理との読み合いになる。
読み違えれば、一気に佐賀に押し込まれてしまうだろう。
潤はボトルの水を頭から被り、空になったボトルをコース脇の観客の方に転がした。
「今日は暑いな。伊佐、水のボトルを一本もらってきてくれ」
「わかりました」
伊佐が集団後方のサポートカーまで下がっていった。
「恐ろしい男だ」
裕理の言葉に、水野と天野が振り返った。
「青山冬希ですか」
「いや、平良潤のことだよ。つくづく、仕留め損なったのが痛かった」
裕理は天野に、ため息混じりに言った。
「何かありましたか」
水野が首をかしげる。
「このステージで俺たちは、天野を勝たせるために、徹底的に千葉に揺さぶりを掛けなければならない」
「はい」
「だが、実際には立場が逆転してしまった。平良潤は、いくつかの隙を俺たちに見せることで、無駄に仕掛けさせて、脚を使わせてしまおうと考えているようだ」
「は?」
「伊佐を下がらせた。仕掛けてくるなら仕掛けてこい、と言っているんだ。だが、今こちらが動いても、他のチームに潰されて終わりだろう。千葉は反応するそぶりすら見せない。必要がないからだ。我々だけが消耗して終わる」
「まさか」
「奴らは、ずっと我々に誘いをかけ続けてくるだろう。隙があるからと、何度も仕掛けていたら、こちらも余力がなくなっていく」
「裕理さん、俺は攻撃を仕掛けるにも、タイミングが重要だと思っています」
「当たり前の事を言うな。奴らは、そのタイミングを測らせまいとしているのだ。むしろ、向こうが望むタイミングでこちらに仕掛けさせようとしている」
「こちらの動くタイミングすら、コントロールしようとしている、ということですか」
水野も天野も、唖然としている。
千葉に、隙ができるとして、どれが罠で、どれが本当の隙なのか、全てを正確に判断することは裕理にも難しいだろう。
それは、今後千葉に発生するかもしれない本物の隙すらも、覆いつくしてしまう。裕理にとっては本当に苦々しい攻撃だった。
「追いつめられているな、俺は」
「タイム差では、天野が有利なのです。状況を見きわめられれば」
「見きわめようとしている間に、大会が終わってしまうさ」
裕理は、吐き捨てるように言った。
千葉は、明らかに裕理に対して対策を行おうとしている。その辺は、さすがに手強い。
植原の東京のように、国体に勝った天野を警戒するチームはあっても、裕理に目を向けるところは無かった。
「裕理さん、千葉が2つにわかれました」
「どう別れたんだ」
「集団前方に、伊佐、平良兄弟。青山冬希は竹内と集団の後方に下がりました」
とっさに裕理は考えを巡らせた。
通常、有力選手たちが集団の前方に位置するのは、メイン集団のどこかで落車が発生した場合、後方にいる方が足止めされる可能性が高いからだ。
落車に限らず、いま集団前方をペースアップさせ、集団を割ることが出来れば、冬希を脱落させることが出来るか。
いや、駄目だ。竹内を冬希につけているのは、多少の遅れでも、竹内であれば冬希をメイン集団に戻せるからだ。それに対し、佐賀が集団を割るためのペースアップに費やす労力の方がはるかに大きい。レースはまだ序盤なのだ。
早く仕掛けるべきではない、という考えと、後半になればなるほど、選択肢が減っていく、という相反する課題に、板挟みになっている。
そこまで考えているとしたら、自分が平良潤に手玉に取られているのかもしれない、という意識が頭についてまわった。
裕理も人間なので、いう事も考え方も変わることがある。しかし、勝つために最短の方法を選んできたという点では、変わっていない。
「水野、天野、しばらく報告はいい。少し一人で考えさせてくれ」
平良の手の中から抜け出すには、今までと違う戦い方をする必要がある。
裕理はしばらく、自分の心と向き合うことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます