第365話 全国高校自転車競技会 第9ステージ①
ステージが進むにつれ、総合優勝をする可能性がある選手が絞られてくる。ルール上は、まだすべての選手に総合優勝の可能性は残されていることにはなっている。自分以外全員がタイムアウトで失格になればいい、ぐらいの可能性の話だ。現実的には、上位4人程度だろう、と多田は思っていた。
黒川は、目に見えて痩せていた。
無理もない。初めてのステージレースで、ここまで8ステージをたった1日の休みで走り切ってきたのだ。
ユース時代は、多くて月二日程度のレースに対し、黒川は気を溜め、1レースごとにそれを発散するように走ってきた。Jプレムアツアーに参加する選手たちは、黒川に圧倒されていた。
全国高校自転車競技会も、序盤は強かった。だが、総合リーダーとなることが山口の5人にとって負担であるとわかると、力を抑えながら走らざるを得なかった。そうしているうちに、黒川の覇気は、徐々に削られていった。
序盤に、勢いの任せて圧倒的リードをつけられていたらどうなったか。今となってはわからないが、それも含めて、全国高校自転車競技会という、特殊な戦いの場なのだと黒川は思い定めているようだった。
インターハイ、全日本選手権、国体と比べ、民間の放送局が協賛しているこの大会は、ショー的要素が強い。かつては18歳以下の、各県代表選手たちによる個人戦だったが、学校ごとのチーム戦に替わったのもその一環だ。そして、逆転劇を演出するために、終盤に逆転可能な1級山岳コースが用意されることも多い。
「黒川、今日だ。ここまで耐えてきたのは、今日勝つためだ。今日総合リーダーに立てば、どうにでもなる。明日一日だけなら、うちがメイン集団を牽引できなくても、笑って誤魔化せばいい。総合優勝してしまえばこっちのものだ」
「わかっているよ、多田。おまえ、そんなに痩せてたか」
「お前に言われたくはない」
黒川以上に、自分がやつれていることは、多田にもわかっていた。お互い連日、命を削るような走りを続けてきた。
「青山たちは、どういう戦い方をしてくるかな」
「わからん。2級山岳の斫石峠(きりいしとうげ)と1級山岳の椿ケ鼻と、難易度の高い山岳が続く。平良柊を逃げさせて、ステージ優勝のボーナスタイムを潰しに行くかもしれん」
「そんな戦い方をするのか、千葉が」
「しないだろうな」
総合リーダーとなった千葉は、全チームの標的となったのだ。前年度の優勝チームでもある。全チームの中で、そういった戦いに一番強いともいえる。変に目先の事に惑わされず、どっしりと構えて迎え撃ってくるだろう。懐が深く、どんな攻撃を仕掛けても、受け流す。そういうあのチームの強さを発揮されれば、こちらとしては厳しい戦いになる。
「というか、お前が他のチームの戦術を気にするのか」
「俺だって馬鹿ではない」
黒川が苦笑しながら言った。
「勝つためには作戦を考えたり、他の選手と協調して戦うことぐらいは出来るつもりだ」
「協調か」
「難しいか」
「青山、植原、天野にお前。4人とも、それぞれ走りの方向性が違いすぎる。一緒に走るだけでは協調とは言えないぞ。それに総合3位のお前は青山と植原を出し抜いて、タイム差をつけなければならない立場だ。同じ目的で走る、となると難しいだろう。だが、それは他の3人も同じ事だ。それぞれが、すべての相手を倒さなければならない。そういう単純な話だ。お前はそういうの好きだと思っていたが」
「それはそうだったんだが」
「今は違うのか」
「調子はそこまでよくはない」
多田は、黒川が少し弱気になっていると思った。今までになかったことだ。
「そんなことはお前の顔を見ればわかっている。黒川、ありったけの気をひっかき集めて、今日は勝て。そうすれば、明日以降ぶっ倒れても文句は言わん」
「厳しい事を言う」
黒川は苦笑した。
「それにしても、お前に発破をかけられたのは、これが初めてな気がするな」
「Jプレミアツアーの時は、そんな必要はなかった。何もしなくても、気が付けばお前は勝っていたからな」
「そうか」
「そういう状況なのだ、黒川。今までに経験しなかった厳しい状況に直面している。そのことを前向きにとらえろ。お前は戦いたかった強敵に出会えているという事なのだ」
「そうだったな。そんなことを忘れる程、疲弊していたのか、俺は」
「黒川、お前を見ていて、ひとつわかったことがある」
「なんだ」
「明確な目標があるという事は、実は楽なことなのだという事だ。お前はユースに所属していたころ、目標を失っていた。いまは、目の前に目標がある」
「……」
「今を苦しいなどと思うな。お前は今、楽をしているのだ」
「なにか、ペテンにかけられている気がしてきたぞ」
「何がペテンだ。戦うといことが、生きているという事だ。簡単なことじゃないか」
「わかったよ、多田。今感じているこの苦しさは、忘れてみよう」
「そうだ。あとは集約した力を出し切ればいい」
二人は、スタートラインに向かってバイクを進めた。
冬希は、いつも通り右端に開けられた通り道から集団の再前方にやってきた。総合リーダーの特権だ。山岳賞の千秋、スプリント賞の南、新人賞の永田がすでに並んでいる。
永田は、冬希にぺこりとお辞儀をした。
南は、冬希をにらみつけ、千秋は冬希の方を見もしない。
冬希も、目礼は返すものの、この3人については特に今日は注意を払っていなかった。
メイン集団の中で、とりわけ気を放っている男たちがいた。
山口の黒川、東京の植原だ。
特に黒川は、前日の元気のなさから比べると、まるで別人のように気力に満ちているように見えた。
植原も、好調を高いレベルで維持しているように見える。
そして、完全に自らの存在を消しているかのような、佐賀の天野の気配も、冬希は気になっていた。
西鉄小郡駅から、スタートが切られた。
数人が逃げようとする。基本的には総合優勝争いに関係ないチームばかりで、潤は容認させようとするが、人数が多くなりすぎると、東京や佐賀、静岡が潰しに行った。
静岡は千秋がステージ優勝自体を目標としているのだろう。
東京と佐賀は、恐らくステージ優勝のボーナスタイムを奪われたくない。もはや総合優勝争いは、1秒、2秒を奪い合う戦いになっている。
10人ほどの逃げが決まった。独走力のない選手たちばかりで、小石原の上りに入る前には捕まるだろう。
集団前方に、茨城の牧山の姿はない。第5ステージで優勝して以降、ひどく調子を崩しているようだ。第5ステージに全てを賭け、力を使い果たしたのだと冬希は思った。
心配だが、仕方のない事だ。牧山本人も、総合優勝を目指すために、勝ち続けられるタイプではないと自分を評していた。
本人がそれを良しとしていないことは知っていた。第7ステージ、タイムアウト間近でゴールした後、牧山は座り込んで涙を流していた。空ではなく、地面を見つめていた。
黒川も、それに近い状態のかと思った。しかし、今日の黒川は大会前を超える気合をまとっていた。
レースは、20㎞ほど走ったところで、佐賀と静岡が前に集結し、メイン集団は慌ただしくなってきた。千葉も東京も、チームで固まっている。
「佐賀の水野は、スタート直後も動いていたな」
潤が冬希に訊いた。
「はい、今日の調子を確認しているようでした」
アタックをしていたという事は、今日どこかで仕掛けるつもりがあるという事だ。
小石原を上った後、少しだけ下り、斫石峠を上った後に一度下り、椿ヶ鼻の1級山岳を上る。
小石原は2級山岳扱いだが、斫石峠は山岳ポイントの設定がない。斫石峠の最高到達点はトンネルとなっており、危険回避のためだという。本来斫石峠につけられる山岳ポイントが、前倒しで小石原につけられた形になる。
「水野が動いた」
上りが始まった瞬間、どこからか声がした。
「柊、頼めるか」
「ほいさっさー」
潤の指示に、気の抜けたような返事で柊がチェックに動いた。
最初に逃げた10人を吸収し始めたタイミングで、道幅も広くなく、追走側も上手く追えない。
「静岡の千秋もアタックです」
「ここまでは想定通りだな」
山岳賞を狙う千秋も、当然のように山岳ポイントを狙いに動いた。
他にも動きたい選手たちはいただろうが、吸収されていく選手たちが邪魔で、スピードに乗れずに集団に戻ってきた。
冬希は、天野の姿を探した。
いた。目が合った。
冬希は、肌が粟立つのを感じた。
天野は、ずっと冬希を見つめていた。
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