第362話 全国高校自転車競技会 第8ステージ①
プロトンは、スタート前からずっと、肌がヒリ付くような緊張感に包まれていた。
スタートラインの前の方は、福岡、愛知、宮崎などのスプリンター系のチームが、大人数の逃げなど許さんと、気を吐いている。
なんとしても爪痕を残したいチームたちも含め、スタートライン付近は選手たちの密度が高くなっていた。
それを冬希は、他人事のように見ていた。
「ちょっとお前の近くに居させてくれ。みんなピリピリしてて居心地が悪いぜ」
横を見ると、牧山がいた。
選手達の密度は高いが、総合争いをしているリーダージャージの植原と、ゼッケン1番をつける冬希の周囲だけ、少し広めの間隔ができていた。
「好き好んでお前らの近くに行く奴はいないからな。植原の近くでもよかったんだが、なんかあっちは話しかけられる雰囲気じゃなかった」
斜め前方にいる植原は、顔色自体はは悪くないのだが、明らかに疲労が顔に出ていた。昨日無理した結果だろう。
「俺だって大変なんだぞ」
冬希と、総合リーダーとなった植原とのタイム差は5秒。明日の1級山岳のステージでは、差を広げられることはあっても、縮めることは難しい。今日のうちに、逆転し、さらにタイム差を可能な限り伸ばしたい。しかし、今日は平坦なので、集団ゴールする可能性が高い。そうなると、もうボーナスタイムを獲りに行くしかないのだ。
2kmのパレードランが終わり、アクチュアルスタートとなった。
屋久島の海沿いを走る約90kmのコースとなっている。ほとんど平坦だ。
苛烈なアタック合戦が始まった。有力選手が逃げようとするたびに、今日のステージを狙うスプリンター系のチームが潰しに行く。なかなか逃げが決まらない。
メイン集団をコントロールする側に隙が出来た。総合リーダーチームの東京の動きが悪い。5人ほどの塊が飛び出し、次々に選手たちが合流する。
愛知、福岡、宮崎が慌てて捕まえに行こうとするが、20人ほどの集団が出来て、全員で先頭交代しながら逃げていく。人数の上で負けており、徐々にその背中が遠ざかっていった。
一応、形式だけ捕まえる側に協力しに行った柊が戻ってきた。
「なんか中途半端な形になったなあ」
集団コントロールするチームたちの連携について、柊はぼやいた。だが、それは千葉にしても同じことだ。本気で捕まえに行くなら、伊佐や竹内が動いただろう。
「メイン集団は安定するだろう。逃げた選手たちだけで中間スプリントのポイントは獲りつくされる。メイン集団内で争いは起きないはずだ」
潤が言った。
「20人も逃がして大丈夫でしょうか」
「牧山や水野のように、逃げ集団を主導できる選手が入っていない。有力選手もいない、統制もとれていない、平坦でもあるので、追いかけ始めれば簡単に捕まえられるだろう」
「それにしても、逃げ切りが難しい平坦ステージで、よくこれだけの人数が逃げようと思いましたね」
「上りがあるステージでは、逃げ切りの可能性は高いかもしれないが、脚が止まれば一気に遅れてしまう。脚に自信がない選手は、メイン集団にも抜かれて、タイムアウトで失格になるリスクが大きいからな。平坦は、逃げ切る可能性は低いかもしれないが、空気抵抗が少ない集団で走っていれば、タイムアウトのリスクは考えないで済む」
逃げている選手たちを追いかけるメイン集団は、相変わらず不穏な空気が漂っている。中間スプリントポイントを通過する。東京が牽引する形をとっているが、やはり動きは良くない。千葉からも時々竹内が先頭に出るが、むしろ立花を擁する福岡や、赤井で勝負する愛知、そして宮崎らが積極的に前に出てくるのに対して、東京は少しずつ後ろに下がっていった。
「竹内、冬希は集団の中で今のうちに休んでくれ。伊佐もだ。柊は、前の方にいて、スプリンター系チームの脚が止まりそうになったら、発破をかけてやってくれ」
「ほいほい」
レースも半分を過ぎると、柊が発破をかけるまでもなく、メイン集団は逃げ集団を捕まえにかかった。
プロローグで優勝したタイムトライアルのスペシャリスト、愛知の山賀が先頭に立つと、あっという間に逃げ集団との差が詰まり始め、慌てた逃げ集団は一気に空中分解した。
20名中3名が飛び出し、残りは17名は、まもなくメイン集団に吸収された。
3名は逃げ続けた。正確に言えば、泳がされていたに過ぎなかった。
適当な間隔を保ちつつ、いつでも追いつける距離を保ち続ける。
ペースコントロールは潤がやった。メイン集団の先頭に立つという事は、珍しい。
逃げ続けている3名とメイン集団の間隔を、30秒に保つという目的の他に、千葉というチームが今日勝負する、という意思表示もやっておかなければならなかった。
潤のペースコントロールは完璧で、福岡、愛知、宮崎の3チームも、潤の作り出すペースに任せていた。
残り8キロを過ぎると、潤を交わして福岡の古賀が先頭に立ってペースを上げた。
スプリンター系チームが、加速していくのを見届けた潤は、柊とともにメイン集団の後方に下がっていった。
千葉は竹内、伊佐、冬希の3人が残っている。
これは昨日、竹内と潤で決めた話が計画通りだ。
意思表示はした。ここからは2段階の計画となる。
残り3㎞地点は、それ以降の落車や、パンクなどのメカトラブルによる遅れが救済されるため、総合系の目標となっている。佐賀や東京などの、総合上位でありながら今日勝負するつもりがないチームも、その地点までは、トラブルに巻き込まれにくいメイン集団の前方を目指して加速する。
そこまでのポジション確保からスプリントのリードアウトまでは、今までは竹内の仕事であったが、今回はそこを伊佐と分割する。
総合上位勢はメイン集団の前方に位置してきた。
メイン集団の前方に最初から位置していた千葉は、伊佐を先頭にそのポジションをキープするために踏みとどまっている。
残り3㎞地点を過ぎた。
総合上位勢は脚を緩め、スプリンター系チームが前に出てきた。
「もう少しいけます!」
伊佐が叫んだ。冬希と竹内はうなずいた。
残り2㎞、愛知の長谷川が牽引を外れ、山賀が先頭に立った。すぐ後ろに赤井。
伊佐も牽引を外れ、竹内が前に出る。冬希はその真後ろにつけている。
まだ2㎞あるが、山賀や竹内の牽引は強力だ。空気抵抗を受けながら、このスピードで先頭を牽いて、本当に残り200mまでいけるのか、と冬希が信じられない程だ。
冬希は、腕と体の間から、後ろを見た。
宮崎のジャージが見える。先頭は小玉、3人目に見える巨体が南だ。ポジションを維持できず、少しずつ下がっている。
あとは、前にだけ集中すればいい。
立花。福岡のアシスト黒田の後ろにつけている。だが、竹内や山賀に対抗できる力はない。こちらも徐々に下がっている。
残り500m。
タイヤの音、竹内の呼吸音、山賀の呼吸音。凄まじい気を放っているが、限界も遠くないだろう。
残り300m、嫌な気配がした。山賀を上回る気を放っている。
振り向いた。南がいた。
南は、宮崎のアシストに引き上げられていた。
いや、アシストではない。
赤いヘルメット、赤いフレームのアイウェア。
「有馬!」
冬希と山賀は、同時に驚きの声を上げていた。
残り200m、
山賀は赤井を発射した。その直後に立花。
同時に冬希がスプリントを開始した。
いつも後方から差し切る冬希にしては、かなり前の位置取りだ。
しかし、ほぼ同じ位置から、有馬のリードアウトにより、南龍鳳が発射された。
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