第359話 全国高校自転車競技会 第7ステージ②
中間スプリントポイントを通過してもペースは落ちない。それどころか、むしろ上がっているのではないかと冬希は思った。
東京の選手たちは、いずれも気を放っていた。
今はその東京の森田と近江がレースペースを作っている。
左手に宮之浦岳が見えてきた。上部は雲がかかっており見えないが、去年見た時はとてつもない威圧感だった。
千葉で残っているアシストは、平良柊と潤の双子だけだが、柊も勾配のない道を長時間ハイペースで走らされ、あまり脚は残っていないように見える。冬希を挟むような形で、前に潤、後ろに柊が位置している。
「いやぁ、今日の上りゴールが、あの山頂じゃなくてよかったですよ」
「いやいや、あそこがゴールぐらいでちょうどいいだろ」
「宮之浦岳は、山頂まで自転車ではいけない」
冬希と柊の軽口に、潤が苦笑しながら応じた。
最後の2級山岳は、上りは7㎞程度で勾配も平均5%程度だ。潤には余裕で、柊には物足りず、冬希でもなんとか上れるぐらいの斜度だ。勾配が厳しくなければ、それなりにスピードも上がり、空気抵抗を受けるようになる。体重が軽い上に、ヒルクライム以外の練習を本気でやらなかった柊にとっては、走りやすい山とは言えない。
森田が牽引を終え、近江が先頭に立った。また1段ペース上がった。
「俺、もうぼちぼちキツいんだけど」
「柊に頑張ってもらうタイミングはもう来ないと思う。下がってもらって大丈夫」
「柊先輩、お疲れ様でした」
柊は、ひらひらと手を振りながら、メイン集団から千切れていった。
他のチームももう殆どエース級しか残っていない。人数にして20人程度だ。愛知のアシストも何人かいたはずだが、今は永田だけだ。佐賀も水野と天野だけになっている。
最後の上りに入る直前、逃げていた牧山がつかまった。
吸収される瞬間、牧山は振り返りながら
「どちくしょう」
と小声で言った。
50mほど先に有馬の背中が見えた。有馬は牧山より脚を残していたようだが、ほどなくして東京が牽引するメイン集団に吸収された。有馬の疲れ切った顔が冬希の脳裏に焼き付いた。
急激にペースが上がった。
近江が最後の力を使って、勢いをつけた。東京の先頭から近江が外れ、麻生に替わった。夏井、植原と続いている。
メイン集団の中で、中切れが起こった。
植原の後ろにつけていた山口の多田が、東京の3人のペースについていけなくなった。
あっという間に東京の3人の姿が遠くなる。
「すまん!」
多田は、メイン集団の全選手に聞こえるように叫んだ。
「いや、仕方ない」
多田、黒川の前に、潤が冬希を連れて出ていった。力を使い切った多田が、グループから脱落していく。
メイン集団ははっきりと、東京の3人と、追走グループに分裂した。
追走グループの先頭では潤がペースをコントロールを開始した。まだ、東京の3人とは差が広がり続けている。
潤の目的は、植原を捕まえに行くことではなく、冬希に無理のないペースで追走集団を走らせることなのだ。
勾配はきつくないとはいえ、上りで力尽きれば言葉通り、脚が止まる、ということになってしまう。冬希自身も練習中は、歩いたほうが早いのではないか、というようなスピードしか出せなくなる体験を、何度もした。一度そうなってしまえば、あとはタイム差が開く一方になる。
「アシストの力を最大限引き出し、チームの力で戦う。本来の自転車ロードレースとはそういうものなのだろうな」
黒川が言った。
何を見てそう思ったのか、冬希には分らなかった。東京の戦術か、冬希を牽引する潤の姿か、それとも有馬の姿か。
残り5㎞地点で麻生、3.5㎞地点で夏井が下がってきた。植原を発射してきたに違いなかったが、つづら折りになっており、植原の姿は見えない。
モトバイクがタイム差を出してきた。30秒。これは少し前に計測された時間であり、今はもう少し離されているかもしれない。
佐賀の天野がペースを上げ、先頭に立った。
冬希、黒川、永田も追う。しかし潤は脚を止めた。
残り3㎞、多少早いペースでも冬希もついていける距離だ。7㎞ずっと出し続けられる力と、3㎞だけ出し続けられる力は、やはり違う。
天野が指を下に向け、くるくると回した。先頭交代して前を追おうというサインだ。
冬希はちょっと驚いたが、天野を抜いて前に出た。
天野、冬希、黒川、永田の4人の集団でゴールへ向かうと、一番有利なのはスプリント力のある冬希だ。先頭交代に加わらないという手もあったかもしれない。しかし、植原を追うことが先決だと冬希は思った。
「そう来なくちゃな」
黒川は嬉しそうだ。冬希は、全日本選抜で黒川が先頭交代しない選手に掴みかかっていたのを思い出し、先に先頭交代に協力する姿勢を見せておいてよかった、と心から思った。
「脚にあまり余裕はありませんが……」
永田も消極的ながら先頭交代に加わる意思を見せた。
ここからは水を飲む余裕もないだろう。冬希は、ボトルの水を飲みほした。
「何か指示は?」
潤は、下がり際に冬希から、短い言葉で声を掛けられた。
「ない」
潤の答えも明確だ。
「あっさりしてんなぁ」
冬希は笑いながら、黒川、永田、天野らと良いペースで坂を上っていった。
潤は、エースたちの後姿を見送った。
少し前に下がってきた麻生、夏井は、ほとんど抜け殻のようになっていた。実力以上のものを出し切った姿だ。二人とも3年で、エースの植原より上級生のはずだが、献身的な働きには目を見張るものがある。
植原には、そうさせるだけの何か光るものがあるのだろう、と潤は思うようになっていた。
黒川などは、多田に人生を捧げさせているような部分もある。
佐賀の坂東裕理は、兄の坂東輝幸が欧州へ渡った後、天野を勝たせることを愉しんでいる。兄に近い実力があると認めているのかもしれない。
冬希も、入学当初から光るものがあった。
末っ子気質だからか、おなじ末っ子である柊とは気があい、先輩であった船津、郷田らにも可愛がられていた。
昨年の全国高校自転車競技会、全日本選手権での活躍もあり、二人の冬希への感謝は深く、特に郷田は、冬希のためなら命すら差し出しかねない程の入れ込みぶりだった。
エースというものは、光るものを持っている。そしてそれがアシストの力を実力以上に発揮させるのだと、潤はわかってきていた。
自分には光るものがない。国体の時、潤の物足りなさが敗因ではなかったのか。
今、潤は冬希を勝たせることに全力を向け、それに喜びを感じている。
植原率いる東京の、レース支配については、綿密に練られたものであろうから、勝つにはもう正面からぶち破らなければならない。
坂の先を見上げた。
植原をはじめ、気を放っている5名がこの先にいる。
もう、山全体が気を放っているような錯覚にとらわれた。
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