第358話 全国高校自転車競技会 第7ステージ①
第7ステージがスタートした。
牧山、千秋、有馬が逃げに乗った。有馬がいる分、今までで最も強力なメンバーと言えた。
牧山、有馬は平坦でもかなり走れる選手であり、逃げようとしていた他の選手たちは、あっという間に置き去りにされた。
唯一、千秋だけは、静岡の4人のアシスト全員が牧山と有馬のところまで押し上げてくれたことで、かろうじて二人に合流できていた。
メイン集団前方では、他のチームの選手たちがアタックできないように佐賀、東京、千葉の3チームが横一列になって蓋をした。
「有馬がいっちまったぞ。どうする気だ」
裕理が責めるような口調で言った。
集団の前方には、千葉の冬希、平良潤、佐賀の坂東裕理、東京の植原が集まっている。毎回ではないが、メイン集団をどうコントロールするか、総合上位チーム間で相談することがある。総合リーダーチームは千葉であるが、その動き方を確認することで、自分のチームのレースの組み立て方を考える必要があった。
山口の多田、黒川の姿がないのは、ユースではそういった習慣がなかったからだろう。
「牧山は逃げ切り狙い、千秋は山岳ポイント目当てだろうが、有馬は総合でもまだ48秒しか遅れていない。安易に逃がして良い相手じゃないぞ」
裕理の眼光に鋭いものが加わった。
しかし、冬希に怯んだ様子はない。
「ですよね。牧山が振り返って、追いかけているのが千秋と有馬だとわかった瞬間、めちゃくちゃ嫌そうな顔していましたから」
植原は声を出して笑った。真面目な顔をしていた裕理も笑っている。
牧山は確かに迷惑そうな顔をしていたのだ。
千秋はまともに先頭交代に加わってくれるとは思えない。
また総合上位の有馬がいることで、総合上位勢は本気で逃げを捕まえに来ることになる。
そんな二人と逃げなければならないのだ。引き返せるものなら、Uターンしてでも引き返したかっただろう。
「相手は2人です。上り始めればあっという間に捕まえられるでしょう」
「冬希、逃げたのは3人だ。ちゃんと千秋も計算に入れろよ」
「裕理さん、何で計算に入れていないのが千秋だって決めつけるんですか。俺は何も言ってないですよ」
「違うのか?」
「いえ、あってますけど」
剣呑な雰囲気はもうない。裕理も気がそがれたようで、冬希に笑顔すら向けて下がっていった。冬希が上手く躱したというのもあるだろうが、この二人は基本的に仲が良いのだろう。
植原自身、冬希とは時々連絡を取り合う仲ではあったが、一度大会が始まってしまえば、総合優勝を争う者同士、馴れ合いをする気分にはなれなかった。
メイン集団は千葉がコントロールを始めた。
竹内が先頭を牽引した。伊佐に替わが、その割合は大きくはなかった。
チームに一人、竹内のような選手がいると、かなり違うのだろう。愛知の山賀もそうだ。佐賀の鳥栖も同じような役割の選手のようだったが、第6ステージの動きを見る限り、竹内、山賀の二人と比べると、力にかなり差があるように見えた。
徐々に逃げ集団との差が広がり、2分ほどで安定した。
1年生の近江がやってきた。慶安大付属の次のエース候補だ。
「植原さん、千葉はどのあたりから差を詰めにかかるのでしょうか」
「わからん、というよりその前にまず逃げ集団とのタイム差で余力を測ろうとしているしているのかもしれない。ただ、うちは2つ目の上りから仕掛けられる準備をしておいてくれ」
思っていたより差が開かない。3人が本気で逃げれば、もっと引き離されてもおかしくはない数だが、千秋が足を引っ張っているのかもしれない。
今日のコースは、2級山岳が2つあり、2つ目の山頂がゴールに設定されている。
所々に勾配が厳しいタイミングはあるが、概ねどちらも平均5%前後であり、千秋が逃げ切れるほどのキツさはない。千秋としては、1つ目の山頂で山岳ポイントを獲得できれば、今日の仕事は終わりだと考えているだろう。逃げ切りを目指そうという気もないだろうし、積極的に先頭を牽く気もないだろう。
1つ目の登りに入った。一瞬、千葉の竹内ペースが落ちたが、すぐに佐賀の武雄と水野が先頭に出た。ずっと平坦を牽引していた竹内、伊佐が下がっていく。
「佐賀が先頭に出ましたけど、千葉のアシストを削り落とす目的なのでしょうか」
「佐賀の思惑は考えるな。考えるだけ無駄だ」
たった一つの目的のために佐賀が行動を起こすとは、植原には思えなかった。ただ、そう考えさせられているのも、佐賀の、坂東裕理の術中にはまっているのかもしれないとも思えてしまう。
1つ目の2級山岳の山頂に出た。佐賀のペースは速く、この時点で逃げ集団との差は1分を切っていた。
佐賀の水野が先頭で山を下っていった。相変わらずペースは速い。
モトバイクが出してきたタイム差のグループは、4つに分かれていた。
逃げ集団、山岳リーダー、総合リーダー、そしてスプリントリーダー。
この時、植原は佐賀の狙いが現在のスプリントポイント賞のジャージを着用する宮崎の南龍鳳を、2つの山岳の間にある中間スプリントポイントまでに置き去りにする目的があったのだとわかった。メイン集団ももう50人も残っていない。千葉は竹内と伊佐、佐賀も鳥栖が脱落していった。
しばらくすると、メイン集団は山岳賞ジャージを着用した千秋に追いついた。
千秋は植原を指さすと
「ざまあみろ!」
と捨て台詞を言って集団のに飲み込まれ、そこからも脱落していった。
「彼は何を言っているんだろう」
「植原さん、昨日僕らで千秋選手の山岳ポイント獲得を邪魔したじゃないですか」
「ああ、そうだった」
「今日、植原さんと千秋選手が同ポイントで1位だったのが、さっきの山岳ポイントを獲って単独で1位になったから、だと思います」
「こちらは、山岳賞には興味がないんだけどな」
「そうですよね」
近江は苦笑している。だが、植原は笑う気にはなれなかった。
千秋は、植原が獲得するつもりのない山岳賞を渇望している。
しかし、植原が何としても手に入れたい総合リーダーを、冬希は植原ほど欲していないのではないかとも思うのだった。いつか冬希が言っていたように、負けたら仕方ない、と言えるほど自分が割り切れるとはとても思えない。
水野が、中間スプリントポイントを3位で通過した。1位と2位は逃げている牧山と有馬だ。どっちが1位かはわからない。植原自身も15位以内には入っている筈だが、何の関心も湧かなかった。
集団が中間スプリントポイントを通過すると、佐賀の牽引も終わった。
「近江、森田。集団の先頭に立ってくれ。ペースを落とさせるな」
ペースが緩めば、上りで一度は千切れていった千葉や佐賀のアシストたちが、再度追いついてくるかもしれない。東京のアシストは、全員そろっている。
今日は、ハイペースが続いており、ここまでも決して楽な展開ではなかった。それは全チーム同じ事だ。
「ここが勝負どころだ」
宮之浦岳は、雲で見えなくなっていた。
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