第355話 全国高校自転車競技会 第6ステージ④

 メイン集団のペースが一気に早くなった。

 佐賀の起こした混乱で、佐賀自身と福岡は既に集団の前方から姿を消している。

 千葉もいったん後方に下がったが、竹内と冬希だけは、前に戻ろうと動いていた。

 竹内に連れられているにもかかわらず、メイン集団の前方へ上がっていくのにかなり苦労していた。

 メイン集団の先頭は、プロローグで行われた個人タイムトライアルの優勝者、愛知の山賀聡だ。

 ペースが速いため、メイン集団は縦に伸びきっている。前を塞がれないのは良い事だが、流石の竹内も、山賀がハイスピードで牽引する中で前に上がっていくのは容易なことではない。

「冬希先輩、なかなか追いつけなくて、すみません」

「無理もない、山賀さん凄い牽引だ。そこそこのポジションまで連れて行ってくれたら、あとはなんとかするよ」

「いえ、ゴール前まで引っ張ります」

「まあ、そうしてくれる方がありがたいけど」

「愛知には、総合争いをしている永田と、スプリンターの赤井選手がいます。どちらで勝負してくるのでしょうか」

「間違いなく赤井だろうね」

 愛知のペースアップにより、一度後方に下がってしまった福岡は、ステージ勝負できるような位置までは戻ってくれないでいる。えびの高原の上りで千切れた宮崎の南龍鳳も、ペースが落ちた時にメイン集団の近くまで来ていたのかもしれないが、追いつけないでいるか、メイン集団の後方で必死に食らいついている状態だろう。まさしく、愛知の狙いはそこなのだ。

 可能であれば冬希や、山口の黒川も振り落としたかっただろう。しかし、山賀に引けを取らない竹内の牽引で冬希はポジションを回復しつつあるし、アシストの多田が上手く反応した黒川も、集団前方の位置を保っている。

 佐賀の怪しい動きから潤を守れた。今日の成果としてはそれで充分かもしれない。

 佐賀の鳥栖という大柄な3年生は、後ろを見ずに千葉のトレインに寄せてきていた。冬希がぶつかってきたことにも気づいていなかっただろう。

 冬希は、鳥栖にぶつかる瞬間だけ、全体重を右肩に預けた。それは、柔道で技をかけられる瞬間だけ体重移動を行い、防ぐのに似ているかもしれない。

 佐賀との戦いは、お互いの弱い部分を食い破りあうようなものだった。

 それに対して、黒川との戦いは、お互いの強い部分をぶつけ合うというような表現が近い。

 どんな戦いにも勝ってこそ、総合優勝という名にふさわしいのだ。

「竹内、少し足を休めるんだ」

 先頭は愛知で、まだ山賀が牽引している。ただ、先頭を牽く時間が長くなってきた。

 次に東京が位置しているが、植原がスプリントに参加するかどうかは不透明だ。

 植原の後ろに多田、黒川がおり、1列になったメイン集団の隊列に竹内と冬希が寄せていくと、黒川の真後ろにいた鳥取の選手が前をあけて、隊列に入れてくれた。今大会では冬希はしばしばこういった実績と知名度による恩恵を受けている。ここで竹内は、少しだけ脚を休め、呼吸を整えることが出来た。

 残り3㎞を通過した。

 愛知の永田が下がっていった。植原の東京も明らかにペダルを踏む足を緩めた。

 東京をかわして、山口の多田が愛知のトレインの真後ろについた。その後ろに竹内と冬希。

「冬希先輩、山賀選手のペースが落ちません」

「あの人、めちゃくちゃだな……」

 残り10㎞あたりから、ずっとハイペースで牽いている。

 山賀は昨年のインターハイで赤井のアシストとして、冬希のアシストだった郷田とマッチアップする機会があった。二人の脚質は同じくルーラーだった。

 その時は、郷田の方が力が上のように見えたが、今大会のルーラーとしては、どう考えても断トツの強さだ。竹内も及ばないだろう。

「そろそろ行きます。少し休めたのでゴールまで行けると思います」

「任せたよ。竹内」

 残り1.5㎞で竹内は黒川の後ろを出て多田、赤井、そして山賀に並びかけていった。

 竹内が上がってきたのを見た山賀は、赤井に目配せをした。

 赤井は、いつのまにか冬希の後ろに乗り換えていた多田、黒川の後ろに入った。

 山賀は、脚を止めて下がっていく。

 山賀の役目はレースをハイペースに保つことだった。その役目を竹内に引き継いだという事だろうか。

 レースの先頭は竹内。

 その後ろに冬希。

 多田が抜けて黒川が冬希の真後ろにいた。

 直後に赤井がつけた。

 その後ろは少し離れた。

 残り700の右カーブ。

 最内を回る竹内と冬希に、外側から黒川が並びかけてきた。

 竹内の真後ろのポジションを奪うため、体を入れてきた。

 体と体がぶつかる。

 強い。鳥栖の時とは違う。

 黒川の体は、遠心力がかかっているのも関わらず、まったく外側に膨らむことは無い。

 直線に入った。残り500m。

 黒川は冬希に体をぶつけつつ、頭もぶつけてきた。

 目から火花が散った。

 冬希も負けじと、黒川に頭をぶつけた。しかしうまくいかない。頭をぶつけあうようなポジション争いは初めてであり、黒川はこういう喧嘩慣れしているようだ。

 残り200mで、赤井が先に動いた。

 黒川が、冬希との争いをやめて、赤井を追おうとした。

 冬希は、渾身の力で黒川にぶつかった。今度は頭も上手く入った。

 黒川が目に見えてよろめいた。

 冬希が竹内を抜いてスプリントを開始する。

 残り150m。

 赤井の背中が確実に迫ってくる。

 並びかけた。

 冬希、ハンドルを投げた。

 赤井、一瞬遅れてハンドルを投げた。

 フィニッシュラインを通過する。

 僅差だった。

 だが、冬希は勝利を確信した。

「ここまでやって、勝てないのかよ!」

 赤井は、ハンドルを叩いて叫び、天を仰いだ。

 二人に少し遅れて、黒川がフィニッシュラインを通過した。


「くそっ!」

 黒川は、ボトルゲージからドリンクボトルを手に取ると、地面に叩きつけた。

 ボトルが跳ね、水が飛び散った。

 多田がフィニッシュラインを通過して、3位となった黒川のもとにやってきた。多田の方は一応ステージ5位という成績になる。

「負けたか。自分から喧嘩仕掛けておいて負けりゃ、世話はないな」

「まったくだ」

 歯に衣着せぬ言い方をしてくれる多田の存在が、黒川には有難かった。

 黒川は、ユース時代にもよくこういう荒っぽい展開に持ち込むことはあった。

 相手は負けた後、汚いなどと文句を言ってきていたが、負け犬の遠吠えと、相手にしなかった。

 今日、負けた側の立場になった。

「くそ、最高の気分だ。負け惜しみじゃねーぞ」

「お前は、瞬発力で青山に負けている。だから、赤井が仕掛けた時にお前の方が先に動かなければならなかったんだ」

「そうか」

「お前は、青山と戦っている途中に、赤井を追おうとした。つまり敵に背を向けたんだ。そりゃ後ろから斬られても文句はいえないよなぁ」

 羞恥心と自分への怒りのため、黒川は顔が紅潮するのを感じた。

「けど黒川よ、ほんの一瞬の展開のあやだったと俺は思う。お前が隙を見せるのがもう少し遅ければ、全体的に青山の動きも遅れて、赤井を差し切れてはいなかっただろう。それぐらいの僅差だった」

 だがその場合、黒川自身も赤井に届いていない可能性もあった。冬希は黒川など無視して、赤井とスプリント勝負をしていただろう。

「多田、強いな。あいつは」

「青山の強さが前面に出たレースになった、という事だ。佐賀の奇行が、上りのレースを平坦ステージに変えてしまったのもあるが、うちのチーム自体が、お前に最適なペースでのレース展開を作るような力がないからな」

 黒川は、何かを言おうと思ったが、口にすべき言葉を見いだせなかった。

「黒川、お前はいい勉強をさせてもらってるよ」

 冬希は、ステージ優勝とともに、総合リーダーにもなった。

 勝つために自分がやるべきことは何か、それを考えなければならない。それは確かに、黒川にとって新鮮な経験だった。

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