第353話 全国高校自転車競技会 第6ステージ②

 総合リーダージャージを着用する植原の東京チームは、メイン集団のコントロールを完璧に行っていた。

 2名の逃げを確定させた後、メンバー全員でメイン集団の先頭に位置すると、逃げグループとのタイム差を1分前後で安定させていた。いつでも捕まえられる位置に、という考えだろう。

 30㎞先には、中間スプリントポイントがある。

 スプリント賞を争う選手を擁するチームたちは、逃げている選手を捕まえたうえで、中間スプリントポイントを狙いたかったため、逃げている選手たちとのタイム差には神経質になっていた。東京は、1分差、といういつでも追いつけるタイム差を提示することで、それらのチームを黙らせていたのだ。

 スプリンター系のチームが争い始めると、メイン集団の選手たちも、無駄に足を使わされることになる。東京チームのコントロールは、彼らにとっても、本当にありがたいものだった。

 山口チームは、多田、黒川の他にも3人の選手を抱えている。3人とも、全国で戦うにはいささか以上に見劣りする顔ぶれではあったが、今のところタイムアウトにならずに、無事に毎ステージを走り切れている。それは、千葉や東京といったメイン集団のコントロールに長けたチームが、ペースを安定させてくれているところにあると、多田は思っていた。

 この大会は、黒川のキャリアにとって、どんな意味があるのだろうか、と多田は考えていた。

 既にユースでシリーズチャンピオンになっている黒川は、放っておいても上位カテゴリにステップアップすることは約束されていただろう。だが、そんなこととは関係なく、シーズン終盤から黒川は荒れていた。

 今の黒川を見てみると、落ち着いているように見える。

 レース内での状況は良くない、と多田は思っていた。

 総合リーダーは東京の植原となっている。強力なチームにあって、きわめて安定した能力を発揮している。黒川が植原に負けると思っているわけではないが、両者の実力は拮抗しており、アシストが物足りない山口としては、むしろ劣勢と言える。

 佐賀の天野については、チーム自体が得体のしれない雰囲気を放っており、今日ようやく動きを見せた。このまま大会の終盤まで実力を隠したまま行くのかと思っていたが、そろそろ動く時だと判断したのか。

 それに対して、千葉の青山冬希は、オールラウンダーとしては、黒川も含めた4者の中で、もっとも不安定な男であると多田は見ていた。特に上りでは、第4ステージで黒川、天野、植原の3名に対して遅れていた。

 だが、今はそのスプリント能力で、実質的に総合争いの主導権を握ろうとしていた。

 第5ステージでの走りは、多田も含めて総合上位の選手たちの心を追い詰めたことだろう。

 上りで他の選手たちを千切る力はなくとも、一緒にゴール前までついていくだけで、実質そのステージで最先着する事が約束されているのだ。

 ユースの選手たちは、周回練、インターバルトレーニング、山練などで、なるべく自分の弱点をなくす練習をしてきた。その結果、スプリントが得意なオールラウンダー、ヒルクライムが得意なオールラウンダーという、強力な選手はいたが、冬希のようなスプリントに極振りしている選手が、多少は山も上れるようになりました、といったようなタイプがいるのは、高校自転車競技の特徴なのだろう。そもそも山登りが不得手な時点で、ユースの入団テストで受かる可能性は低い。

 黒川は、上りもできるし、スプリント能力も高く、ユース時代は黒川が後ろからスプリントで抜かれるという姿は、見たことがなかった。しかし、それでも今のところ青山冬希に対抗できる手段が見つからない程、スプリント能力には差があるように見えた。

 そのこと自体は、黒川にもわかっているはずだが、多田から見た黒川は、その点は気にしていないように見えた。

「なあ黒川。このステージどうするよ。えびの高原の上りで青山を振りほどけなければ、結局またゴール前で奴の餌食だ」

「わかってるよ多田。俺は楽しくなってきたぜ」

 こういう奴だった。と多田はため息をついた。

 この男が不機嫌になるのは、相手が不甲斐ない時だ。

 相手が自分より弱い選手ばかりの場合、時間を無駄にしているのではないか、とか、自分一人別の惑星に取り残されてしまっているような気分になるそうだ。

 多田は、幼稚園の中で一人だけ大人が授業を受けているような感覚に近いのだろうと理解していた。

 自分と同等以上の力を持った相手と闘う場合、敵というよりは、同志に出会ったような気持ちになっているのだという。

 逃げグループがなすすべもなく捕まり、メイン集団は中間スプリントポイントを通過した。

 宮崎の南龍鳳が1位通過。福岡の立花、愛知の赤井と続いたが、4番手に佐賀の水野が入った。

 スプリントに参加したというよりメイン集団の先頭を牽引するような形だったのは、無駄な争いをすることのない中で、最も高い順位で通過することを選んだという感じだった。

 中間スプリントを超えると、次はえびの高原への上りが始まった。

 中間スプリントポイント直前では、スプリンター系チームの宮崎や福岡、愛知がメイン集団の前に出てきていたが、現在では再び東京のコントロールが始まった。そしてその頭を押さえるように千葉の平良柊が一人だけ東京の前に出てペースを作り始めた。

「見ろよ多田。あの千葉の男、平良柊といったか。まるで平坦を走っているようだな」

 黒川も舌を巻く程、柊の上りは卓越していた。

 柊は、冬希のために上りのペースを作ろうとしている。そして東京は先頭で風を受けないで済むというメリットがある。東京は下りからが勝負だと思っているのかもしれないが、アシストとして使える駒がない自分たちは、どちらにしても手が出せないと多田は思っていた。

 勾配のきつい区間が終わり、用は済んだとばかりに柊は集団の後方に下がっていった。

 一瞬ペースが止まり、再び東京のコントロールに戻ったところで、柊に劣らぬ軽快さで、ひとりの選手が飛び出した。

 静岡の千秋秀正だ。

 千秋は、山頂まで残り300m付近で加速したが、東京がそれを阻止するように動いた。

「なんだなんだ」

「千秋は、総合優勝争いには関係ないと言っていい。多分山岳賞狙いだ」

 植原自ら動いている。

 千秋のアタックは強烈だが、勾配は千秋の得意とするほどの厳しさはない。

 東京の麻生、植原、夏井、そして静岡の千秋の順に山頂を通過した。

 メイン集団は下り始めたが、千秋は植原のところまで上がっていき

「おい、植原。俺は山岳ポイント狙いで、別に総合やステージ優勝狙いでアタックしたわけじゃないんだぞ」

 植原は、一瞥しただけで、千秋を無視した。

 黒川は、興味深そう成り行きを見ている。

「おい多田、何が起こっているんだ」

「多分だが、第5ステージで総合リーダーチームだったにもかかわらず、静岡はメイン集団のコントロールに参加しなかった。東京や千葉がそれを押し付けられたわけだが、そのことに対する精彩みたいなもんなんだと思う」

「仕事していないのに、山岳ポイントだけ取りに行くって、都合がよすぎるんじゃないかってことか」

「そうだな」

 その辺の不文律については、ユースより全国高校自転車競技会のほうがはるかにシビアだ。そのことがわかっていたから、不用意に黒川に総合リーダーを獲りに行かせないようにしているのだ。

 東京チームは、千秋の動きにより余計なところで脚を使わされた。

 下りのペースが想像より幾分緩くなっているかもしれない。それは、下りが苦手な千葉の青山冬希に、利する結果になるのではないか。

 第5ステージの永田のアタックや、今日の千秋の山岳賞狙いの動き、想定外の選手たちによる動きが、微妙に冬希に有利に働いている気がする。

 レースでは仕方ない事だと、不安や不満を、ボトルの水と一緒に飲み込んだ。

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