第350話 全国高校自転車競技会 第5ステージ④
勝ったか、と冬希は思った。
差し切ったことは、間違いなかった。
厳しいレースだった。上りのペースは速く、何度も追走集団から千切れるかと思ったが、勾配がそれほどきつくなかったのが幸いした。ある程度スピードが出て、ドラフティング効果が得られた。
離されそうになっても、ずっとアシストについてくれていた潤が少しずつ集団へ戻してくれた。
心拍数が上がり切り、もう厳しいかと思った時、ゴールまで残り2㎞ぐらいの位置だったか、一気にペースが緩んで、冬希は呼吸をと整えることが出来た。心拍数も下がった。それがなければ、集団についていくことを諦めて、またペース走行に切り替えるしかなかっただろう。
「勝ったか」
冬希は、今度は声に出して言った。
「いやいや、まて。勝ったのは俺だ」
声をした方を見ると、道路下の草の上に、大の字で寝転んでいる牧山の姿があった。
「牧山か。そんなところに転がっているから、見えなかったよ」
「もう一歩も動けん」
「首尾よく逃げ切れたか」
「青山、お前がアタックするタイミングを教えてくれたおかげだ」
「どれぐらい前にゴールしていたんだ?」
「30~40秒前かな」
「ずいぶん差が詰まったなあ。3分ぐらい先にいなかったか?」
「ゴール前が平坦じゃなければ、むしろお前ら全員に抜かれていただろうよ。最後は歩いたほうが早かった気がする」
「まぁ、とりあえずおめでとう」
「さらっと言ってくれるがな、軽く1勝してしまうお前と違って、こっちは1勝するのにも命がけなんだよ」
わかる話だった。逃げは、人数が少ない時も多く、風を受け続けながら走ることも多い。逃げに乗れなくても、ずっとアタックする機会をうかがっているため、気が休まる時間もないと牧山自身から言われたことだ。
「それはそうと青山。あの3人をまとめて差し切って、総合リーダーになったか?」
あの3人というのは、植原、黒川、天野の事だろう。
「いや、総合リーダーは植原かな。ボーナスタイム以外のタイム差はついてないと思うから」
「そうか、それにしても強かったな、お前」
「まぁ、ゴール前まで一緒についていければ、あとはスプリント力で勝てるかなとは思っていたけど」
「そこがお前の強みだな。黒川選手もスプリントで勝ったこともあるし、植原も上れる選手の中ではスプリント力がある方だけど、スプリンターとして戦ってきた時期があるわけじゃないからな」
牧山は、ようやく上半身だけ体を起こした。
「ほら、ステージ優勝祝いだ」
冬希はペットボトルのスポーツドリンクを差し出した。
「お前、これ選手たちに無料で配ってるやつじゃないか。まあ貰うけど」
牧山を探す声が聞こえてきた。
ゴールしたん選手は、草千里とは反対側の駐車場へ進むよう事前にスタート前に指示があっていた。冬希と牧山の場所は完全に動線から外れている。
「牧山、お前がここにいること誰か知ってるんだっけ?」
「まずい、怒られる」
牧山は飛び起きて、道路までの斜面を駆け上がった。冬希もそれに続く。
道路まで上がって二人が見たものは、ステージ優勝した牧山を探して右往左往する運営の人々だった。
続々と選手たちがフィニッシュラインを超えて引き揚げてきた。
草千里と道路を挟んで反対側には、展望所や博物館が並んでおり、その前には広々とした駐車場がある。レース後のセレモニーもそこで行われる。
ステージを5位で終えた天野は、佐賀チームのために用意されたテントの中で、コース図に赤ペンで書き込みながら、チームメイト達にレースの経緯を説明していた。
「永田や植原に先手を取られて、動くに動けなかったな」
「申し訳ありません」
「いや、責めているわけじゃない」
裕理の表情は読めない。だが、落胆しているようには見えなかった。
「永田はわからんが、ゴール前までついてこられたら、冬希にやられるということは、植原にはわかっていたのだろう。その前に冬希を置き去りにしたかったのだろうし、お前や黒川にもダメージを与えたかったというところか」
「はい」
「水野が下がってきたとき、アシストは要らないと断ったそうだな」
「はい、あの時はもう、そういう局面ではありませんでしたので」
「今日のステージではそれでいいが、総合優勝を目指すうえでは、まだそういう局面ではない、という認識でいてくれ」
九州では、どちらかというと1日で完結するワンデーレースが多く、天野自身もまだステージレースでの考え方が出来ていないという自覚はあった。どうしても個々のステージでどう勝つかという考え方になってしまっていた。
「青山冬希を倒すすべはあるのでしょうか」
天野は、不安に思っていたことを口にした。言って少しだけ公開した。弱音を吐いているように聞こえたのではないかと思った。
「スプリント力、と言ってしまえば簡単だが、実際にはゴール前での立ち回り方も含めての話になる。兄貴は基本的にはオールラウンダーだったが、その立ち回りだけで生粋のスプリンターたちを何度も打ち負かしてきた」
裕理の兄である坂東輝幸は、スプリンターの一人だと思われがちだったが、実際には九州のワンデーレースは殆ど勝っていたし、全日本選手権も優勝するオールラウンダーだった。
「黒川は、ユースのレースをスプリントで制したこともあるし、植原も中学時代からその心得はあるだろうが、ゴール前での立ち回り方も含めると、冬希に対抗するのは難しい」
「なるほど」
「植原など、ゴール直前まで、冬希が接近していることに気が付かなかったのだからな」
冬希は、黒川の後ろで空気抵抗を避けつつ、黒川の体格を利用して、植原の視界から隠れるという事までやっていたのだと、後ろから見ていた天野には分った。
「冬希は、急な勾配のあるレースや、強い選手たちについていけない場合、一定ペースを守って走るし、勾配が緩かったり、総合上位勢についていける場合は、ついていこうとする。そういうレースをするだろう」
「はい」
「当然先頭交代には加わらない。一緒にゴールまで行って一番有利なのは冬希なのだからな。だから総合上位の奴らは、いかに冬希を引き剝がすかというレースをしなければならなくなるだろう」
「黒川選手や植原選手と強調して、戦うという事は可能でしょうか」
「やり方による。お前ひとりが抜け出したら、植原も黒川も、お前を追わなければならないし、植原や黒川がそれぞれ他を引き離しても、お前も二人を追わなければならない」
「それでは、青山選手に対する攻撃は無駄なのでしょうか」
「お前と、植原、黒川、冬希の4人で、一番上れないのが冬希だ。切れのあるアタックは、植原と黒川を刺激するかもしれないが、上りでの、じわじわと真綿で首を締めるようなペースアップなら、上手いこと冬希だけを削り落とすことが出来るかもしれん」
「やってみます」
「植原と黒川に、お前の意図を悟らせろ。お前だけが脚を使わされる展開は避けなければならないし、何よりも冬希を蹴落とすには二人の協力が不可欠だ」
「承知しました」
裕理は、立ち上がった。
天野は、テーブルの上のコース図を畳んだ。
「天野、お前と冬希が1対1で今日のコースを走ったとしたら、間違いなく大差でお前が勝っていただろう」
「それは」
「植原と黒川の存在が、状況を複雑にしているんだ。そのことを忘れるな」
天野は一瞬、励まされたのか、と思ったが、その考えを慌てて打ち消した。
裕理の姿は、もうテントの中には無かった。
外では表彰式が始まっていた。
スピーカーから、牧山のむせび泣く声が聞こえていた。
■第5ステージ
1:牧山 保(茨城)81番 0.00
2:青山 冬希(千葉)1番 +0.42
3:植原 博昭(東京)131番 +0.42
4:黒川 真吾(山口)351番 +0.42
5:天野 優一(佐賀)411番 +0.42
6:永田 隼(愛知)235番 +0.47
7:有馬 豪志(宮崎)451番 +0.53
■総合
1:植原 博昭(東京)131番 0.00
2:黒川 真吾(山口)351番 +0.03
3:青山 冬希(千葉)1番 +0.03
4:天野 優一(佐賀)411番 +0.07
5:永田 隼(愛知)235番 +0.31
6:有馬 豪志(宮崎)451番 +0.41
■山岳賞
1:千秋 秀正(静岡)221番 10pt
2:平良 柊(千葉)4番 8pt
3:植原 博昭(東京)131番 8pt
4:牧山 保(茨城)81番 7pt
5:青山 冬希(千葉)1番 7pt
6:平良 潤(千葉)3番 5pt
7:黒川 真吾(山口)351番 4pt
■スプリント賞
1:南 龍鳳(宮崎)455番 135pt
2:赤井 小虎(愛知)231番 127p
3:水野 良晴(佐賀)415番 120p
4:立花 道之(福岡)401番 117pt
5:青山 冬希(千葉)1番 63pt
■新人賞
1:永田 隼(愛知)235番 0.00
2:竹内 健(千葉)5番 +3.20
3:藤松 良太(栃木)341番 +15.33
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