第348話 全国高校自転車競技会 第5ステージ②

「どうやら、うまく逃げてくれたか」

 牧山と水野の後姿を見送って、冬希は独り言ちた。

 今朝のチーム内のミーティングで、総合リーダーチームである静岡が、というか総合リーダーである千秋が積極的に集団のコントロールに乗り出さないのではないかという疑念は上がっていた。

 昨日の第4ステージで最後までステージ優勝を争った柊の疲労が深刻だったのだ。同じペースで走っていた千秋がノーダメージとは考えにくかった。

 チーム内で、柊は今日のステージでのアシストの仕事から外し、回復させながらゴールを目指させるという方針となった。千秋を抱える静岡も同じ結論になっていてもおかしくはないというのが潤の意見だった。

 パレードランの後の、アクチュアルスタート(正式スタート)の後、静岡の動きが悪かった場合、コントロールできない状態でレースが進むのを防ぐために、自分たちでメイン集団のコントロールに乗り出すべきだという話でまとまった。総合優勝を目指すチームとして、また前年度の総合優勝チームとして、その程度の事はやってのけなければ、他のチームに示しがつかない。

 冬希が、牧山に逃げやすいタイミング、つまりスタート直後のアタックを進めていいかを潤に確認したのは、単純に、走り方を教えてくれた牧山に対して、恩返しの意味が強かった。

 潤は、いいんじゃないか、と言った。

 潤の話では、出来るだけ早く逃げが決まった方が、集団が安定しやすい、というメリットがあるという事だった。第4ステージのように、いつまでも逃げが決まらなければ、延々とアタック合戦が続いてしまう。

 冬希は、牧山から聞いたことがあった。逃げを狙っている選手は、別の逃げが決まってある程度距離が離れてしまったら、もうアタックはしないということだ。

 逃げを決めたグループを追いかけてアタックをしても、そのグループが走る以上のスピードで追いかけなければならないという難しさと、第2グループとしてメイン集団から抜け出したとして、そのままゴールしても優勝は前のグループに持っていかれるので、そもそも抜け出す意味がないという理由からだ。

 言われてみればその通りだと冬希は思った。そのため、千葉としては牧山が逃げを決めて、他の逃げたい選手たちが諦めるような状況を作る必要があった。

 牧山と水野を追いかけたいという選手たちが全員ひと塊となってグループを形成し、メイン集団から抜け出そうとした。しかし、個人タイムトライアルで上位に入った竹内や、愛知の山賀のしのぐスピードを持つ選手など含まれていない。協力して牧山らを追いかけようと、グループ内で医師が統一される前に、メイン集団に追いつかれ、尻すぼみとなり、集団の中に吸収されていった。

 逃げる意志を持って脚を使っていた選手たちが一斉に捕まったため、アタックは完全に途切れた。その隙に、牧山と水野は、3分から4分の差をメイン集団につけた。

 逃げを狙っていた選手たちの心が折れた。

 千葉、愛知、東京の選手たちが横に並びでメイン集団の前に出た。完全に蓋をした形となった。

 総合上位勢は、殆ど力を使わずにメイン集団を安定させることに成功した。

 千葉から竹内、東京からは近江、森田、そして愛知からは長谷川、玉置が出て、5人で先頭交代を始めた。全員1年生だ。

 その後ろで走る冬希と潤のもとに、植原がやってきた。

「牧山を行かせたのは君か、青山」

「ああ」

「スタート前、君と牧山が話しているのが見えたからな」

 愛知の山賀、赤井も上がってきた。

 山賀は、冬希に目礼をした。

 冬希は昨日愛知の永田をゴールまで引っ張っていったことを思い出した。

 山賀は、メイン集団をコントロールする方針について話し始めた。

「どの程度のタイム差まで許容する?」

「逃げている二人は、総合タイム的には総合優勝争いには無関係だ。逃げとのタイム差をコントロールする必要はない」

 潤が答えた。悠然としている、というより、どこか他人が指している将棋について解説しているようだ、と冬希は思った。それでいて山賀がうなずくほど説得力もある。

「それにしても総合リーダーチームである静岡は醜態だったな、平良。黒川の率いる山口もメイン集団のコントロールに失敗したことはあったが、一応はコントロールをしようという姿勢は見られた」

「山賀、静岡のあれは仕方ない側面もある。パレードランでは千秋も最前列にいたが、アクチュアルスタートした途端、集団に飲み込まれていった。静岡のアシストたちは泡を食って千秋を探しに下がっていったよ。チームのエースが下がっていったんだ。メイン集団のコントロールどころじゃないさ」

「それはそうかもしれないが」

「まあ、なにかしら制裁を受けるのは仕方がないと思うが」

 植原もうなずいている。

 静岡的には仕方がないことはわかるが、集団のコントロールを押し付けられた側としては、納得がいかないという面もあるだろう。

「まあ、それも明日以降の事だ。今日はどのみち、静岡に前に上がってくる力は無いだろう」

 逃げグループとメイン集団のタイム差は、5分にまで広がった。

 伊佐は、柊の面倒を見るために集団の後方にいるはずだ。

 潤も、先頭を牽引する竹内も、逃げとのタイム差より、疲弊した柊がメイン集団から遅れないかという点を意識していた。

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