第347話 全国高校自転車競技会 第5ステージ①

 茨城のエース牧山保は、第4ステージまでのすべてで逃げに乗ってきた。

 体力的に厳しいものはあるが、どのステージで逃げ切りが決まるか、まったくわからなかったというのが一番の理由だった。とりあえずすべてのステージで逃げに乗り、逃げ切りが難しいと思った場合は、速やかにあきらめて、集団に戻った。

 集団に戻っても、集団のペースが速く自分に合わないと思った場合は、集団から遅れることも厭わなかった。翌日の逃げに乗るために、体力を温存する方が重要だと思っていた。

 総合トップとのタイム差はどんどん開いていったが、逆に、逃げる際に総合上位勢からマークされなくて済むというメリットの方が大きかった。

 第5ステージのスタート前、早めに並んで集団前方にいた牧山のもとに、冬希がやってきた。総合リーダーの座は明け渡したはずだが、相変わらず集団は冬希がくれば綺麗に道を開けて前に通している。

「よう大将、今日も逃げに乗るのか?」

「だれが大将だ。俺にはそれしかできんからな。全ステージを通じて上位に入るなんて、俺にもチームにも、そんな力はない」

 冬希は、急に小声になった。

「今日のスタート直後、最初の30秒ぐらい、メイン集団がコントロールされていない状態になる可能性が高い。騙されたと思ってアタックしてみないか」

 理由はわからないが、自分にだけ何か秘密の情報を教えてくれているのだということだけはわかった。牧山は、考えてみる、とだけ返答した。

 牧山のスタンスは、アタック合戦が始まって状況を観察し、アタックをかける側も追走を行う側もひと呼吸入れるタイミングを見計らい、切れのあるアタックで逃げを決めるという手法だった。色々な方法を試している時期もあったが、この方法が一番決まる確率が高いという判断だった。

 水野のように、やる気がないスピードで集団からちょっとだけ抜け出し、すぐ捕まるだろうと誰も追いかけない状態で、コーナーで一気にスピードアップして集団が気付いた時には遠く離れている、というようなやり方もある。だがその方法で成功したことは無かった。良くも悪くも、逃げ屋として名前が売れすぎてしまっており、一緒に逃げようとする選手たちも追いかける総合上位勢も、油断などしてくれないのだ。

 パレードランが終わり、アクチュアルスタートが切られた。

 牧山は、足慣らしもかねて試しにアタックをしてみることにした。

 思いのほか、集団の動きが鈍く、混乱しているように見えた。

 振り返ってみると、もう総合リーダーチームのはずの静岡の姿がない。というか、アクチュアルスタート直前まで集団の先頭だった、総合リーダーである千秋の姿も見えない。集団に飲み込まれてしまっている。

 牧山に、佐賀の水野が追いついてきた。そのほかにもパラパラとアタックがかかっており、冬希の千葉、植原の東京が集団の前方を固めようとしているが、散発的な逃げに対応できていないように見えた。

「先頭替わる。逃げるぞ」

「ああ」

 水野が前に出た。しかしペースが速い。

「おい水野、速すぎるぞ。後ろから来ている連中が追いつけない」

「今日は上ったり下ったりが多い。このペースに追いつけないような有象無象を一緒に逃げに連れて行ってもしょうがないだろう。荷物になるだけだ」

「まあ、そうだな」

 牧山が再度後方を振り返ると、20名ぐらいの大きなグループが追いついてこようとするが、絶対的なスピードが足りない。千葉の竹内や、永田の総合を援護するためか前方に出てきた愛知の山賀に捕まり、吸収されていく。馬鹿な奴らだと牧山は思った。千葉や東京、愛知がメイン集団をコントロールするとして、先頭交代するのはせいぜい7~8名だ。勾配の底まできつくない今日のコースで、20名を7~8名で追いかけるという状況を考えると、そんな大人数の逃げが容認されるはずもない。早々に潰されるに決まっているのだ。今日のような場合、メイン集団が容認するのは多くて5~6名というところだろう。

「メイン集団が丸々太った豚どもに食いついた。その辺で一旦ペースが落ちるだろう。この隙に引き離してしまおうぜ」

「はぁ、結局二人逃げか」

「気を落とすなよ。これが5人でも6人でも、結局は俺ら二人逃げみたいな状態になるんだ。身軽でいいじゃないか」

「そうは言うがな水野、お前は中間スプリントポイント目当てだろう。それが終われば、結局途中から俺一人じゃないか」

「うちは天野の総合狙いだがね、俺が逃げに乗れば、佐賀は逃げ集団を追うのに協力しないで済む。そういう意図もあるから、まぁゴールまでは無理だが、終盤まで牧山に付き合ってやるよ」

「そう願うよ」

 牧山は、水野が暗に、終盤まで逃げに協力する代わりに、中間スプリントポイントの1位通過は自分に譲るように要求してきているのだと思った。

 牧山としては、別にスプリントポイントを収集しているのではないから、それは構わなかった。だが、スプリントポイント獲得後に、約束通り水野が逃げに協力してくれるとは、完全に信じてはいなかった。そんなものは、相手が水野でなくても、状況次第でいくらでも変わりうる。

 苦難のステージになりそうだ。そして、明日が休息日でよかったと、牧山は思った。

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