第346話 全国高校自転車競技会 第4ステージ④

 第2グループに合流した、天野の後姿が見えていた。

 冬希の後ろには、永田がぴったりと付いている。

 ゴール直前の平坦では、出来るだけ脚の筋肉を使わずに、それでいて可能な限りスピードを上げてた。無理は厳禁だが、タイム差は短い方がベターだと思っていた。

 フィニッシュラインを通過した。

「おつかれさま」

 冬希は背後の永田に声をかけた。

 永田は驚いたように、びくっと体を固くした。

「お疲れさまでした。すみません。ずっと前を牽いてもらって」

「気にしなくていいよ。余裕がある方が牽けばいいと思っているから」

「一定ペースで走っていただいたおかげで、何とかついていくことが出来ました。本当にありがとうございました」

「上級生の義務みたいなもんだよ。とにかく、明日も頑張ろう」

 冬希は、手をひらひらと振って話を打ち切った。このままでは赤井や山賀を連れてチーム総出でお礼を言いに来そうな勢いだと思った。流石にそれは困る。

 冬希は、柊の姿を探した。

「冬希、あそこだ」

 少し遅れてゴールしてきた平良潤が、後ろから声をかけてきた。宮崎の有馬と2人で一緒にゴールしてきたようだ。アシストがいない有馬は自分で動かなければならないタイミングが多いせいか、要所要所で動きが悪く、冬希からも30秒ほど遅れてフィニッシュラインを通過してきていた。

 潤が指さす先に、ベンチに座り込んでいる柊を見つけた。

 なぜかよくわからないが、さらにその先では千秋が大人の人に酷く怒られているようだ。

「おつかれさま」

 潤が、柊に優しく声をかけた。

「はぁ、疲れちゃったんだよ」

「クーリングダウンしてゆっくり休もう」

 柊はふらふらと立ち上がると、自転車を押して行った。

「大丈夫ですかね」

「昔からよくあることなんだよ。まだ保育園の頃、体操教室でも途中で、疲れちゃった、と言って父親のところに行って、何もしなくなっていたよ」

「そうなんですか」

「少し休めば、元気になる」

 場内放送を聞く限り、優勝したのはこっぴどく怒られている千秋のほうだった。

 柊は2位に入ることで、3位以下のボーナスタイムを削るという役割を立派に果たしてくれた。

「で、どうだった冬希」

「上りは、自制心との戦いという意味がよくわかりましたよ」

「タイム差は?」

「多分ですけど、先頭とは20~30秒差ぐらいかな、植原たちとは10秒無かったと思います」

「勾配が厳しい今日の内容としては上出来だ」

 潤は、ごく穏やかな表情で言った。

 無理をして一度脚が止まってしまえば、その程度のタイム差では済まなかっただろう。

「僕らももう下ろう」

 大観峰にゴールした選手たちは、自走で内牧まで下っていく。表彰式もそこで行われる予定になっていた。

 総合リーダージャージも山岳賞ジャージも失うことになった。だが、想定内の事だ。先はまだ長いのだから。


 内牧は、阿蘇のカルデラの中にある温泉地だ。

 坂東裕理は、ゴール後に自走で内牧まで下りてきた。心地よい疲労感が体を包んでいた。自転車に乗る人間の多くは、この感覚を好んで乗るのだろう。

 裕理は、先頭から10分以上遅れた、40人ほどのグルペット中でゴールした。

 人数が多かったため、制限時間に対してかなり余裕を持ってゴールすることが出来た。

 天野以外のチームメンバー、水野、武雄、鳥栖らも同じグループにいた。特に打ち合わせていたわけではなく、自然とそうなったと裕理は思っている。

 途中で、宮崎の南が裕理の真後ろにぴったりと付いていたので、南を従えたままグルペットから下がっていき、ある程度グルペットと距離を取ったところで、一気に加速して南を置き去りにしてきた。

 悪意しか感じられないようなやり方に思われただろうが、しっかりと南の周囲を固めていない宮崎のメンバーが甘いのだ。

 裕理のこういったやり方は、兄であり、元全日本チャンピオンでもある坂東輝幸の影響を強く受けていた。兄である輝幸は、実力でも全日本屈指のものを持ちながら、冷酷なまでに相手の弱点を突き、勝利を確実なものにするという戦い方をしていた。そんな兄の姿は、裕理にとって眩しかった。

 今日の嫌がらせで、宮崎は制限時間内にゴールさせるために、自分たちの力だけで南をゴールまで連れて行かなければならなくなった。

 宮崎の南は、今後も水野とスプリント賞争いをしていくことになる。今日のような地味な仕掛けは、じわじわと効いてくるだろう。

「裕理さん」

 先にゴールし、内牧まで下りてきていた裕理が、佐賀チームの機材を置いてあるテントの前で待っていた。

「報告しろ」

「はい、まずステージですが静岡の千秋が優勝、同タイムで2位に千葉の平良柊、15秒遅れで東京の植原、山口の黒川、そして私がゴールしました。その後7秒遅れで千葉の青山、愛知の永田、その後ろは」

「そこから後ろはいい。総合は?」

 裕理は、レースの結果を天野の口から報告させるようにしていた。

 10位までの結果とタイム差は本部前に掲出されているので、見ればわかるのだが、それを天野自身に確認、報告させることで自分自身の置かれている状況を理解させようという意味があった。

「総合1位は静岡の千秋秀正」

「ふっ」

 静岡の洲海高校は名門で、一昨年は全国高校自転車競技会を尾崎が、国体を丹羽がそれぞれ総合優勝している。当然選手の層も厚く、メイン集団をコントロールする能力は十分にあるだろう。だが、千秋が一銭の得にもならない集団コントロールに積極的に乗り出すとは思えなかった。

「冬希の走りをどうとらえた」

「青山選手は、一定のペースを乱さず、その姿勢は目の前に先頭グループがいるときも、その先頭グループの姿が遠のくときも、変わりませんでした。残り2㎞を過ぎたところで、前のグループとのタイム差がかなり開いてきたため、青山選手の後ろを離れ、前を追いました」

「それにしては、冬希とタイム差が開かなかったな」

「私の判断ミスです。黒川選手と植原選手が互いにけん制しあっており、私も加わったことで一層ペースが上がらない状況になってしまいました」

「ふむ」

 裕理はテント内のアウトドアチェアに座り、タブレットを開いた。

 Stravaを開き、ユーザー情報を探した。

 『mt.blue』という、隠すつもりがあるのかないのかわからないようなユーザーの記録を開いた。こういう間の抜けた部分も、あの男の面白いところだと裕理は思っていた。もっと隙の無いような男であったのなら、とても友人になろうなどとは思わなかっただろう。

「仕掛けたのは、残り2㎞付近と言ったか」

「はい」

「出力があがっているな。お前がいなくなった後、冬希はペースアップしている」

 Stravaに記録されているパワーのグラフが、ゴールする前の2㎞地点で一段上がっているように見えた。

 天野は、はっとなった。

「申し訳ありません。見極めが早すぎました。もっと待っていれば」

「天野、お前がどんなに待ったところで、冬希は動かなかっただろうよ」

「はっ?」

「どういう意味かわからんか」

 裕理は、気持ちが高揚していた。

「冬希は、お前に動かされたということだ」

 天野が、はっとなった。次第に頬が紅潮していく。

「千葉は、ここ2ステージで各チームとぶつかりあって、ある程度その実力は見えてきた。強弱はあれど、ペース走法を繰り返してきた冬希自身は、まだ底を見せていないと言える」

「はい」

「だが天野、底を見せていないのはお前だって同じだろう」

 天野の視線が、鋭さを増した。

「今後は、お前自身で色々と動いて見極めろ。冬希はお前の動きに釣りだされたのだからな」

 裕理はタブレットを閉じた。兄である輝幸を勝たせようとしていた時とは、また別の楽しみをこの大会に感じていた。


■第4ステージ

1:千秋 秀正(静岡)221番 0.00

2:平良 柊(千葉)4番 +0.00

3:植原 博昭(東京)131番 +0.15

4:黒川 真吾(山口)351番 +0.15

5:天野 優一(佐賀)411番 +0.15

6:青山 冬希(千葉)1番 +0.22

7:永田 隼(愛知)235番 +0.22


■総合

1:千秋 秀正(静岡)221番 0.00

2:黒川 真吾(山口)351番 +0.16

3:植原 博昭(東京)131番 +0.16

4:天野 優一(佐賀)411番 +0.20

5:青山 冬希(千葉)1番 +0.22

6:永田 隼(愛知)235番 +0.32


■山岳賞

1:千秋 秀正(静岡)221番 10pt

2:平良 柊(千葉)4番 8pt

3:植原 博昭(東京)131番 6pt

4:平良 潤(千葉)3番 5pt

5:青山 冬希(千葉)1番 4pt

5:黒川 真吾(山口)351番 4pt

7:天野 優一(佐賀)411番 2pt

7:麻生 孝之(東京)132番 2pt


■スプリント賞

1:南 龍鳳(宮崎)455番 135pt

2:赤井 小虎(愛知)231番 114p

3:立花 道之(福岡)401番 102pt

4:水野 良晴(佐賀)415番 100pt

5:青山 冬希(千葉)1番 54pt


■新人賞

1:永田 隼(愛知)235番 0.00

2:竹内 健(千葉)5番 +1.56

3:藤松 良太(栃木)341番 +10.49

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る