第345話 全国高校自転車競技会 第4ステージ③
先頭グループが二つに分かれた。
天野が見る限り、青山冬希は相変わらず自分の決めたペース以上の力を出そうとしていないようだった。にもかかわらず、先頭集団との差は一旦40秒まで開いたところから、15秒程度まで縮まった。先頭グループ内で何かしら牽制が行われていたという事だろう。
前に、急にタイム差が開き始めたタイミングでは、愛知の1年生である永田が千切れて下がってきた。今は、冬希、天野の後ろで第3グループに引っかかった形で、天野の後ろを付き位置で走っている。
永田が下がってきたときに、冬希は一時的にペースを上げて永田がグループに合流するのを阻止することも出来たはずだが、冬希は事も無げにマイペースを貫いた。
モトバイクが、ホワイトボードでタイム差を知らせてきた。
第1グループが2名、千秋、平良(柊)で、タイムは28秒差。
第2グループが2名、黒川、植原でタイム差は20秒。
タイム差は広がり始め、残り2㎞を切っている。
天野としては、ここで選択を迫られることになる。
佐賀大和高校自転車競技部の主将である坂東裕理からの指示は、青山冬希のペースを見極めること、そして総合タイムで上位勢からあまり離されないことだ。
総合タイムについては、裕理から細かい秒数指定はなく、天野自身の判断に委ねられている。どこまで冬希に付き合うか、天野自身で決めなければならない。
冬希がペースを上げてくれれば、天野としてはどちらの指示も完遂できるのだが、焦燥感に駆られる天野とは対照的に、冬希はタイム差のホワイトボードすら見ていない。見る余裕すらないのか、強靭な精神力で己のペースを守っているのか、天野にも判断できなかった。
先頭の千秋、平良柊は最終的に総合のライバルになる可能性は高くない。しかし、黒川と植原にこれ以上離されるのは、どう考えても問題だった。
つづら折りの向こうで、先ほどまで見えていた第2グループの黒川の背中も、もう見えなくなっていた。
「ここまでの男か」
天野は、冬希の後ろを出て前の植原、黒川を追い始めた。
永田が一瞬追って来ようとするが、すぐにあきらめて冬希の後ろに入った。
天野はもう振り返らなかった。青山冬希は優秀な選手かもしれないが、現時点では、ユースチャンピオンの黒川や、全日本選抜優勝の植原の方が脅威だとしか思えなかった。
国体総合優勝の天野が追いついてきた。
これは植原にとっては、想定外の事だった。
つづら折りで、折り返す前は姿も見えなかったはずだが、細かい折り返しを続けている間に、真後ろまで迫っていた。恐らく、植原や黒川が見えなくなっている隙にタイミングで差を一気に縮めていたのだろう。天野から二人が見えないという事は、二人からも天野が接近していることに気が付かないという事でもある。
まるで、
「だるまさんがころんだ」
をやっているようだ、と植原は思った。
黒川も天野も、簡単な敵ではない。それぞれが同年代最強レベル選手たちだ。これらを一度に相手にしなければならない。
植原は、登坂を苦手としているわけではなかった。しかし、ここまで急な斜度が長く続く上りは、こなせる、という域を出なかった。
事実、激坂であればあるほど良いという千秋による、緩急をつけたアタックに脚は削られていた。
ペースが上がらない。
そういう時は、色々なことが脳裏をよぎってしまう。
調子が悪いのかもしれないし、昨年は年末の、全日本選抜まで走った影響で調整が上手くいかなかったのかもしれない。
植原はかぶりを振った。
植原の前に、慶安大付属のエースだった露崎康弘は、調子の良し悪しなど関係なかった。海外から帰ってきたその足でインターハイで総合優勝して見せた。千秋の得意とする激坂でも彼を倒して見せた。
幸いというべきか、ペースが上がらない植原に対して、黒川も天野も仕掛けるそぶりはない。
黒川は、チームが総合リーダーとしてレースをコントロールする能力がないことから、積極的に動こうとしないかもしれない。そのことは作戦会議の中でのチーム内の予測にもあったことだ。
天野は、国体と同じように、逆転する余地がないようなタイミングで仕掛けてくるつもりだろう。最終第10ステージは集団ゴールが予想されるスプリントステージになるので、仕掛けてくるとしたら第9ステージか。
極端にペースを落としてみたりもしたが、二人は動かない。
植原は、自分一人で脚を使わされる展開を避けることにした。
千秋、柊は追わずに、黒川、天野を引き連れながらも、脚を温存しつつゴールを目指すことにした。
自分以上に山が上れる選手がいるとは思っていなかった。
それが、インターハイでは露崎に敗れ、国体2日目ではゴール誤認で後ろにいる平良柊の負けた。
全国レベルのレースでは、ステージ優勝すらないというのは、千秋秀正の現実だった。
後続のグループでは牽制が始まったようで、追ってくる気配はない。
後ろについてくる、うっとおしい3年生さえ振り切ればいいのだ。
しかし、細かいアタックを何度繰り返しても、柊は引き離せなかった。
山猿のように軽快に上っている。自分と同じタイプの選手だと千秋は思った。
「どれだけ脚に余裕があるんだよ。山猿かお前は」
「あんたにだけは言われたくないわ!」
相手に対して思っていたことを逆に言われ、千秋は思わず叫んでいた。
だが、そんなことを言ってくるということは、相手も苦しいはずだと、千秋は思うことにした。
残り500mを切ってもまだ柊は離れなかった。
「もう搦め手は品切れか?」
柊の言葉に、自分でも意外なほど闘志に火が付いた自分がいた。
「もしかして、卑怯な手を使わなければあんたに勝てないと思ってます?」
「違うのか?」
千秋は、自分が冷静さを失っていくのを感じていた。しかし、そこまで言われて黙っているぐらいなら、戦って負けた方がましだと、腹をくくった。
「吠え面かくなよ!」
千秋は、全力でアタックをした。
「にゃろう!」
柊も追いすがる。だが、先に動いた分だけ、千秋のほうが先行する。
上りの力は、柊の方が上だった。徐々に差が縮まってくる。
追いつかれた。
柊が前に出る。
だめだ。そう思った。
「疲れた・・・」
柊の脚が止まった。
コースは最後、大観峰の駐車場内に設置されたゴールに向けた50m程度の平坦に入る。
「ど畜生!!」
上りで負けた腹いせに千秋は叫んだ。
クライマーが上りで負けて、そのあとのスプリントで勝つというのは、腹立たしい事ではあった。
だが、勝ちは勝ちだ。
上りきったところで脚が止まった柊を置き去りにして、千秋は先頭でフィニッシュラインを通過した。
ゴール後に振り返って、柊に中指を立てたことで、千秋は運営から厳重注意を受けることになった。
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