第330話 全国高校自転車競技会 第1ステージ スタート前夜

「77位かぁ」

 消灯後のホテルのベッドで冬希は小さくため息をついた。

 他の二つのベッドでは、1年生二人が何度も寝返りを打っている音が聞こえてきている。さすがに眠れないようだ。

 冬希は、一番トイレに近いベッドにさせてもらった。

 ピュアスプリンターだった頃は、超級山岳、中級山岳、平坦ステージ含め、勝っても負けても順位など気にしたことはなかった。

 誰かが自分に期待しているなど、考えたこともなかった。神崎高校は総合優勝を狙うチームであった為、スプリンターである自分が勝っても、にぎやかし程度にしか思われていないと考えていたからだ。

 しかし、総合エースとなり、あろうことかゼッケン1番を着用することとなってみると、77位というのは、あまりにも見栄えが悪い気がしてならなかった。

 冬希は、眠ろうと目を閉じた。

 瞼の裏に思い浮かんだのは、1週間前に、サウナでコンディションを整えるために行った自宅近くのスーパー銭湯で、中学時代の同級生に会った時のことだった。

「青山じゃん」

 中学1年の頃に同じクラスだった綾瀬だった。

 綾瀬は勉強が出来た。学年でも10位以内に入る程だった。運動神経が良い上に、甘いマスクで、女子にも人気があった。

 目の前にいる綾瀬は、優等生といった雰囲気は既になく、茶髪にピアス、当時と違ってやや肥満気味の体に、派手めのシャツで、中学の校則から解放され、すっかり変わってしまったように見えた。だが、女子には相変わらず人気のようで、同じく派手めの女子二人を両側に連れていた。

 冬希は、綾瀬にあまりいい印象を持っていなかった。

 体育祭やクラスマッチでは、あまり運動が得意ではないクラスメイトを馬鹿にし、罵倒することもあった。モテなさそうな男子にあからさまに見下した態度で接することが多く、当時は冬希も色々と言われたが、やはり気分のいいものではなかった。

「こいつ、1年の頃さ」

 綾瀬が言いかけた時、両脇の女子は、自転車選手としての冬希の事を知っていたようで、驚いたような表情をしていた。

「こいつの事、知ってんの?」

「ば、ばか、やめなさいよ」

 指さそうとした綾瀬の手を、二人で抑えた。

「こんばんは」

「こ、こんばんは・・・」

 女子二人はおびえたような表情で冬希を見ていた。少なくとも冬希にはそう見えていた。

「あ、あの・・・」

 女子に一人が恐る恐る切り出した。

「そのシャツ、女の子向けのブランドなんですけど、後ろ前逆なんです。間違えやすいデザインなんですけど」

 なんで敬語なんだろう、と思いつつ、冬希は自分の着ているシャツを見た。

 今まで冬希が来ていたシャツは、冬希の体が絞れていくうちにサイズが合わなくなり、着るシャツがなくなってきたところを、姉が

「友達にもらったけど、大きすぎて切れないからあんたにやるわ」

 と貰ったものが、ジャストサイズだったため、着替えとして持ってきたのだったが、胸のあたりに来るだろうと思っていたプリントが、実は背中のものだったようだ。実は少し首が苦しいとは思っていた。

「あ、ありがとうございます」

 冬希も敬語になりながら、着なおそうとシャツを脱いだ。

「うわぁ・・・」

 冬希の体を見て、二人の女子が驚きの声を上げた。綾瀬も固まっている。

 体脂肪率は7%台だったと思う。

 体質的なものなのか、骨格筋量は思ったほど減らず、体重を減らそうとすると体脂肪率だけがみるみる下がっていった。その結果、自分でも若干引くほど筋肉質な体になっていた。

 綾瀬の、嫉妬と羨望と敗北感と、そしてもしかしたら後悔と、いろいろな感情が入り混じったような表情を、冬希は忘れられなかった。

 冬希は、綾瀬に対する優越感など微塵も湧かなかった。勝たなければならない相手は別にいる。

 だが、中学時代に比べると明らかに落ちぶれた同級生を見るのは、残念なことだった。

 自分以外の同級生たちも、知らないところで頑張っているに違いない。だから自分も頑張らなければならない、という感情は、冬希のモチベーションの一つであった。少なくとも、冬希の知る限り、荒木真理は勉強の成績も上がっているし、吹奏楽部でも努力を続けている。

 神崎高校に合格した時に、姉から言われた言葉があった。

「合格したからって、そこで満足したらその先は地獄しかないからね。優秀って人でも、努力ができない人間は、才能の貯金を使い果たしてそこで終わっていくんだから」

 目を開け、ホテルの天井を見つめる。

 竹内と伊佐はもう眠ったようだ。

 自分は、努力し続けてこれたのだろうか。

 少なくとも、今自分ができる最大の事はやってこれた気がする。

 勉強と部活、それぞれに振り分けてきたリソースに差はあるが、合計すると冬希が出せる最大のリソースをつぎ込めてきた。

 プロローグの個人TTの事は忘れようと思った。

 もう少し距離が長いTTなら、この数か月で培ってきたペース走行で逆転できる部分もあったかもしれないが、今日のコースではチャンスがなかった。

 冬希は目を閉じた。

 勝つべき選手が勝った。自分は77位にいるべき人間だから77位なのだ。

 気持ちの整理がついた瞬間、瞼が重くなるのを感じた。

 冬希は、この機を逃さず、眠ることにした。

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