第331話 全国高校自転車競技会 第1ステージ①

 スタート地点となる佐賀駅前は、大変な賑わいを見せていた。

 第1ステージは、佐賀駅から博多駅までの74㎞の平坦ステージとなっている。

 ゴールは去年と同じく博多駅前で、大博通でのゴールスプリントとなる見込みだが、昨年は油山展望台への登りで、コース幅がかなり制限され、危険があったとの理由で、今回はコースから外された。そのため、ほぼ完ぺきな平坦ステージとなっており、山岳ポイントの設定もない。

 中間スプリントポイントは、佐賀競馬場前に一か所設定されている。スタートからほぼ20㎞地点だ。中間スプリントポイントでは、1位通過に3秒、2位通過に2秒、3位通過に1秒のボーナスタイムが与えられる。

 ほとんどの選手たちは、スタートラインに並んでいた。

 逃げを決めたい選手たちは、スタートラインへの整列が始まる前に、コースへの入り口の前に、30分以上前から並んでいた。

 冬希たちは、特に逃げ集団に選手を送り込むような作戦ではないため、比較的ゆっくり集合場所に向かったのだが、竹内が新人賞ジャージを着用するため、選手たちが整列している左端に、1台分通れるように空けられた柵沿いから前のほうへ誘導されている。

「ほら、冬希先輩も行きましょう」

「え、でも俺77位だし」

 前に行っていいものか迷っていると、背中に手が添えられ、そっと押された。

 振り向くと、昨日のプロローグで優勝し、総合リーダージャージを着用している山賀聡だった。

「行くぞ」

 竹内を先頭に、伊佐、平良兄弟、そして山賀に背中を押された冬希、そして山賀の後ろに愛知県勢が続き、整列している選手たちの、さらに前に千葉、愛知の選手たち計10名が整列する形となった。

「いいんですかね」

 冬希は小声で山賀に訊いた。

「後ろを見てみろ」

 冬希が後ろを振り返る。順番待ちをしていた最前列の選手たちは、さらに前に割り込んできた冬希たちに対しても、特に気にした様子はない。

 冬希は、ほっと胸をなでおろした。


 山賀からすると、青山冬希が何故そのようなことを気にするのかが理解できなかった。

 彼は、この大会で、本来であれば前年度の総合優勝者が着用すべき、ゼッケン1番のサイクルジャージを着用している。

 そして、プロローグで成績が振るわなかったことも、恐らく選手たち全員が知っているだろう。

 だが、この集団の中で、青山冬希がゼッケン1番を着用するにふさわしくないという人間は、誰一人としていないだろう。それほどの知名度と存在感を持った男なのだ。

 それに、国内で唯一露崎隆弘を倒したことがある男でもある。

 2年前の全国高校自転車競技会で4連勝し、そのまま海外に渡ってしまった露崎は、昨年のインターハイでなぜか日本へ戻ってきて、圧倒的強さで総合優勝を果たした。

 山賀達清須高校のインターハイ4連覇は、露崎の前に潰えることとなった。それはいい。清須高校は当時のエースの岡田も、スプリンターの赤井も、露崎に全く歯が立たなかったのだから仕方がない。

 だが、そんな露崎に、平坦ステージとはいえ、唯一土をつけたのが神崎高校の青山冬希だった。彼がいなければ、今年は露崎隆弘が途中で参加を見限った大会を、露崎隆弘に勝ったことがない選手たちで行うという、屈辱的な年になるところだった。

「山賀」

 千葉のキャプテン、平良潤だ。

「メイン集団のコントロール、こちらで引き受けようか」

「馬鹿にするな、平良潤。我々もインターハイで総合優勝してきたチームだ。メイン集団のコントロールのやり方ぐらい弁えている」

「わかった」

 潤は、引き下がった。

 山賀が言ったことは、半分は嘘だ。山賀達がインターハイで総合優勝したのは、山賀が1年生の時の事であり、山賀はその大会に選手として出場していたが、当然ながら2年生以下のほかの選手たちは、参加したことがない。集団のコントロールのやり方を経験しているのは、山賀だけなのだ。

 しかし山賀は、メイン集団のコントロールを買って出ることにした。

 愛知県のチームとしては、エース番号を付けた赤井はスプリンターであるし、山賀以外のほかの3人、長谷川、玉置、永田は総合エース候補ではあるがまだ1年で、コーチである藤堂も誰で総合を戦うかは明確にせず、ただ

「経験を積ませてくれ」

 とだけ指示されていた。

 赤井も含め3人の1年生にも、総合リーダーチームとしてメイン集団をコントロールする、という経験をさせておきたかった。

 どちらにしても、3人の1年生では、東京の植原、宮崎の有馬、山口の黒川らに対抗できるとは思えない。

 思えば、初日で総合リーダージャージを着用できたことは、僥倖だった。

 自分の役割は、1日でも長くこのリーダージャージを着用し続け、後輩たちに経験を積ませることだと思っていた。

 山賀は、この全国高校自転車競技会の総合優勝争いを諦めていた。


 2㎞のパレードランののち、レースはアクチュアルスタートを切った。

 激しいアタック合戦が始まった。

 冬希は、逃げに乗ろうとする選手たちを逐一チェックした。

 エース級の選手たちのアタックはなく、強力な逃げ選手である茨城の牧山、佐賀の水野といった選手たちは、姿すら見えない。

 とはいえ、有力どころがいない逃げ集団であっても、あまり人数が多くなりそうな場合は、愛知と協力して、逃げをつぶしに行った。

 逃げの集団が形成される。20人ほどにもなると、愛知の永田、千葉の竹内、東京の麻生、夏井、それに山口の多田までもが追いかけ、逃げ集団の最後尾にメイン集団の先頭に追いた。

 こうなってしまえば、逃げたい20人がいくら頑張っても、メイン集団は逃げようとする選手たちのドラフティングを利用し、空気抵抗なく走ることができる。逃げようとした選手たちは、足を使わされるだけになるため、諦めてメイン集団に吸収される。

 そういったことを10㎞ほど続け、ようやく2人の逃げが、メイン集団に容認された。

 逃げることができたのは、たった二人、長崎県の菊永大河、菊永大地の双子の1年生だけだった。それも、メイン集団との差は30秒以上は広がらない。愛知、福岡、山口の選手らがペースをコントロールしているのだ。

「冬希先輩」

 竹内が冬希のところまで集団の中を下がった。

「国体で強力な逃げを見せた茨城の牧山選手、それに佐賀の水野選手もまったく逃げようという素振りを見せませんでした。それにメイン集団の先頭の動きも不可解です。たった2名の逃げに対して、あそこまで神経質にタイム差をコントロールする必要はあるのでしょうか」

「もうすぐわかるよ」

「はあ」

「3㎞先に、何がある?」

「・・・中間スプリントポイントですか」


 メイン集団は、一気にペースを上げた、そして中間スプリント500m前で逃げていた菊永兄弟を吸収した。

 愛知の山賀は、赤井を引き連れて加速する。

 多田に引き連れられた、黒川もスプリントの態勢に入る。

 福岡の立花は、アシストはおらず単独スプリントだ。

 赤井が1位通過、黒川は山賀を抜いた時点で加速を止め2位通過。3位は立花が通過した。4位はメイン集団の先頭を悠々と走っている佐賀の水野だ。

 スプリントに参加した選手、アシストした選手は、一時的にメイン集団を引き離していたが、すぐに集団に吸収された。

 そして吸収される瞬間、牧山が切れのあるアタックを見せた。京都の明智、和歌山の石田、群馬の菊池といった逃げに定評がある選手たちが一気にメイン集団を引き離し、10人の逃げ集団が形成される。

 スプリントを終えたばかりの愛知と山口、どちらも追う体制が整えられず、あっという間に逃げ集団は、メイン集団に1分ほどの差をつけてしまった。

「黒川選手はすごいな、ずいぶん簡単に暫定の総合リーダーを奪って見せた」

 冬希がため息交じりに言った。

「冬希先輩、つまり赤井選手は、スプリントをするのではなく、山賀選手のために中間スプリントポイントの、黒川選手のボーナスタイム獲得を邪魔しに行ったのですか」

「ああ。立花が本気で黒川選手を追わなかったので、赤井選手は完全にボーナスタイムを消しきれなかった。2位で2秒のボーナスタイムを獲得した黒川選手が、1秒差あった山賀選手とのタイム差を逆転して、暫定で総合リーダーを獲得した」

 竹内は息をのんだ。

「あと、逃げ屋の牧山たちは、どうせスタートから逃げても、スプリンターを擁するチームが中間スプリントポイント前に捕まえに来ることがわかっていたから、動かなかったんだ。それで中間スプリントが終わってから、スタート時の逃げ合戦の時にあえて逃げずに温存していた脚で、一発で逃げを決めた」

「そういうことだったんですね・・・」

「どちらにしても逃げ集団10人じゃちょっと少ないな。スプリンター系のチームは、ゴールスプリントに持ち込むために、あの逃げ集団を潰しにかかるだろうし。総合計のチームも、プロローグではそんなにタイム差がついていないから、大差で逃げ切られたら総合リーダーが変わってしまうかもしれない。そうなると総合リーダーを奪われたくない山口や愛知も、逃げを潰すのに協力するだろう。4~5チームが協力して追えば、平坦ステージで10人の逃げなら、簡単に捕まえてしまうと思うよ」

 うちも協力するだろうし、と冬希はちらりと視線を向けた。その先には、キャプテンの平良潤がいた。

 自転車ロードレースという競技に勝つには、自転車に乗る能力が高いというほかに、一体何がどれほど必要なのだろうか。

 中学の時は個人TTの選手だった竹内は、言葉を失った。

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