第329話 全国高校自転車競技会 プロローグ(個人TT)③

 下1桁1番台の選手たちがスタートし始めた。

 ここから30分もしないうちに、冬希の出番も回ってくる。

 ローラー台でウォーミングアップを終えた冬希は、

「軽量化してきます」

 と言ってトイレへ向かった。

 選手用には仮設トイレが用意されている。

 これは待機エリアから近い場所に公園のトイレがないというほかに、もっと切実な理由があった。

 冬希がこの日着用しているようなサイクルジャージは、一体型のスーツとなっており、小用を足すだけにしても、両腕を抜き、胸元のチャックを全開にして腰のあたりまで下ろす必要があった。ほぼ上半身裸の状態となるため、共用の小便器ではなかなか用を足しづらい。

 冬希がトイレから戻ると、山口のエースである黒川がスタートするところだった。

 スマートフォンを見つめている潤に、冬希が話しかけた。

「順位はどうなってます?」

「戻ったか冬希。佐賀の天野は、僕の0.1秒前で3位、宮崎の有馬は、僕の0.1秒あとで5位だ」

「めちゃくちゃ接戦ですね」

「距離が短い中を、全国クラスの選手が235人も走るからな。同じようなタイムになりやすいさ」

 天野も有馬も、タイムトライアルスペシャリストというわけではないが、オールラウンダーである以上その心得は十分にあるだろう。

「黒川がゴールした。速い」

 冬希が潤のスマートフォンを覗き込んだ。

「トップの山賀から1秒遅れの2位だ」

 暫定3番手の竹内を2秒離している。天野も有馬も、この時点で3秒近く黒川から遅れたことになる。

「前半の計測地点では山賀を上回っていたが、コーナーでちょっと滑ったんだ」

「すごい選手ですね」

「ああ、Jプレミアツアーでは、個人TTのレースもある。黒川はそこで優勝しているぐらいだからな。速いよ」

 東京の植原がスタートするころになると、係員が冬希を呼びに来た。

 竹内に付き添われスタート地点に行くと、4人ほどが並んでいた。冬希はその後ろに並ぶ。前は確か北海道のエース大道選手だ。去年はエーススプリンターの土方選手のアシストをしていて、ゴール前でよく見かけた顔だ。

「いやぁ、間に合った。ぎりぎりになっちゃった」

 振り向くと、神崎高校の理事長兼監督の神崎秀文が流れてもいない汗を拭くふりをしながら近づいてきた。スーツ姿だ。

「先生。何かアドバイスが欲しいんですけど」

「そうだね、黒川選手から10秒以上は離されないようにしてほしいかな」

「いえ、そうではなくコースを走る上で、こうしたら良いよとか・・・・・・」

 離されないように努力して離されないで済むなら、いくらでも頑張る。

 前の選手がスタートして、冬希が係員に呼ばれた。

「じゃあ青山君がんばってね、10秒だよ、10秒!」

「えぇ・・・」

 へらへらと笑う神崎を見て、冬希は露骨にがっかりした表情をした。

「あ、冬希先輩。路面は乾いたばかりでまだ埃が浮いているので滑りやすいと思います。気を付けてください」

「ありがとう、竹内君。神崎先生より何倍も有益なアドバイスだよ」

 ハンドサインでカウントダウンが始まり、ゼロで勢いよくスタートした。

 2㎞だったら、かなり高い水準のパワーで踏み続けられるはずだ。

 しかし、プラスチック製の柵が冬希には恐ろしく狭く見える。

 広い公園ではあるが、楕円形をしており、コースは常に曲がり続けている。

 コース外に飛び出していこうとする遠心力の恐怖と闘いながら、必死にコースの中央を走り続けようと集中する。

 竹内は、あんな幅の狭いハンドルで、よくコントロールできたものだと、信じられない気持ちになった。

 竹内よりはるかに幅のある、使い慣れたハンドルではあるはずだが、今日ばかりはとてつもなく不安定に感じた。

 もう少し踏もうと思えは踏めたはずだ。だが、同時にコントロールを失いそうな気がして、それ以上強く踏む勇気が持てなかった。

 現在のスピードを維持する勇気を出すのに一杯一杯だった。

 橋を渡り、直角に近いコーナーを通過する。

 竹内の言葉がよみがえる。

 なるべく丁寧に、転ばないように、だがコース幅をいっぱいに使い、スピードを極力落とさないように走り抜ける。

 残りは400m、ここに来ても、緩やかなカーブとの戦いが続き、外に飛び出していく恐怖心に抵抗しながら、何とかゴールまで転ばずに走りきれた。

 呼吸はすぐに回復した。それは全力を出し切れなかった、という意味も持っていた。

 すぐに竹内と潤、柊が駆け寄ってきた。伊佐はまだローラー台でクーリングダウンをしているようだ。

「おめでとう」

 柊が言った。

「え、どういうことですか?」

 まさか表彰台圏内、と思った瞬間

「トップの山賀からジャスト7秒遅れ」

「・・・何位でした?」

「77位。7秒差で77位。7が3つそろって縁起がいいだろ」

 ようやく柊がおめでとうと言った意味を理解した。

「はぁ・・・・・・それにしても77位ってかなり低いですね」

「途中、雨が降ってなけりゃ多分もっと抜かれてたぞ」

 柊は容赦ない。

「気にするな冬希。気にしなければならないのは、順位じゃなくってトップからのタイム差だ」

 潤が、茶化している柊をジトっとした目で見た。

 柊は、首をすくめてた。

「実質の総合トップは黒川だ。苦手なタイムトライアルで彼に6秒しか差をつけられなかったのは大きい。黒川には、植原も天野も有馬も3秒近く離されている」

 黒川が頭一つ抜けた。だが、まだ始まったばかりだ。

 激しい戦いになりそうだ、と冬希は思った。


 神崎高校の理事長兼監督の神崎秀文は、新人賞ジャージを獲得した竹内以外の生徒たちにはホテルへの帰り支度を進めさせ、自身は表情式を見に来ていた。

 表彰台で、山賀が総合リーダージャージを着用している。

 ステージ脇では、清須高校の理事長が、満足そうな表情でそれを眺めている。

 インターハイ以外には出場しないという方針を止めた翌年に、全国高校自転車競技会でいきなり総合リーダージャージを獲得したのだ。鼻高々だろう。

 次に新人賞の竹内が呼ばれた。総合4位だが、1年生の中では断トツのトップタイムだ。

 神崎は竹内と並んでステージ脇まで行く途中、山賀を伴った清須高校の理事長に

「おめでとうございます」

 と声をかけた。

「ありがとうございます、神崎さん。せめて最初ぐらいは、ね」

 にっこりと笑って去っていく高校自転車界でもやり手で名高い女性理事長に、自分が個体認識されていたことに神崎は心から驚いた。


■プロローグ結果

1:山賀 聡(愛知)232番 0.00

2:黒川 真吾(山口)351番 +0.01

3:植原 博昭(東京)131番 +0.03

4:竹内 健(千葉)5番 +0.03

5:天野 優一(佐賀)411番 +0.03

・・・

77:青山 冬希(千葉)1番 +0.07


■総合成績

1:山賀 聡(愛知)232番 0.00

2:黒川 真吾(山口)351番 +0.01

3:植原 博昭(東京)131番 +0.03

4:竹内 健(千葉)5番 +0.03

5:天野 優一(佐賀)411番 +0.03

・・・

77:青山 冬希(千葉)1番 +0.07


■スプリント賞

プロローグでは設定なし


■山岳賞

プロローグでは設定なし


■新人賞

1:竹内 健(千葉)5番 +0.00

2:永田 隼(愛知)235番 +0.02

3:藤松 良太(栃木)341番 +0.03

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