第328話 全国高校自転車競技会 プロローグ(個人TT)②

 漆黒の雨雲は、強い雨、強い風と共に通り過ぎ、直後に明るい日差しがさした。

 竹内がゴールした後、下1桁が4番台の選手が走り始めて5分少々過ぎた後だった。

 路面は降るウエットを通り越して、所々に水が溜まっており、とてもではないが、まともに走れるコンディションではない。

 この後に走る選手たちは、雨が降る前に走った選手たちに対して、大きなハンディキャップを背負わされることになった。

 直線だからとスピードを出そうものならハイドロプレーニング現象で自転車が水の上をすべるような動きをしてコントロールを失う。

「えずかーっ!!」

 414番、佐賀の武雄選手は、水たまりの上を滑りながらも、直線であったためかろうじてコントロールしきって、落車を免れた。しかし、もう直前のようなスピードで走る勇気はなかった。

「こりゃ竹内の優勝もありうるんじゃないかな」

 そう言った柊の横で、テントで雨を免れた冬希は、急激に強くなった日差しを見上げていた。

「俺がスタートする前に路面は乾かないですかね」

 竹内は、トップタイムということで、大会が用意した暫定1位の選手が座るホットシートと呼ばれる席に連れていかれてしまった。このまま路面が乾かず、後半の選手たちのタイムが伸びなければ、竹内の優勝もありうる。それはそれで嬉しいのだが、自信がない個人TTで、さらに路面がぬれているとなると、冬希は自分が無事に完走できるかどうかすら心配になってくる。

「有力どころが走るころはまだ濡れてて、お前が走るころに乾いてるっていうのがベストだな」

 珍しく、冬希は柊のいうことに心から同意した。


 冬希の希望に反して、路面は乾いた部分も見え始めていた。

 多少水たまりが残っている部分もあるが、選手が通るたびに水が外にはじき出されて、みるみる消えていく。

 山口県のエースである黒川のアシストを務める多田は、スマートフォンでTV中継を見ながら、選手たちのラップタイムを見ていた。

「タイムがだいぶ上がってきている。俺が走るころには路面は乾きそうだな」

「多田、お前が優勝を狙っていもいいんだぞ」

「ここで無理して、この後俺が走れなくなったら、だれがお前の暴走を止めるんだよ、黒川。それに、今トップの竹内ってやつのタイム、なかなかだぞ。狙っていっても抜ける気がぜんよ」

 TVでは、ホットシートに座っている竹内の姿が映し出されている。

 一向に竹内を上回るタイムが出てこない。報道部活連のインタビュアーが竹内にマイクを向けた。

『竹内選手、これは総合リーダージャージが見えてきたのではないですか?』

『まだ半分ほどしか終わっていません。後半の選手たちのタイムが伸びなければ、そうなるかもしれませんが、このまま終わるとは思えません』

『ですが、路面状況が回復せず、もしこのまま総合リーダージャージが決まれば、竹内選手が総合優勝を狙っての戦いということになるのでしょうか』

『総合優勝するのは、青山先輩です。その結果は動きません』

 多田が、カラカラと愉快そうに笑った。

「言い切ったよ。こいつやべぇな」

「青山冬希はいい後輩を持った」

 黒川は、少しうれしそうな表情で言った。確かに、竹内のようなタイプの男は、黒川は好きだろう。だが、多田は感心してばかりもいられない事情があった。

 個人TTの走りを見たところ、巡行能力が高い選手なのだろう。手ごわいアシストになると多田は思った。何しろ山口代表チームの、黒川と多田以外の3人の実力は、全国で戦うとしてはいささか以上に見劣りする。平坦も山岳も、ほぼ多田一人でアシストすることになるだろう。

 だが、別にそれは今に始まったことではないな、とも思う。やることは同じだ。

 ユースチーム相手にやって勝ってきたことを、高校の全国大会でやって、どこまで通用するか、それだけの話なのだと、思い定めることにした。


 平良潤は、スタート台の上にいた。

 係員が、ハンドサインでカウントダウンを行う。

 GOサインがでて、スタート台から下ってスタートしていった。

 勢いに乗るまで全力でペダルを踏み、その後可能な限り体をコンパクトにして空気抵抗を減らし、そのペースを維持した走りを心掛ける。

 弟の柊は、軽く流してくると言って、本当にトップの竹内から7秒遅れでゴールした。暫定50位だ。雨で途中の選手たちが大崩れしてなければ、もっと順位は下だっただろう。

 今回、エースではない潤は、気持ちの上では国体よりはるかに良い状態で大会に挑めてきた。それほどまでにエースであるというプレッシャーは、潤の足枷になっていた。

 柊と冬希は、プレッシャーをプレッシャーと感じない、という点では共通していたが、二人の考え方はまるで違っていた。

 柊は、全て上手くいくと信じて疑わない。ちなみにそう信じているのに根拠はない。いろいろ考えてしまう潤には真似できない考え方だった。

 冬希は、負けというのは、実力が足りていなかった結果であり、自分が負けたというより、勝った人間が勝つにふさわしかったのだといっていた。

 冬希のその考え方は、潤にはまぶしかった。

 橋を渡り、直角に近いコーナーが見えた。潤はイメージしていた最高のラインを通り、立ち上がっていく。

 完全に平坦だけの今回の個人TTは、パワーがある選手、体重がある選手が有利なため、潤のような比較的体重の軽い選手は、コーナーリングでタイムを稼ぐ必要がある。

 立ち上がりで前を走る選手が遠目に見えた。30秒前にスタートした、北海道の田中選手だ。その後ろ姿見えるということは、田中選手がかなり遅れているか、潤がかなりタイム差を詰めているか、ということになる。

 潤は、苦しみながらもペダルを緩めることなく踏み切った。

 ゴールラインを通過する。

「お疲れ様」

 柊がタオルとボトルを差し出して出迎えてくれた。

「タ、タイムは」

 潤が息も絶え絶えに聞いた。

「竹内にはちょっと及ばなかったけど、0.8秒差で暫定2位だよ」

「まずいな、柊」

「どうしてだよ」

「俺がこのタイムを出せるってことは、どんどん路面状況がよくなってくるってことだ。この後トップ選手たちがタイムを出せるようになってきたら、冬希も苦しいだろう」

 潤のこの予測はあたることになった。

 去年慶安大付属の露崎に敗れるまでインターハイ連続3連覇していた愛知県代表清須高校の山賀聡が、竹内のタイムを3秒も上回り、暫定トップとなった。

 清須高校は昨年まで、理事長の方針でインターハイ以外の大会には出場しないというスタンスだったが、その理事長の方針が変わり、全国高校自転車競技会にも出てくるようになった。

 山賀の走りは圧倒的だった。もともと、一定ペースで走ることに長けておりタイムトライアルにも強い選手ではあった。だが、ほぼ完ぺきな走りをした竹内を3秒も上回ってくるのは、もう規格外というしかなかった。

「さすが愛知、さすが名門清須高校だ」

 暫定3位に落ちた潤は言った。

 だが潤はそれが大変なことだとは考えていなかった。山賀の速さは驚異的だが、総合優勝を争うオールラウンダータイプの選手ではない。ここで負けても、冬希を脅かす存在にはなりえないのだ。

 ゼッケンの下1桁の数値が2番台の選手が終わった。

 まだこれから総合優勝争いで、冬希にライバルになりうる選手たち、宮崎の有馬、国体総合優勝した天野、全日本選抜で優勝した植原、そしてユースのJプレミアツアーでシリーズチャンピオンの黒川が出てくる。

 初日、この中の誰がリーダージャージを着用するか。それにより始まる、彼ら間で始まる潰しあいと、それに千葉のチームとしてどう戦っていくか、それが決まってくる。

 それを考えるのが自分の仕事だと、潤は思った。

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