第327話 全国高校自転車競技会 プロローグ(個人TT)

『ゼッケン475番、沖縄県、丘大成選手。スタートです』

 福岡市内の大濠公園で、プロローグが開始された。

 プロローグといっても事実上の第1ステージと言っていい、個人タイムトライアルだ。結果は総合成績にも反映される。

 一周2㎞と、距離自体は短いが、何しろ235人の選手が走るのだから、ラインレース並みに時間はかかる。

 30秒毎に一人ずつ選手がスタートする。前の選手に追いついても、その後ろにつけてドラフティング効果を得ることは禁止されている。遠巻きに追い抜いていかなければならないのだが、2㎞という短い距離で30秒差を追いつくことはあまりない。

 スタート順は、まずは各チームの下1桁が5番台の選手が、上2桁の数値の順番に走り、次に4番台、3番台と続く。

 つまり、475番の丘選手からスタートし、5番の竹内まで走ると、次に474番の宇栄原選手がスタートするという流れで、当然冬希は最終出走となる。

 冬希のスタートは、ほぼ2時間後となるため、ビンディングシューズからスニーカーに履き替え、公園内をぶらぶらと散歩していた。

 コースを見ながら冬希は、下見はほとんど意味がなかったなと思った。

 公園内1周のコースは、選手が走る部分だけ安全対策のためか、プラスチックの柵で囲まれており、すなわちそれが走行コースとなっている。

 冬希の目の前のコーナーなど、ほぼ直角と言っていい曲がり方で柵が設置されている。

『ゼッケン465番、鹿児島県、村岡一行選手』

 2番目の選手がスタートしたと同時ぐらいに、1人目の選手が冬希の前の直角カーブを曲がっていった。

「うぉっ!」

 タイヤをロックさせながら、かろうじて曲がっていく。

 普通にサイクリングぐらいのスピードであれば、コース幅もそれなりにあるので怖いコーナーではないはずだが、トップスピードで60㎞/h近くになっているはずだ。4輪の自動車でも緩やかなカーブを注意しなければならないレベルだ。

『ゼッケン455番、宮崎県、南龍鳳選手』

 冬希が、スタート地点のほうに目を向けた。

 自分が自転車選手を見る目があるかと訊かれれば、恐らく無いと答えるだろう。だが、昨日のチームプレゼンテーションで見かけたあの男に対しては、人間として特別な何かを感じるところがあった。

 冬希の目の前を、2番手出走の選手が走っていく。十分に減速して丁寧に曲がっていく。そのほうが案外早いのかもしれないと冬希は思った。他の選手が走る姿を十分観察できる分、後の出走のほうが有利なのか。

 禍々しさを放つ何かが近づいてくる気配を感じた。

 自分の脳がバグったのかと思った。

 その選手の走りは、スピードとケイデンスが合っていないのだ。

 年配の方がママチャリを漕いでいる、ぐらいのケイデンスで、先ほどの二人をしのぐほどのスピードで、南龍鳳は冬希のほうにめがけて突っ込んできた。

 これは悪魔か。

 冬希はけた外れの走りをする南の姿に唖然とした。

 そして、南はそのままプラスチックの柵を突き破り、コース外に飛び出していった。

「なんだぁ!?」

 砕けた柵の破片が飛んでくるのを、冬希はかろうじて避けた。

 柵は大きくコースの外に広がり、その真ん中で真っ二つに分かれている。

 コースアウトした南が、そのまま突き破った柵の間から戻って、コースに復帰して走り去っていった。

 復帰したスピードから見て、あれで落車しなかったのだろう。

 冬希は、自転車ロードレースを始めて、一番驚いたかもしれないと思った。

 係の人が慌ててコースの修復にかかる。ゆがんだ柵の位置を押し戻し、割れた柵を予備のものに取り換え、破片を回収していく、その間にも、後続の選手たちは次々と走り去っていく。

 冬希もコース外に散らばった破片を広い、運営の人に渡し、やや呆然としたままチームの待機エリアがある場所まで歩き始めた。

 あれは何だったのだろうか。

 冬希が首をかしげながら戻ると、竹内がウォーミングアップを始めていた。

「西側ですげぇコースアウトがあったらしいな」

 柊が言った。

「目の前で見てましたよ。トラックの事故みたいな勢いでしたよ」

「あいつ、18秒遅れで断トツの最下位だってよ」

「でしょうね」

 運営の呼び出し係の人がやってきた。

「5番、竹内選手。スタートライン付近までお願いします」

 さすがに緊張した面持ちで、竹内はローラー台から自転車を外して後輪をつけなおした。

 竹内は不安そうに冬希のほうを見た。

「西側の橋を渡った後に結構な旧コーナーがあるから気を付けて」

「あ、はい。ありがとうございます」

 柊はあきれたように冬希を見た。

「お前な、九官鳥だってもう少し気の利いた言葉をしゃべれるぞ」

 九官鳥が気の利いた言葉をしゃべれるとしたら、それは九官鳥に言葉を教えた人が気が利いたい人なのではないかと思ったが、口に出したのは別の言葉だった。

「この後、天気が悪くなるらしいから、いいタイム出したら優勝できるかも」

「え、あ、なるほど」

 自分が優勝などと微塵も考えていなかったのか、竹内は虚を突かれたようだった。

「ありがとうございます。行ってきます」

 竹内の後姿を見ながら、柊は驚いたように言った。

「急に勝負師の顔になりやがったな」

「初めて走る緊張より、勝ちたいという願望が勝ったんでしょう」

 頼もしい、と冬希は思った。自分一人が頑張らなくてもいいという事実が、冬希の心の負担を軽くしてくれる。

 竹内はスタートし、区間ベストタイムを更新し続け、47人出走時点で1位のタイムでゴールを通過した。それまで1位だった佐賀の水野良晴に対して1秒差をつけた。

 大濠公園の上空は、分厚い雲に覆われ、日中だというのに日没後かと思われるような暗さを作り出してきていた。

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