第318話 腹を括った冬希

 考える時間だけは、いくらでもあった。

 自宅で、固定ローラーに設定されたロードバイクで、ひたすらペダルを踏み続ける日々。

 スマートフォンはローラー台と連動し、海や山、農村や海外の街並みなど、バーチャルな世界を映し出している。

 テレビもない部屋で、2時間以上も一定の負荷でペダルを踏み続ける。

 視線は、サイクルコンピューターのパワーをチェックしているが、冬希の思考はどうしても色々なところへ飛んでいた。

 努力しても、無心になることはできなかった。

 過去、ああしていれば、こうしていればと、色々なことを考えるが、思い出すのは良くないことばかりだった。

 荒木真理は、冬希にとって特別な存在だった。

 中学時代、冬希にはこれといった友達がいなかった。

 同じ班になったり、話すようになる人はいたが、それらの人には、すでに冬希以上に親しい友人がおり、冬希もそれ以上踏み込むことを躊躇した。

 共通の誰かのことを悪様に言うことで、仲間意識を強めるような交友関係を冬希は嫌悪したし、一年の時に学級委員をやっていた時から、そういった行為を注意してきた。

 学級委員ではなくなっても、そういった冬希の姿勢は変わらなかった。しかし、学級委員だった頃は受け入れられていたそういった行為は、次第に同級生たちとの温度差を広げていく事になった。

 自然に孤立していった冬希は、二年生になって最初の席決めで荒木真理と隣の席になった。

 他の男子に対して、表面的な対応に終始する真理が、唯一打ち解けたように接した相手が冬希だった。二人の間には、信頼感のようなものがあった気がした。

 クラスでも、部活でも上手くいかない冬希にとって、真理は唯一学校に行く楽しみのような存在だった。高校の入っても、また一緒に過ごす時間が持てればという、ただそれだけの理由で志望校を聞き出し、学力的に難しいと分かってからは、スポーツ推薦などという手段にも、迷う事なく手を出した。

 真理と一緒に学校に通う事以外、何も考えていなかった冬希は、落ちた時に恥ずかしいからという理由で真理にそのことを伝えなかった。しかし、合格してしまったことで、さらに真理に伝えづらくなるという事に気がつき、言い出せないまま真理がそのことを知り、結果的に真理を怒らせる結果となった。

 失意のまま神崎高校に入学した冬希の寂しさを救ったのが、同じく馬術競技で大怪我を負い心身ともに傷ついていた浅輪春奈だった。

 冬希は春奈のリハビリとして自転車を勧め、二人は週末に良く出かけることになった。

 冬希にとって、春奈と過ごす時間は楽しかったし、真理に嫌われたという心の傷を癒してもくれた。春奈は、学内でも容姿や性格、学年トップの成績などから、人気の高い女子だったが、そんな彼女が自分と一緒にいてくれるという状況は、次第に冬希から卑屈さを消していった。

 全国高校自転車競技会の第1ステージだった。レース終盤の六本松のコーナーで冬希は、千葉から福岡まで応援に来てくれた学校の吹奏楽部の部員たちの中に、真理の姿を見た。

 レース中であり、密集した集団の中を注意しながら走らなければならない状況だったにもかかわらず、冬希の視線は吸い込まれるように彼女を捉えて離さなかった。

 真理と同じ学校に通いたいと、ろくに乗ったことがないロードバイクで推薦入試に臨んだ時と同じだった。盲目的な闘志が冬希の思考と精神を支配し、冬希の心の奥に潜んでいた怯懦を打ち消した。

 果敢に挑んだゴールスプリントで、幸運も重なったのもあって、一年生にして第1ステージのステージ優勝する快挙を達成した。

 冬希が何かを成し遂げる時、そこには真理の存在があった。真理は、冬希を突き動かす唯一の存在だった。

 全日本選手権が終わったあたりで冬希は、真理と春奈が一緒に勉強をしている場に合流することとなった。それを機に真理とまた話すようになった。

 冬希からすると、二人は似たところもあり、しかし本質的は全く違った存在に見えていた。

 春奈は最初から、性格もよく優しく明るい女子だったが、真理は、そうなりたいと自分を律する気持ちを強く持っているという部分が見えるようになっていた。真理一人を見ていたらわからなかった事だが、春奈と一緒にいる真理を見て、二人を見比べることで、冬希はそういった真理を感じることができるようになっていた。

 間も無くインターハイが始まり、体調を崩した平良兄弟の代わりとして冬希は出場する事になった。慌ただしくしている間に、春奈は冬希の元を去っていった。

 春奈が馬術の道を選び、ドイツに去っていったことで、冬希は、失ってはいけない人を失ったような、大きな喪失感を覚えた。それほどまでに春奈が自分の心の支えとなってくれていたことを知った。

 そこから、冬希は色々な感情と向き合い、色々なことを考え続けた。

 辛い時期に心の支えとなってくれた春奈に、何かを返すことができたのだろうか。

 春奈への気持ちと真理への気持ちは、そこまで明確に違ったものだっただろうか。冬希は、ひたすらローラー台で一定ペースでペダルを踏むという、思考するには有り余った時間で、あらゆる思考を繰り返した。

 二人に対する自分の姿勢や感情を言葉にし、比較、分析し続けた。

 春奈のような容姿、性格、頭脳も完璧な女の子が、自分のことを好きなはずがない、という安直で楽な逃げ道は、すでに存在しなかった。

 春奈が、最後の別れ際にした冬希への口付けが、その逃げ道をハッキリと否定していた。

 あの行為の意味を、自分が全く理解できていなかったことを、冬希は恥じた。

 今でも春奈の感情ははっきりとは分かった訳ではなかったが、おそらく春奈と冬希で過ごした時間や、春奈の冬希に対する感情を、冬希になかったことにしてほしくなかったのだろう。

 だとすると、その点については、春奈の意図は達せられたといって良かった。冬希の心に、楔として深く打ち付けられている。

 真理への気持ちは、中学時代から変わらない。しかし、春奈とのことについては、どれだけ考えても、自分を納得させることができる着地点を見つけることができなかった。

 真理がいなくなり、寂しくなれば春奈を心の拠り所にし、春奈がいなくなれば、また真理を心の支えにする。

 どれだけ言い訳しても、どれほど言葉を飾っても、

「俺がやろうとしていることは、つまりはそういうことなんだ」

 冬希は、自責の念から逃れることを諦めた。

 クリスマス・イブという日にはなるが、冬希は真理に気持ちを伝えようと思っている。

 クリスマス・イブだからという理由ではなく、その日が終業式で、それが終わると真理は母方の実家のある長野へ、長期の里帰りにいってしまうということだった。

 その日を逃せば、もう始業式まで会えないし、気持ちを伝えることもできない。

 3ヶ月間、ずっと自分の感情について考え続けた冬希は、もうこれ以上考えることと、不安定な状態を続けることに、耐えられそうになかった。

 二週間近く会えなくなる、その前に真理との関係性をはっきりさせておきたかった。

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