第316話 傷を舐め合う関係

 流山おおたかの森駅から徒歩10分ほどの距離にあるカフェで、荒木真理は安川優子と向かい合って、バナナスムージーを飲んでいた。

 優子の方は、アイスコーヒーとパンケーキを胃袋に収め、アコーディオン状になったストローの袋にお冷やの水滴を掛けて

「ドラゴン」

 などと多少お行儀の悪い遊びをやっている。そこは普通にヘビでいいのではないかと思ったが、別にツッコんで欲しいわけでもなさそうだったので黙っていた。

 もうすぐクリスマスだというのに、こんなところに呼び出されて何をやっているんだろう、と真理は多少複雑な気持ちになっていた。優子は、冬希のことについて教えてほしいことがあると、真理を呼び出したのだ。

「安川さんは」

「優子ちゃん」

「えっ」

「優子ちゃん」

「優子ちゃんは」

 優子は満足そうにうなづいた。

「優子ちゃんは、冬希君のことに興味があるの?」

「冬希に興味があるというか、なぜ私と初めて出会った時、負け犬のような目をしていたか、ずっと知りたいと思っていた」

 本人に直接聞かないあたりは、意外とちゃんとした子かも知れない、と真理は思った。普段の言動からはとてもそうは思えないのだが。

「私に言えることは、何もないよ」

 真理は、多少ぶっきらぼうだと自覚した言い方をした。

 人のことを、無神経にべらべら喋る趣味は持ち合わせていなかった。ただ、冬希と春奈の間に何が起こったかは、真理は断片的には理解していた。

 浅輪春奈がまだ日本にいた頃、二人で運河沿いのベンチで昼食を取っている時、少し元気のない春奈に、何があったかと真理が聞いた時、春奈は

「いいなぁ、真理ちゃんは」

 といった。勉強もできて性格も可愛く、超絶美少女でもある春奈に羨ましがられることなどあるのだろうかと真理は驚いた。そして

「私にとっての馬術は、冬希くんにとっての真理ちゃんなんだよ」

 と憂いを秘めた可愛らしい顔で、少し不貞腐れたように呟いていた。

 スポーツ競技と比較された真理は、とても褒められている気はしなかったが、その後春奈が馬術の勉強のためにドイツに行くと聞いて、納得いくかどうかはともかくとして、パズルのピースは嵌まった気がした。

 春奈が冬希と出会ったのは、馬術競技で怪我をして、馬に乗るのが怖くなった自分に失望していた時期だと言っていた。そして、その時期は真理が冬希と距離を置いていた時期でもあった。

 傷を舐め合う関係、という表現が適切とは思わないが、二人は失ったものを埋め合うような関係だったのかも知れない。

 学校でも二人の関係は有名だった。と言うより、二人とも校内で目立つ存在だったので、余計噂されやすかった。

 真理から見ても、二人が付き合っていると言われたら、そうなのかも知れないと思うほど、二人でいる姿をよく見た。

 春奈と真理が知り合い、気まずい関係になっていた冬希とも再び話すようになって、何か冬希と春奈の関係に変化があったようには真理には見えなかったが、春奈が馬術の試合を見にいってから、とても深刻そうな表情をするようになった。

 ドイツに来ないかと、有名な選手に誘われていると聞いて、それで迷っているのかと思ったが、それだけで迷っているのであれば、春奈の

「私にとっての馬術は、冬希くんにとっての真理ちゃんだよ」

 と言う言葉は出てこないはずなのだ。

 真理の想像では、春奈は失っていた馬術への情熱を取り戻した時、ドイツに行って馬術を学ぶか、日本にいて冬希と一緒にいるか、迷うことになったのだろうと思う。

 冬希は優しく、話していて楽しいし、他人を見下したり悪く言ったりすると言うことがない。一緒にいて心地よいのだ。春奈にとって冬希のような人との出会いは幸運なことであり、日本で冬希と一緒にいるという状況は、本当に捨て難いものであっただろう。

 だが、問題はここからなのだ。

 真理としては、なかなか認めることが難しいことではあるのだが、馬術の世界に戻るという、春奈にとっての傷が癒えたのと同じタイミングで、冬希は真理との関係の修復が成った。春奈の心理というのは、裏を返せば冬希の心理でもあるのだ。

 同じ学校に入るほどまで追いかけていた真理に距離を置かれてしまっていた冬希は、真理が戻ってきたことで、春奈にとっての馬術と同じく、冬希も、春奈と真理のどちらかを選ぶような状況に直面するのだと、春奈は気づいたのだ。

 春奈と比べられた場合、冬希が自分を選ぶとは真理には到底思えなかった。神崎高校の受験の件で、冬希に怒りをぶつけてしまほど、心が狭く、面倒臭い女なのだ。春奈のように心が広く、誰とでも仲良くなってしまうような完璧超人と比べられて、自分を選ぶ男などいるはずはない。

 春奈は、ドイツに行くことを選んだ。冬希は、春奈がいなくなりとても寂しそうだった。

 春奈がなぜ馬術を選んだのか、それは真理にはわからないことだった。

 ただ、馬術という実態がないものと冬希とどちらを取るか、というのと、春奈と真理という人間2人のどちらを選ぶか、というのは、全く違う重さを持つのだということは、真理にもわかる。

 選ばれなかった方は、逃げ場のない、苦しく深い傷を負うことになる。

 理屈で言えば、春奈も冬希も、失ったものを取り戻し、それぞれ正しい道に戻っていった、ということになるかも知れない。

 だが真理には、冬希が自分の代わりに春奈を傍に置いていた、とは到底思えなかった。

 真理は、小さく首を振ると、それ以上深く考えるのをやめた。建設的な結論に辿り着かない気がした。

「荒木は、冬希のことが好きなの?」

 優子の綺麗なで愛嬌のある両目が、逃さない、という真剣な色を湛えて真理を見つめている。

 いくつか言葉を選ぼうとしてみたが、結局何も思いつかずに、真理は小さな声で

「うん」

 と呟いた。

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