第310話 伊佐雄二と竹内健
伊佐雄二は、神崎高校のスポーツ推薦の入試を受け、合格した。
神崎高校というのは、自転車競技にも力を入れているようではあったが、かなりの進学校で、高い学力も求められると、同じ東京で活躍する慶安大附属の植原博昭から教えられていた。
自転車競技の実力より、学力で決まるという話も聞いていたが、その情報源が『光速スプリンター』青山冬希だということを知ったのは、最近のことだ。
神崎高校を進学先に選んだのは、自転車競技の強い高校である慶安大附属と、神崎高校のそれぞれの距離を比較して通いやすい方を選んだ結果だった。
都心にある慶安大附属は自転車通学に向かないが、利根運河のサイクリングロードから直接、学校の敷地につながっている神崎高校は、練習の環境も優れているように思えた。
伊佐は、基本的にはどんなコースでも走れる、オールラウンダーといえる脚質ではあったが、特にスプリントでは、自分の型にはまると、誰にも負けないという自信を持っていた。しかし国体のブロック大会では、あの光速スプリンターに、ほとんど子供扱いされた。
伊佐は、自分に何が足りないのか。青山冬希は、どうやってあれほどの力を手に入れたのか。それを知るためにも、何がなんでも神崎高校に入学する必要が出てきた。
元々勉強はできた方だが、入試に備えて、より一層勉強に力が入った。
入試には、竹内健も来ていた。
千葉に住む竹内とは、近隣の草レースでは小学生の頃からよく一緒になっていた。おかげでよく話すようにはなったが、基本的には寡黙な男で、あまり表情も変わらないので、仲が良かったかと言われると、そうでもなかった気もする。
ただ、今年の神崎高校の活躍を見て、自分がアシストをして、どのようにして光速スプリンターを勝たせるかという妄想を、伊佐はよく聞かされるようになっていた。正直、気持ち悪かった。
渡良瀬遊水地でのクリテリウムの最中、竹内は国体本戦の選手として出場してほしいという電話を受けていた。伊佐は、幻覚でも見ているのかというほど、普段からは想像できないほどの笑顔の竹内を見た。しかし、その表情は、この世の終わりかというぐらい落ち込んでいった。欠場する青山冬希の代役、という話だったのだ。
一瞬だけ、現実に青山冬希のアシストをする夢を見てしまった竹内は、その反動から、神崎高校へ入ることを渇望するようになった。
伊佐は、竹内に自分が知る限りの情報を与えた。
推薦入試の願書の申し込み期限がまだ間に合うこと、学力が大事であること、一般入試よりスポーツ推薦の入試の方が合格しやすいことなど。
そこから、命を削るような努力をしたのだろうというのは、入試当日の竹内のやつれ様を見てわかった。
伊佐は、中学の担任から合格を告げられた時、竹内に連絡をするか迷った。自分が合格していて、竹内が不合格だった場合を考えると、どうしても連絡する気にはなれなかった。
伊佐自身は、自転車ロードレースの実力からも、学力の面からも、自分が入試に落ちるとは、ほとんど考えていなかった。竹内については、学力がどれほどのものかわからなかった。
竹内が合格だと知ったのは、合格者説明会のために神崎高校へ初めて行った時だった。
「やはり、お前は受かっていたか」
「まあな、竹内も受かっていて、少し安心したよ」
通された教室には、どれほど待っても他の合格者は現れなかった。
そして、正式な入学案内は、春の一般入試の合格者への説明会で一緒に行われる旨と、入学までの間に神崎高校の生徒となるに相応しくない行為があった場合、合格が取り消されることがあるとの注意事項を受けた。
学校事務の職員から、渡された書類の説明を受けた。
「今日は、これで終了となります。合格おめでとうございました」
伊佐と竹内は、もらった書類が入った封筒をカバンに入れながら、ほぼ同時に小さく伸びをした。
「とりあえず、入試は片付いた。これからは自転車三昧な生活を送れるぜ」
「つい最近まで国体に出ておいて、よく言うな」
「竹内、お前だってそうだろう」
「俺は伊佐と違って、ブロック大会には出ていないからな」
「ブロック大会で思い出したが、光速スプリンターはまだ練習できていないのか」
「青山さんと呼べ。同じ学校、同じチームで走ることになるんだぞ」
「高校の練習に参加させてもらうようになったとしても、まだ会えるのは先になりそうだな、お前が敬愛する青山さんとは」
「そうだな」
伊佐は皮肉を言ったつもりだったが、竹内は本気で残念がっているようなので、それ以上何も言えなかった。
二人が帰り支度を終えた頃、教室の扉から一人の男が入ってきた。入試の時の面接の相手、理事長の神崎だ。
「二人とも、まだ帰っていなくてよかったよ」
顔全体が笑った様な作りになっているのか、いつもニコニコしている様だが、その分表情が読めない。
神崎の後ろから、青山冬希も入ってきた。竹内が隣で体を硬くするの感じたが、伊佐には、いまいち光速スプリンターと呼ばれるこの男の凄さがわからない。向き合っていても、威圧感などはなく、穏やかな雰囲気を纏っている。
「伊佐くん、竹内くん、もしよければ、これから一緒に群馬県のサイクルスポーツセンターに行かないかい。今日は18歳以下の全日本選抜が行われていて、今から行けば、まだゴールまで間に合うと思うんだ」
「植原さんが出ているレースですね。神崎高校からは誰も出ていないのですか?」
「全日本選手権もそうだけど、全日本選抜みたいに、チーム単位ではなく個人で選出されるレースは、どちらかというと独走力のある選手が逃げ集団を作って、そのまま押し切るレースになりがちなんだ。コース適性的にも合わないということで、平良潤くんも平良柊くんも、出場意志の確認の時点でお断りしたんだよ。青山くんは怪我だしね」
3人とも、選考はされていたという事になる。
「では、見にいく理由は何なのでしょうか」
「慶安大附属の植原くんも出場しているけど、メインは高校よりもJプレミアツアーに出ていた選手たちになるからね。そっちの選手たちがどういうレースをするか、青山くんに見てもらっておこうと思ってね」
「行きます」
竹内は即答した。伊佐も少し考えたが、
「俺も行きます」
と答えた。
「じゃあ早速行こう。プレミアツアーシリーズ総合優勝の黒川選手も出てるし、植原くんとの対決は見ものだと思うんだ。そうそう、高速道路を使って行くし、今日はあっちの車にするか。先日、初めて4人乗せて走ったんだけど、意外と乗れるもんでねぇ」
上機嫌の神崎に対し、冬希の顔色がみるみる青ざめていく理由が、伊佐にはわからなかっt。
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