第308話 ロング・スロー・ディスタンス

 体育祭が終わった。

 冬希たちのクラスは、運動部の生徒が圧倒的に少なく、最初から苦戦することは目に見えていた。

 しかし、終わってみれば、1年生の12クラスの中で7位と、驚くべき成績を残すことができた。

 神崎高校の体育祭は、クラス対抗であり、3学年36クラスで競うことになっている。1500mのように、全学年が一斉に行う競技では、1位から36位までの点差が大きく、各クラスでも運動能力に自信がある生徒を選手に選んできたはずだが、その中でも冬希が3位に入ったことで、他の1年のクラスに得点で大きく差をつけることに成功していた。

「青山くん、今日は祝勝会だからね!」

 委員長も嬉しそうだ。かなり前から、打ち上げのためにカラオケ店のパーティールームを予約しているようだったが、最下位だったら何の会になっていたか気になったが、水を差すような気がして冬希は尋ねることができなかった。

「ちょっと、顧問の先生に話があるから、間に合えば行かせてもらうよ」

「そう、全国大会に出る人は、大変だね」

 委員長は、それ以上誘ってくることはなかった。いい感じに誤解をしてくれたのだと、冬希は思った。

 カラオケ店の予約は、多少余裕を持った時間帯に行っているということで、明日には解体されるであろう鉄パイプで組まれた応援席の上で、まだしばらくクラスメイト達は談笑していくようだ。

 冬希は、一足先に教室へ戻った。体操服から制服に着替える。

 教室を出て、階段を降りる時に、同じく帰り支度を終えて階段降りてきた柊に遭遇した。

「柊先輩、クラスの打ち上げとかなんですか?」

「あるみたいだけど、疲れたから帰るって言ってきた」

「そうですか」

「俺の中の神様が、帰って寝ろって言ってるんだよ」

「毎回思うんですけど、柊先輩の神様って、いつも大したこと言ってないですよね」

 神様という割には、寝ろとか飯を食えとかばかりで、ありがたいお言葉というのを聞いた試しがなかった。

「そういうお前はどうしたんだよ。冬希」

「ちょっと神崎先生にお話が」

「ふーん」

 冬希は、どうしても神崎に確認したいことがあった。

 鎖骨を骨折してから、手術までは一切のトレーニングを行っていなかった。

 手術が終わり、傷が塞がってからは、神崎が用意したトレーニングメニューをこなし続けてきた。

 そのトレーニングメニューは、冬希から見ると、もうトレーニングというより、ローラー台を使ったサイクリング、というレベルの強度の弱いものだった。

 怪我をする前の冬希は、自分の出せる出力ギリギリ限界を何度も繰り返す、高強度のインターバルトレーニングがメインだった。脚力も心肺も、強化されていると言う実感があった。

 それに比べて、現在やっているトレーニングは、負荷が低く、その代わり長時間行うトレーニングになっており、決められた出力以上は出さないようにしているため、何かか鍛えられていると実感を持てないでいた。

 そんな中で迎えた体育祭は、冬希にとっては最悪のタイミングだと思っていた。

 高強度でトレーニングをしていた時であれば、どんな競技でもよく戦えたのではないかという気がしていた。それに対して、1ヶ月ほど休んだ後、のんびりとペダルを回し続けるような体の動かし方しかしていなかった今は、格段に体力も落ちているように思えたのだ。

 しかし、実際に体育祭で走ってみると、驚くほど体力がついていることに気がついた。

 走った距離は比較的長かった。しかし、体力は尽きることなく、心肺も安定していた。

 手術後に神崎から渡されたトレーニングメニューには、守るべき心拍数、強度のワットすうなどが、細かく決められていた。その心拍数は、1500m走での心拍数の指標としても使っていた。

 体育祭での自分の体の動きは、冬希にとって驚き以外のなにものでもなかった。

 そのトレーニングにどんな意味があるのか、冬希は初めて神崎に確認したいと思った。

 それまでは、神崎の決めたトレーニングに盲目的に従うだけで、理由を確認しようなどとは、思ったこともなかった。

 柊は、あくびをしながら手を振って校舎から出ていった。

 冬希は、来賓席で来賓一人一人に、笑顔で挨拶をしている神崎の姿を見つけた。

 流石にタイミングが悪いと思い、踵を返そうとした時、神崎と目があった。

「やあやあ、青山くん、どうしたのかな」

 笑顔が、喜色満面という風に変わったのが、冬希にはわかった。来賓達も、一斉に冬希の方を見た。

「神崎先生、トレーニングメニューのことでお伺いしたいことがあったのですが」

 また改めて、という冬希の次の言葉を、神崎は言わせなかった。

「そうか、さすがだね。もう来年の全国高校自転車競技会の戦いは始まっているからね」

 神崎は、くるりと来賓の方を振り返った。

「皆様ご存知の通り、彼が神崎高校のエーススプリンター、青山冬希くんです。我が校の今年の躍進は、彼の力あってこそです。来年の自転車競技部の活躍の鍵を握る彼が、練習のことで相談があるとのことで、私は行かなければなりません。申し訳ありませんが、この後の懇親会は、遅れての参加となります。皆様、お楽しみください」

 神崎を引き止めることが、まるで来年度の自転車競技部の活躍を妨害する行為であるかのような言い方を、ほぼ直接的に言っているように冬希には聞こえた。

 来賓達は、名門である神崎高校の卒業生が多く、政財界で活躍し、母校への寄付なども行ってくれている人たちなのだろう。新米理事長である神崎にとっては、誘いを断りづらい相手でもあるが、同時に母校の活躍を応援してくれている人々でもある。

 事情を察した冬希は、来賓に深々と一礼した。

 神崎は、それでは失礼しますと、冬希を促して、共にその場を離れた。

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