第307話 体育祭⑥ 1500m走

 冬希が弁当箱を教室にある自身の鞄に入れた時、昼休みの終わりを告げる校内放送が流れた。

 午後の2番目の種目である1500mに出場する冬希は、自分のクラスの応援席に向かうのではなく、直接入場門へ向かう必要があった。

 校舎の階段を降りようとすると、上の階から降りてきた、自転車競技部の先輩である平良柊に遭遇した。

「お前、次の競技はなんだ」

「1500mです」

「なんか不機嫌そうだな、冬希」

「自転車で出るなよって、嫌味を言われたんですよ」

 本当に不機嫌な理由は、そこではなかったのだが、冬希は口に出してはそう言った。

「ふーん、まあ、安い挑発に乗るなよ」

 あんたが安い挑発に乗って部活動対抗リレーを自転車で走った所為だろ、と冬希は言いかけてやめた。都合が悪いことに関しては、この先輩は「ちょっと頭のいいニワトリ」ぐらいの記憶力しかないのだ。

 冬希は入場門に着くと1500m走の選手たちが集まりつつあった。

「青山、自転車の準備はいいのか?」

 陸上部の2年の先輩が言った。冬希は、笑って誤魔化そうとしたが、後ろにいた人物がそれを許さなかった。

「お前ら相手に、俺たちは自転車なんか必要ねえよ」

 振り向くと、150cm台の身長で精一杯踏ん反り返った柊がいた。

「言ってくれるじゃねぇか、自転車競技部」

 他の選手たちの敵意が、自分達に集中するのがわかった。冬希は振り返って、柊に確認した。

「柊先輩も1500mに出るんですか?」

「はぁ、出るわけないだろ」

「火に油を注ぎにきただけなら、帰ってくれ!」

 柊は、なんだよ、と呟きながら、自分達のクラスの応援席に帰って行った。だが、冬希は他の選手たちから敵意を向けられたままで、自分では何も言っていないにも関わらず、針のむしろ状態だった。

 前の種目が終わり、1500m走の選手たちがスタートラインに集合した。12クラスが3学年、各クラス1名ずつで36名が一緒にスタートする。全学年の全てのクラスが一緒に行う競技は、この1500m走だけだ。

「周回遅れになっても、邪魔するなよ」

 稲村という、真理と同じクラスの男だ。この男には負けたくない、そんな感情が湧き上がってきたが、冬希自身にとっても心外なことに、安い挑発に乗るな、という柊の言葉を思い出し、冷静さを取り戻して腕のリストバンド型心拍計を見た。

 スタートの合図が鳴った。

 自転車ロードレースの時の習慣で、最前列に並んでいた冬希だったが、100mを走り終える頃には20番手ほどの位置まで下がっていた。

 先頭は、冬希達に嫌味を言った陸上部の2年生、そして同じ陸上部の3年生の2名がペースを作っている。

 運動部系の選手達は、陸上部の二人を先頭に15名ほどの集団を形成しており、バスケ部という稲村もその集団内に入っていた。

 冬希は、午前中に部活動対抗リレーとスウェーデンリレーで体を動かしており、運動部系の集団についていける程度には走れそうだと感じていた。しかし、あえて自分のペースで走ることを選んでいる。長距離走は、自制心との戦いだということを、冬希はこの1年で学んでいた。冬希は、この競技のゴールタイムを6分弱と仮定していた。

 700mを走ったところで、冬希の予想に反して、かなりのハイペースで推移していた。先頭は、冬希を周回遅れにしそうな勢いで走ってはいるが、全員が全員それについていけているわけではなく、一人、また一人と先頭集団から脱落してきた。

 残り500mというところで、稲村も先頭集団から脱落した。一時は、一時は自身も冬希を周回遅れにしようかという勢いで走っていた稲村だったが、完全に息が上がってしまい、余力を十分に残した冬希は、それ簡単に抜いていった。

 冬希は、一瞬溜飲が下がった気持ちになったが、すぐにペースアップのタイミングを測った。

 残り200mから余力を全て使いきる勢いで、スパートをかけた。

 心拍数が一気に上がる。

 陸上部の二人から水を開けられた、運動部の集団を一気に抜き去る。

 だが、その先の陸上部の二人の背中は、到底捕まえられる距離にはなかった。

 優勝したのは陸上部の3年生、そして同じ陸上部の2年が続き、冬希は大きく差は開けられたが、3位でゴールすることが出来た。

 3位の位置に座り込みながら、冬希は稲村のゴールする順位を数えていた。

 稲村は、13位でゴールしたのを確認した。

「よし勝った」

 

 冬希は競技を終え、クラスの応援席に戻ると、クラスメイト達から拍手で迎えられた。

「お疲れ様、最下位脱出は確実よ!」

 委員長も上機嫌だ。

 一般来場者の応援席にいる優子と目があった。優子は手招きをしている。

 なんだろう、と冬希は疲れた体に鞭打って、優子の元へ行った。

「お疲れ様、あの嫌味な男に勝った感想は?」

「ざまあ見ろって感じかな」

「おお、隠しきれない人間の小ささが、溢れ出ている」

 破顔している冬希に、優子が言った。

「気づかなかったと思うけど、真理はずっと冬希の方を見ていた」

「そ、そうなの?」

「流石に声を出して応援はしてなかったけど」

 それは冬希のも事情はわかる、自分のクラスの選手が出ているのに、他のクラスの選手を声を出して応援するというのは、クラスの応援席でやるにはレベルが高すぎるだろう。

「名実ともに冬希の勝ちだから、安心していい」

「・・・そう?」

「そう」

 優子は、コクリと頷いた。

「後で応援ありがとうって、荒木さんに言いにいった方がいいかな」

「それはキモい。やめた方がいい」

「ですよね!」

 冬希が出た最後の競技が終わったので、優子は帰るといい、真理によろしくと言って、神崎高校から出ていった。

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