第306話 体育祭⑤

 昼休みに入った。

 冬希と真理は、特に一緒に昼食をとる約束をしていたわけではなかったが、半ば優子に巻き込まれる形で3人で食事を取ることになった。

「うわ、美味しそうだね」

「ビールが欲しくなる」

「いや、未成年だからビール飲んだことないでしょ」

 冬希が開いた弁当箱の中には、美味しそうではあるが、高校生の弁当にはあまり入っていないものが散見された。

「外はカリッと、中はプルプル」

 冬希から分けてもらった豚足を食べながら、優子は感動していた。

「この枝豆も、塩加減が絶妙だね」

 同じく枝豆を食べながら、真理も感心していた。

 枝豆と豚足の存在感のためか、普通にお弁当に入っていてもおかしくない、だし巻き卵や肉じゃがも、もう3人には居酒屋のものにしか見えなくなっていた。

「料理ぐらいできるようになっておいた方がいいと思ってバイト先で練習してるみたいだけど、居酒屋でやってたらこうなるんだなぁ」

 冬希の姉は、自分が練習する食材は、店が仕入れるのとは別に、自分のバイト代から出してこっそり仕入れていたようだったが、店長に見つかり、賄いとして他のバイトたちに食べさせるということで、店の食材を使わせてもらっていたようだ。結局、お店に出せるレベルになったので、今ではフロアだけではなく厨房の方にも入っているらしい。

「真理のお弁当も美味しい。自分で作ったの?」

「えっと・・・親が・・・」

「そういうの聞いちゃダメだろ」

 呆れ顔で冬希が、質問した優子を嗜めた。真理は、恥ずかしそうに小さくなっている。高校生なら、親に弁当を作ってもらうぐらい、普通のことだと冬希は思った。

「お、お弁当箱を教室に置いてくるね!」

 真理が小走りにかけていった。優子は、何が悪かったのかわかっていない様子で、真理が置いていった体育祭のプログラムをめくっている。

「冬希は次、何に出るんだっけ」

「1500m走だよ。午後の2番目のやつ」

「あ、名前あった。お昼食べた後、割とすぐに1500mも走るなんて、正気の沙汰とは思えない」

 冬希も、弁当箱を教室に持っていかなければならないのだが、そうすると優子が一人になってしまう。なんとなく優子を一人にする気にはなれなかったので、真理が戻ってきてから、入れ違いで教室の戻ろうと思っていた。

 すると、一人の生徒が、芝生の上に腰を下ろしている冬希を見下ろしてきた。

「よくもまあヌケヌケと。恥じる気持ちがないのか」

 冬希は、なんのことかわからない。見覚えのない生徒だ。

「1500mでは、自転車に乗って出てくるなよ」

 吐き捨てるように言って、去っていった。

 トラックを自転車で走ったのは冬希ではなく、先輩である平良柊なのだが、そんな反論もさせてもらないまま、あっという間に姿を消していった。


 真理が戻ってきた。

 冬希は、軽くパニックになっているように、優子には見えた。

「真理、同じクラスに、稲村って男子はいる?」

 冬希は、何かに気づいたように優子の方を見てきた。体操着のゼッケンに入った赤いラインが一本。これは1年生という意味、そしてクラスと名前が入っており、クラスは真理と同じだと優子は思った。

「いるよ。バスケ部の。2学期になって席が隣りになったんだけど、よく話しかけてくる人だよ。親切で爽やかなスポーツマンって感じかな」

「とてもそうは見えなかったけど」

 優子は、先ほどの稲村の態度を思い出しながら言った。

「俺、弁当箱置いてくるよ」

 冬希が、立ち上がり、校舎の方へと歩いていった。

「おお、嫉妬に狂った男の顔」

「狂っ・・・え?」

 真理は、驚いたように優子の方を見た。優子は、楽しくて仕方がなかった。

 冬希は、初めて会った頃こそ、何か打ちのめされたような表情をしていたが、普段は泰然自若としていて、何かに本気で怒った表情を、少なくとも優子は見たことがなかった。そして、真理がクラスメイトの稲村について話している時、冬希は優子が見たことがない表情をしていた。

 強い感情を押し殺した。そんな表情だった。

「私は、最近絵を動かすということがわかり始めた。でも、人の顔を動かすのは、どうしてもできなかった」

 優子の話を、真理は黙って聞いてくれている。

「止まっている人の顔を描くことは、まあできる。でも、表情描けなかった。監督からは、のっぺらぼうで持ってこいと言われて、本当に顔だけ描かずに原画を持っていった。いろいろなアニメを見て、感情を持った表情を描くのを真似してみた。でも、アニメを参考にしてアニメを描いても、それは監督が作りたいものとは、かけ離れていた」

「作りたいもの?」

「作った原画を持っていった時、監督は怒ったりはしなかった。ただ、僕はもうこういうのは卒業したから、と言って、顔のところだけ、消しゴムで消して描き直された。監督が書き直した顔は、表情が変わったようには見えなかった。ただ、視線を少し動かしただけだったから」

「・・・・・・」

「監督は言った。感情を丸出しで喚き散らすなんて、大人はしないもんだって。感情を押し殺し、内に秘めて、それでいて間違いなく何かを感じている、そういうものを絵で表現していくから、作品作りは楽しいんだって。冬希のさっきの顔を見て、なんか凄く良くわかった」

「えっと・・・つまり」

 真理は、少し、頬を赤らめているように見えた。

「冬希は、真理に近づく稲村という男に、嫉妬していた」

 優子は、あえていう必要がない一言を言った。

 放送で、昼休みの終わりと、生徒たちに各クラスの応援席に戻るように呼びかけがあった。

「あ、戻らなきゃ。ごめんね」

 恥ずかしそうにしながら、去っていく真理を、優子は見つめていた。

「喜びを隠そうとする女の顔。人の表情を見ろと言われた意味がわかった。楽しい」

 優子はポテトチップスのゴミをビニールに入れ、一般来場者の応援席の方へ戻っていった。

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