第299話 国体本戦3日目 レース後

 最後のコーナーを曲がって、1kmのアーチをくぐった時、潤の視界には、牧山と天野の姿が入っていた。

 先頭集団はもうゴール寸前で、ステージ優勝も総合優勝も、既に不可能であることは、潤にもすぐにわかった。

 最善は尽くしたと思う。だがどうにも出来なかった。

 後ろを振り返る。有馬と植原が横並びで走っており、その後ろに千秋もピッタリとついてきている。

 天野の総合優勝は、もう動かない。

 今は、植原、有馬、千秋の3人で、2位、3位争いをしている。

 潤も含めた4人の総合タイム差で言えば、この中では千秋がトップで、千秋の5秒遅れで植原、さらに植原の2秒遅れで有馬、潤は有馬に対して15秒も遅れていた。

 潤は、最後の力を振り絞ってアタックをかけた。

 植原、有馬、千秋も、潤を追いかけない。

 大幅に総合タイムが遅れている潤は、行かせても2位、3位の総合表彰台争いの大勢に影響はないからだ。

 もしかしたら、この4人のグループで、一番長く先頭を牽く役割を果たしてきた潤に、花を持たせてくれる気持ちもあったのかも知れない、と潤は思った。

 潤は、残るすべての力を使ってスパートをかける。

 牧山、天野の二人から遅れること30秒、ゴールラインを通過した。

 その後ろ、有馬が残り400mアタックをかけ、植原は有馬に食らいつく。千秋も離れない。

 その結果、潤から4秒遅れで有馬、植原、千秋の順番でゴールラインを通過した。

 この瞬間、天野の総合優勝、千秋の2位、植原の3位が確定した。

 有馬は、植原に3秒差をつければ総合3位だったが引き離すことは叶わず、結局は同タイムでのゴールとなり、総合4位が確定した。

 この3人のゴールにより、潤のステージ3位、そして総合5位も確定となった。


 牧山は、1位でゴールした後に茨城県代表チームのサポートスタッフや監督に囲まれ、祝福を受けていた。

 その横を、天野は黙って通り過ぎようしている。

「待て、天野」

 天野は、止まって牧山の方を振り向いた。

「何故だ。どうして自分で勝たなかったんだ」

「ステージ優勝は、今回の目的に含まれてませんでしたから」

 牧山が聞きたかったのは、本当はそういう事ではなかった。

 二人で協調するようになって、より長く先頭を牽いたのは天野だったし、置いて行こうと思えば、いつでも牧山を置いていくことも可能だったはずだ。少なくとも、牧山が冬希から聞いていた、全日本選手権での天野の力は、それぐらいのレベルだった。

 牧山には、天野が牧山をステージ優勝させるために、ゴールまで連れてきたとしか思えなかった。

 だがその理由は、どうしてもわからなかった。

 もっと聞きたいことはあったが、牧山は報道部活連の記者たちにも囲まれ始めていた。これ以上長話ができる状況ではない。

「ありがとう」

 牧山は、最後にどうしても言っておかなければならなかった言葉だけを言った。

 天野は、静かに頷くと、無言で走り去っていった。

 その瞬間、牧山には天野が少しだけ笑ったように見えた。


 天野は、ゴール後の喧騒を避け、佐賀の待機エリアへと自転車を進めた。

 そこでは、佐賀県代表チームの今回の唯一のチームメイトである坂東裕理が、既に撤収準備を進めていた。

 まだレースが続いている中、既に裕理がここにいるということは、途中でリタイアして大会のサポートカーに同乗して帰ってきたのだろう。

「申し訳ありません。先に撤収作業をさせてしまって」

 天野が声をかけると、裕理は振り返った。

「ゴール見てたぜ。首尾よく総合優勝は獲れたみたいだな」

「はい」

「ステージ優勝を譲ったのは、どういう理由だ」

 天野は、自分の表情が固くなるのを感じた。

「牧山選手のおかげで、ゴール前まで余力を残したまま帰ってこれました。そこには報いても良いかと思いました」

「まあ、今回の目標にステージ優勝は入れてなかったからな」

 天野は、裕理に気付かれないように、下を向いて小さく息をついた。

「お前は真面目すぎるところがあるな」

 天野は顔を上げた。裕理は冷たい目で天野を見ている。

「今回の大会では、連中にマークされないように長崎から出場させた水野を使って、お前をアシストさせて勝たせた。騙し討ちのような手だったことは確かだが、これぐらいのことに負い目を感じて、ステージ優勝だけでも誰かに譲ろう、なんて考えているようだったら、この先戦っていけんぞ」

 天野は、体を固くした。すべて見透かされていた。

「まあいい。勝ち過ぎれば、冬希のように、他の選手たちから目標にされる。目標にされると虚を突くことがむずくなる。これぐらいが丁度いい結果だろう」

「はい」

 牧山だから、優勝を譲ったわけではなかった。たまたま総合優勝しつつ、ステージ優勝を譲ることができる相手が、今日のレース展開では牧山しかいなかっただけだ。

 裕理は、もう天野の方を見ていなかった。

 撤収準備を再開した裕理と共に、天野も片づけを始めた。


 3日目のステージの表彰式が始まった。

 牧山、天野、潤が表彰台に上がっている。

 冬希から見た牧山は、とても誇らしげな表情をしていた。

 ゴール前で天野に譲られる形となったが、序盤から逃げ続けた牧山が、ステージ優勝にふさわしくないと思うものは、一人もいなかった。

 天野の表情は読めないが、潤も嬉しそうだ。

 ステージの表彰式が終わり、総合の表彰式が始まった。

 表彰台から降りてきた潤は開口一番、監督の槙田に頭を下げた。

「エースにしていただいたにもかかわらず、総合優勝争いに絡めませんでした。ご期待に添えず申し訳ありません」

 槙田は、慌てた様子で順を制した。

「いや、今回は十分すぎるほどの結果を出してくれたよ。本当にご苦労様。僕も胸を張って千葉に帰れるよ」

 槙田の言ったことに嘘はないだろう。潤が総合5位で、なおかつ柊が第2ステージで1位を獲っている。

 国体は、自転車競技以外にも様々なスポーツ競技で争い、順位ごとに8位までポイントが与えられ、最終的に全競技のポイントで都道府県ごとの順位が決められる。

 自転車ロードレースだけでいえば、47都道府県中、上から3番目ぐらいに多くのポイントを千葉県にもたらしているはずだ。槙田の貢献度は、高く評価されるだろう。

「君たちも、本当によくやってくれた」

 他のチームメンバーである柊、大川、竹内にも慰労の声をかける。

 槙田、大川、竹内は、撤収準備に入った。

 冬希は、潤が受け取ったステージ3位のメダルや盾、賞状を受け取り、柊は潤の自転車を押して待機スペースに移動し始めた。

「ようやく国体も終わりましたね。柊先輩の2日目の激走は凄かったです」

「冬希、ようやくお前もわかるようになってきたな」

「終盤のアタックが特に凄かった。あれはもう、ステージ優勝したと言っても過言ではないでしょう」

「いや、実際にステージ優勝してるから。なんで頑張ったけど優勝できなかったみたいな感じにしようとしてるんだよ」

 潤は二人を見て、少しずつ緊張が取れてきたようだった。

「だけど、今回のことで自分がエース向きではないことはわかった。次からは冬希がエースで、僕と柊の二人でサポートしていくことになるから」

「総合エースなんて、俺がやっていけるでしょうか」

 少し不安そうな冬希の背中を柊が叩いた。

「まあ、お前が神崎高校の総合エースなんて、10年早いと俺は思うけどな」

「柊先輩、俺は総合エースになるためにあと何年、高校生やらないといけないんですか」

 潤は、青く澄み渡った空を見ている。

 このあと千葉に帰り、家に着く頃には暗くなっているだろう、と冬希は思った。

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