第298話 国体本戦3日目 ゴール

 周回コースの2周目の山頂を、天野と牧山の先頭グループ、そしてその2分後に潤、植原、有馬、千秋の追走グループが通過した。

 天野と牧山は、しっかりと協力しあい、今の所は綺麗に先頭交代をしながら走っている。

 しかし、後続の4人は、ほとんど潤一人で牽き続けていた。

 潤も、その状況が不味いのは承知している。

 登りである程度はペースも落ちて、そこまで空気抵抗によるダメージも大きくはない。

 レース終盤のことも考えながら、ペースが上がりすぎないように、ある程度体力を残している。

 一方で天野は、牧山のコンディションを見ながら、それなりにペースを抑えて走っている。

 結局のところ、先頭グループと追走グループのタイム差に、大きな変化は見られなかった。

 しかしそれも、登りが終わるまでの話だった。

 追走グループが山頂に差し掛かろうという時、植原が動いた。

 植原を追って、有馬も加速する。その後ろに千秋がつけている。

 直前まで先頭を牽いていた潤は、さらにその後ろだ。

 潤には、わかっていた。

 植原のこのアタックは、先頭で下りに入るためのもので、ゴールを狙ってのものではない。

 下りを先頭で走ることのメリットは、多い。

 大きいのは、前を走っている選手の落車に巻き込まれにくいという点、そして自分の得意とするペースで下ることができるという点だ。

 植原は先頭で下りに入り、有馬、千秋、潤という並びで下っていく。

 植原は、元々下りを比較的得意としている選手だ。

 有馬も、地元では高千穂やえびの高原を散々下ってきた。

 千秋も、登りを得意とするだけあって、数多くの山岳練習をこなしており、登った回数の分だけ、下っている。経験は豊富だ。

 3人は猛スピードで下っていった。

 だが、潤もそれなりの心得はある。追走グループの最後方で体力を回復させながら、下りをこなしていった。

 

 天野と牧山は、二人で話し合って、極力この下りで体力を回復させることにした。

 下りの途中で、たまに現れる平坦区間も、ペダルは踏まずに、ほとんど惰性で走り切った。

 しかし、そんな区間もペダルを踏み切った植原たち追走グループとのタイム差は、追走グループが下り切った時点で、1分10秒まで縮まっていた。

「ここまでだな」

 天野は、牧山のペースに合わせてきただけあって、まだ余裕がありそうだった。

 それに対して牧山は、ずっとギリギリの走りを続けてきて、もう何度も前を牽くことは出来ない状態だった。

「次、俺が牽き終わったら、お前一人で行け」

「何故ですか?」

「このまま俺に付き合っていたら、後ろに捕まるぞ」

 天野は、牧山の方を振り向き、少し考えた様子だった。

「しばらく私が牽引しますから、もう少し頑張ってください」

「俺は、お前が負けた理由になりたく無いんだよ」

 自分に付き合ったことで、最終的に天野が総合優勝を逃すようなことになれば、牧山は自分を許せないだろうと思った。

「まだ慌てるようなタイム差ではありません。残りは10kmを切りました。タイム差は1分以上あります。普通なら、まだ安全圏内です」

「タイム差はあるが、俺の脚が無いんだよ」

 牧山は上手く言ったつもりだったが、天野はそれに反応しなかった。

「では、残り7kmで52秒、残り6kmで46秒、残り5kmで40秒をそれぞれ切ったら、考えましょう」

 牧山は、天野が何を言っているのか瞬時に理解した。

 「10kmで1分の法則」というものがあり、逃げる選手は追走集団に対して残り10kmでタイム差が1分を切っていたら、逃げ切りの可能性は厳しいと言われている。逆に1分以上のタイム差があれば、逃げ切りの可能性は高くなっていく。

 それで言うと、1km6秒という計算になるはずだが、天野はすでに、追走集団で一番総合タイム上位の千秋に対して、10秒のビハインドとなっている。

 総合優勝するためには、千秋に10秒以上のタイム差をつけなければならず、7kmで42秒ではなく52秒と言っているのは、その総合タイム差10秒のバッファを見ているということを意味していた。

「わかった」

 牧山は頷いた。

 もう、何故天野がそこまでして自分を連れて行きたがるのか、そんなこともどうでも良くなっていた。

 牧山は、とにかく天野の後ろで走り続けた。

 決して楽ではなかったが、一人で走るよりはまだ良いと、自分に言い聞かせ続けた。

 残り5kmになっても、まだ追走集団とのタイム差は、50秒程度はあった。

 苦しいということも、考えないようにした。

 モトバイクのホワイトボードも、5kmを過ぎてから見ていない。

 ひたすら天野のバイクの後輪のみを、無心で追い続けた。

 歓声が大きくなった。

 牧山は顔を上げる。

 残り1kmのゲートを通過した。

 ここからはゴールまでコーナーはなく、

 ここまで来れたことが信じられなかった。

 天野が自分を引っ張ってくれたから、来れたのは明白だと牧山は思った。

 ステージ2位。最終ステージで表彰台に上がるのは、夢のようなことだ。

 全国高校自転車競技会にも、全日本選手権にも、そしてインターハイにも出ることが叶わなかった。

 出場さえしていれば自分だって戦えると、牧山は言い続けてきた。

 しかし、誰からも相手にされなかった。

 TVの向こうで活躍する同学年の冬希や植原たちを見て、焦りと悔しさで、涙を流す日もあった。

 ついに自分は全国で戦えた。結果を残すことができた。

 出場さえしていれば、と言ったことを証明できた。

 2位を手に入れることができた、と牧山が確信した。

 しかしその時、信じられないことが起こった。

 天野は、後ろを気にしながら、牧山を前に行かせた。

 牧山も後ろを振り返った。

 追走グループの4人の選手たちが見えた。

「ゴールですよ」

 天野が言った。

 その言葉に、牧山は顔を上げた。

 ゴールのゲートが目の前にあった。 

 牧山は先頭でゴールラインを通過していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る