第287話 国体本戦2日目 スタート前

 2日目スタート前、各チームのためにスタート地点に用意されたテントのうち、佐賀県のチームのテントには選手である坂東裕理、天野優一の他に、佐賀大和高校の2名のサポートメンバー、それにスタート前のコメント取りのため、各県の報道部活連の記者たちが7〜8名訪れていた。

「しみったれとるなぁ」

 裕理は、天野に呆れたように言った。

 今回の佐賀県代表チームは、前年の全日本チャンピオンで裕理の兄である坂東輝幸が居た時とは違い、優勝候補とは言い難く、九州沖縄地区ブロック大会でも惨敗だったため、記者の数も少ない。

 しかも全員が1年生のようで落ち着くがなく、尚且つあからさまに早く次の学校に行きたいという態度を隠せていなかった。

 自分達がこれからやろうとしていることを考えると、目立たないほうがいいはずなのだが、天野の目から見た裕理は明らかに失望していた。兄である坂東輝幸の影に隠れるように戦ってきた裕理ではあるが、本来の性格は承認要求が強く、目立ちたがり屋なのだ。

「まあ、今年は見ての通りの戦力だからな。俺も天野も山岳向の選手じゃないし、無事にゴールできればいいんじゃないか?」

 裕理は、パイプ椅子にふんぞり返ったまま面倒臭そうに言った。

 記者たちが、もうこれ以上面白い話もないだろうと、コメント取りを終えようとしていた時、

「まだやってる??」

 暖簾でもくぐるような仕草で、青山冬希が入ってきた。

「よう、冬希じゃねーか」

「裕理さん、お久しぶりです。佐賀県のテントが見えたんで、ぜひご挨拶に伺わなければと思って」

 記者たちが色めき立つ。

 光速スプリンター、青山冬希。

 本来なら彼ら1年生記者が取材させてもらえるような存在ではない。新聞部でもエースクラスの記者が選任で担当するほどの男だ。

 その冬希は、裕理と抱擁せんばかりに再会を喜んでいる。

 この二人、ここまで気が合うものなのか、と天野自身も内心驚いていた。

「ちょうど報道学部連の奴らにコメントしていたところだ。お前も協力してやれ」

「裕理さんにそう言われたら、ちょっとお邪魔しますね」

 天野は裕理と対面する立場にパイプ椅子を置いた。

「ありがとうございます」

 冬希は、天野に丁寧にお礼を言って、椅子に腰掛けた。

 冬希と天野は同じ1年ではあるが、比較にならないほど冬希の方が実績は上だった。

 にも関わらず、冬希は自分のような瑣末な相手にも礼儀正しい。こういう男が本当に恐ろしいのだろう、と天野は思った。

 1年生記者たちは、緊張しながらも冬希に質問をぶつけた。ここでいいコメントを引き出せれば、冬希の番記者を任せられるかも知れない。

「昨日のスプリントはどうご覧になりましたか」

「やはり山賀選手のアシストを信頼し切った赤井選手の強さが光ったと思います。インターハイでもこのコンビを倒すのは容易なことではありませんでした。当時は全日本チャンピオンにもなった郷田先輩がアシストとしていてくれたので、なんとか勝負できましたが、福岡の立花選手や東京の伊佐選手には、発射台となるアシストがいませんでしたからね。裕理さん」

「はん、愛知が強いことは分かってたんだから、赤井の後ろにゴール前まで金魚の糞みたいに着いて行って、ゴール前でちょろっと差せばよかったんだよ。無駄にうろうろして脚を使いやがって」

「さすが裕理さん、口は悪いけど、自分ならそうしていたと思います。差せた保証はなかったですけどね」

 冬希は言葉を選びながらも1年生記者たちの質問に真摯に答え、最後は裕理の意見を聞く形で話は進んでいった。

 結局、30分ほど佐賀での取材が続き、1年生記者たちは優勝候補とは程遠い何チームかのコメント取りの時間を失うこととなった。

 だが、彼らにとってはそれはもうどうでも良いことだったのだろう。自分達が取材してまとめたコメントは、ほとんどがボツになり使われることはない。青山冬希のコメントを聞けた。その方が記事になる可能性は遥かに高いのだから。

 記者たちと共に出ていく冬希を笑顔で見送った後、裕理は真剣な表情で天野を含む3人の1年生を集めた。

「冬希の奴が来るとはな。お前ら、絶対に勘付かれるような態度をとるなよ。飄々としているようで、奴は昼行灯だ。恐ろしく頭が切れる」

 天野以外の2名のサポートメンバーは、緊張した面持ちで頷いた。

「スタートするまで彼らはテントから出ないようにした方がいいでしょう」

「そうだな」

 天野の言に、裕理が頷いた。


 東京チームのテントの一口で、数名の報道部活連の記者たちが門前払いを食っていた。

「取材は、スタート1時間前までとなっているはずです」

「ですので、まだそれまで5分ほど時間があるじゃないですかk」

「今から取材を始めて5分で終わりますか。他の方々はもっと早く来られていましたよ」

 慶安大附属のマネージャー、沢村雛姫が気丈にも年上の記者たちを追い返していた。

「もう閉店?」

 テントの影からひょっこりと冬希が顔を出した。

「青山くん!」

「植原と遊びに来たんだけど」

「どうぞ!博昭くん、青山くんが遊びに来てくれたよ!」

 喜色満面で雛姫がテントの中に呼びかけた。

 東京代表の1年生エース、植原博昭がテントの中、雛姫の声がした方を振り返った。

「植原よ。沢村さんは、お前のおかーちゃんなのか?」

「今の雛姫のセリフは間違いなくお母さんだったな」

 植原は、ストレッチをしながら冬希に言った。

「君はこんなところで油を売ってていいのか?」

「佐賀のテントに行った後、ここの前に立花のところでも油を売ってきたよ」

「レースに出ない奴は、まったりしてるなぁ」

「そういう博昭くんは、青山くんが来る前は緊張してて顔色が真っ青だったけどね」

 雛姫は本当に嬉しそうだ。恐らく、自分では植原の緊張を解いてやることができないでいたところに、冬希がやってきたことで植原の表情に明るさが戻ったことを喜んでいるのだろうと冬希は思った。

「植原、勝てそう?」

「いや、自信はないな。お前らの千葉とも勝負づけが済んだとは思っていないし、静岡の千秋選手、宮崎の有馬も強敵だ。福岡の立花もまだ総合を狙ってくるだろうし、宮崎の有馬、小玉、茨城の牧山だって、3日間しかない国体では逃げさせたら一発で逆転できないほどのタイム差を1日でつけられてしまうかもしれない」

「確かにな」

「冬希、君はどこに注目している?」

「そうだなぁ・・・」

 冬希はしばらく考えた後、迷いながら

「佐賀かもな」

 と言った。

「佐賀か。そういえば、天野という選手は俺たちと同じ1年生だな」

「ああ、全日本選手権で戦った。その時は坂東さんのアシスト役だったけど、簡単には勝てない相手だった」

 植原はしばらく考え込んだ。

「そうか・・・その話は覚えておこう。だが、佐賀チームは2名だし、5名選手を揃えている静岡や福岡、それに4人ではあるが山岳メンバーを揃えている宮崎ほど脅威になるとは思えないな」

「俺もそう思うんだけどなぁ」

 佐賀に割くリソースがあるなら、他のチームに割いたほうが勝算が上がるとは、冬希も思っていた。なので、冬希からはそれ以上何もいえなかった。

「まあ、がんばって」

 シュッと手を上げると冬希は笑顔で東京チームのテントを後にした。

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