第283話 青山冬希欠場

 千葉県のスポーツ連盟のサイトの「国体出場選手;自転車ロードレース」から冬希の名前が正式に消えた。

 冬希が羞恥心から身悶えしていた日のことだ。

 手術が決まったと冬希から知らされた神崎高校自転車競技部の監督兼理事長の神崎が、自転車ロードの国体チームを率いる槙田に直接連絡をしたのだ。

 それは槙田にとってショックな事ではあった。確実に計算できる1勝を失ったと感じていた。

 しかし、県のスポーツ連盟ではなく神崎が直接自分に連絡をくれたこと、そして手術を受けるという点で重大なことと受け止め、冬希の怪我の具合を気遣うということもした。

 槙田はすぐに公認の選定に入り、国体強化選手の中から。大川駿の推薦した竹内建という中学3年を選んだ。

 竹内は、大川と同じく自転車ロード個人タイムトライアルの選手で、中学3年になって自転車を始めたにも関わらず、中体連では全国でTOP10入りを果たしている。

 その日のうちに、スポーツ連盟のサイトは書き換えられた。

 神崎は、国体でもいい成績を残せればそれに越したことはないと考えている。国体は、インターハイ、全日本選手権と並ぶ、高校生の自転車ロードレースの主要レースだ。同時に、自分が積極的に関わる立場にはないということも思っていた。ただ、それは国体に関心がないということとはイコールではない。平良潤が総合エースとしてどの程度戦えるか、確認するチャンスがもらえるという点では、神崎は国体へ選手を供出することを前向きに捉えていた。

 今のところ潤は、神崎が知る潤の実力以上のものを出せてはいない。

 スプリンターとして想像以上の実力を発揮した冬希や、今年の全国高校自転車選手権でギリギリのところで日本中の強豪をいなし続けて総合優勝を勝ち取った船津、そして全日本選手権で冬希との連携プレイで全日本チャンピオンを勝ち取った郷田は、いずれも神崎の想像以上の結果を残している。そういった何かを潤にも期待していたのだが、現状は苦しんでいるようだ。

 無理もない、と神崎は思う。

 自転車ロードレースはチーム競技ではあるが、チームのリーダーになった瞬間、自分が勝つことが求められる、いわば個人競技の側面が色濃く出てくる。潤は気性が優しく、あまり他者と競うことに向いていない。

 自転車ロードレースを数字と計算だけで考えていた船津、個人競技である柔道で自分が勝つためには何が必要か考えることに慣れていた冬希、そしてその冬希に背中を押されるように全日本選手権で勝ってしまった郷田とは、置かれている状況やタイプが異なっている。

 国体の本戦でどうなるかわからないが、神崎は潤が潰れないように、早めにケアをしていかなければならないと考えていた。


 国体自転車ロードの代表選手から冬希の名前が消えたことに最初に気付いたのは、佐賀県代表の坂東裕理たちの佐賀大和高校だった。

 佐賀大和高校は、人数も多いため練習後にミーティングを行なっていた。

 裕理の兄、坂東輝幸が部にいた頃、彼は腕組みをして、黙って話を聞いているだけだった。その頃からミーティングの進行は裕理の役割だった。

 裕理は、佐賀大和高校自転車競技部の部員たちに、常に他県の出場選手のチェックを行なっておくように指示している。

「裕理さん、今日の国体の選手変更は1件で、千葉県の代表選手だった青山冬希の名前が消え、竹内という中学3年の選手に変わっていました」

 部員たちの間に、驚きの声が上がる。

「怪我でもしたのでしょうか」

 裕理と共に国体に出場することが決まっている天野優一が言った。

 天野は1年であり、同じ学年で全国で活躍する冬希を見て、流石に何も思わないというわけにはいかなかった。

「まあ、直接聞いてみればわかるだろ」

 裕理はスマートフォンを取りだすと、アドレス帳から冬希を選択してスピーカーモードで発信ボタンを押した。

 周囲に目で「黙れ」と指示する。

 2コールほどで冬希は出た。

「よう、冬希。元気か」

『お久しぶりです。裕理さん。』

「忙しいところ、すまねえな」

『裕理さんからお電話をいただいて、出ないわけにはいかないじゃないですか』

 電話をもらって少し嬉しそうな冬希の声に、裕理も笑いながら、抜かせ、と返す。

 天野を除く部員たちは、お互いに顔を見合わせている。その気持ちは天野にもわかる。

 裕理さんは一体どこまで顔が広いんだろうか、と思っているのだ。

 裕理は、兄の輝幸ほど実力があるわけでも、圧倒的な存在感を持っているわけでもない。ただ、光速スプリンターと呼ばれる青山冬希にここまでの態度を取らせているのだから、やはり底知れぬ何かを持っているのだと、他の部員たちは改めて感じているだろう。

 天野からすると、そういう状況にならなければ裕理の本質に気づけない部員たち猛省すべきなのだ。数えるほどしか会ったことがない青山冬希ですら、このように裕理に対して一定の敬意を持って接しているというのにだ。

「お前、国体出場選手から名前が消えてるみたいだぞ。女関係でなんかやらかしたか?」

『女関係で何ややらかしたのは確かですが、それとは無関係ですよ。やらかしたと言っても、国体出場を取り消されるほどのことはやってませんから』

「女関係の話はどうでもいいんだよ」

 裕理が苦笑している。部員相手には見せない表情だ。

「で、何があった」

『ちょっと事故りまして』

 冬希は、事故のあらましと怪我の具合について裕理に説明をした。事故については、よくある右直事故で、右折する車の不注意が原因のように思えたが、確かに冬希の言うように、普段の彼であれば避けられていた事故であったように天野には思えた。

『土曜日に手術なんですよ。友人から脅されてちょっと不安なんですよね』

「なんてことはねぇよ。兄貴もレースで落車して鎖骨を折ったことがあるけど、手術した翌週にはもうレースに出てたぜ」

『そんなことが可能なんですか?』

「まあ、俺ら凡人には真似出来ねぇけどな」

 天野も、その話を聞いたことはあった。しかも坂東輝幸はそのレースに勝ったという話だ。

「必要以上に心配する必要はねぇってことだ」

『ありがとうございます。ちょっと気が楽になりました』

 冬希との電話を終え、裕理は人の悪そうな笑みを天野に向けた。

「天野、報道部活連に連絡しろ。先週出した国体出場選手の一言コメントを訂正するとな」

 天野は頷いた。

 裕理が、コメントを訂正するためだけに報道部活連に連絡しろと言っているわけではないことは、天野には明白だった。コメント訂正依頼に併せて、報道部活連に冬希の欠場の情報をリークし、可能な限り早く全ての都道府県の代表たちにその情報を展開させようというのだ。

「訂正用のコメントは適当にお前の方で考えておけ」

「わかりました」

 意味がわかっていない他の部員たちに、裕理も天野も説明する気はなかった。

「冬希が出ないとわかると、スプリントステージに狙いを変えてくるチームも出てくるだろう。俺達の勝ちは揺るぎないが、これで総合優勝が少しは楽になる」

 天野は、報道部活連に一言コメントの訂正依頼をメールした。

「青山選手の欠場は残念ですが・・・」という一言を追加しただけであった。


 その日のうちに報道部活連は千葉県スポーツ連盟に問い合わせを行い、青山冬希の欠場について確認を取った。

 翌日には各都道府県の報道部活連のスポーツ記事に、青山冬希の欠場情報が掲載された。

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