第241話 鈴木の決意
鈴木瀬名は、自分が日本レーシングカート選手権でシリーズチャンピオンになったのは、まぐれだと思っていた。
最終戦まで、シリーズチャンピオンを争っていたのは、カートエンジンのメーカーのワークスチームの2名だった。
井上と中野という、断トツに早い2名のドライバーに次いで、シリーズ3位で最終戦に臨んだ鈴木は、スタートから二人に置いて行かれていた。
後続の選手に抜かれ、5位まで落ちたが、終盤にタイヤが摩耗し切ってグリップし無くなった選手たちを、タイヤを終始温存していた鈴木が抜いて、3位まで追い上げた。
先頭の2名は、勝った方がシリーズチャンピオンだったが、最終コーナーへの突っ込みでのブレーキング勝負、意地の張り合いの結果、タイヤを使い切っていたのもあり、2名ともコースアウト。鈴木が1位でゴールした。
10戦中、井上5勝、中野4勝という成績でここまで来たが、優勝かリタイアかの2名に対して、全てのレースで完走、表彰台を獲得した鈴木が、上位2名のリタイアにより、最終レース1勝しただけでシリーズチャンピオンとなった。
一発の速さを持つ井上、中野は共に自動車メーカーのドライバー育成プログラムに参加することが決まっている。
シーズンを通して、最終戦のゴール数十メートルしかトップを走らなかったが鈴木には、声がかからなかった。
井上、中野は共に15歳、鈴木は17歳。若くて速い2名の方が将来性があると思うのは、当然のことだと鈴木は思ったので、全く嫉妬はなかった。
そもそも、プロのレーシングドライバーというものが、よくわからない。そういうものになりたくてレースを始めたわけでもない。ただ、楽しくコースを走ることができれば、それでよかった。
シリーズランキング2位に終わった井上は、レーシングスクールの校長に、鈴木にも声をかけるべきだと主張した。
シリーズ3位の中野は、速さを持たない鈴木がチャンピオンになったことに不満を持っていた。そしてそんな鈴木を育成プログラムに参加させるように声をかける井上を、理解できないといった表情で見ていた。
井上は
「鈴木さんは、信じられないほど凄い」
と周囲に話していた。
第7戦で優勝した時、井上はメカニックが自分のカートを整備する場に立ち会っていた。
タイヤも、ブレーキも限界で、もう数周も走れない。
カートも、縁石ギリギリを攻め続けたため、フレームの底が削れていた。
偶然、隣のピットになっていた2位の鈴木が、父親の手を借りてカートをスタンドに乗せているのが目に留まった。
井上は驚愕した。カートのフレームの底はまだ綺麗で、タイヤもブレーキも、もう1レース走れるほど余裕があった。
第8戦で、井上は鈴木の後ろを走って見ることにした。
井上にわかったことは、鈴木の走りは、驚くほどスムーズだった。ハンドル操作は極めて少なく、そのためタイヤに優しいのだとわかった。
井上は、資金が豊富なワークスチームで、チャンピオンを取るために、散々あらゆるコースで練習を重ねてきた。
しかし鈴木は、初めて走るという第8戦のコースで、他のコースと同じように上位のタイムを叩き出した。
バトルをしてみたくなった井上が鈴木を抜きにかかると、鈴木はブロックする素振りも見せず、クリーンに譲ってくれた。
中野のように、激しいブロックも、コース外に押し出そうとする動きもない。極めてフェアな走りだった。
鈴木の走りを身につけたくなった井上は、鈴木の真似をした。
ノーブレーキでコーナーに突っ込み、曲がりながらタイヤがロックするギリギリまでブレーキを踏み込んだ。
井上は、スピンして、最下位まで転落した。
レースは、中野が優勝。無理せずアクセルオフして、スピンした井上を丁寧にかわした鈴木が2位。
井上は、その後何度も鈴木の走りを真似してみようとしたが、ついに身につけることが出来なかった。
第8戦、第9戦と中野に敗れ、チャンピオン争いが最終戦までもつれてしまった。普通に走って第8戦に勝っていれば、その場でシリーズチャンピオンが決まっていたのにも関わらず。
結果、最終戦で激しいブロックを仕掛けてきた中野と共倒れになり、鈴木がチャンピオンになった。
殴りかからんばかりに怒りを爆発させる中野を無視し、井上はすぐに鈴木を祝福に行った。
井上は、自分がチャンピオンを獲れないのであれば、鈴木の獲ってもらいたいと思っていた。
強い自制心を持ち、クリーンでマシンを大切に乗っているにも関わらず速い彼の走りを手本にすべきだと思っていた。
冬希と優子が、鈴木を訪問した日の夜、鈴木は興奮してなかなか寝付けずにいた。
冬希との話は、刺激的だった。
鈴木は、同じ千葉県の人間として、神崎高校の選手たちを応援していた。
強烈なスプリンターとして、ゴール前で圧倒的な強さを見せる冬希が、どんな人間なのか、鈴木は知りたいと思っていた。
話してみると、ゴール前に見せるようなパワフルさはなく、冷静で強い忍耐力を持つ、「普通の高校生」というタイプの人間だった。だが、冬希が自分自身のその「普通」という良さをどれほど理解できているのかは、鈴木にはわからなかった。
そして、冬希と話したことで1つだけ、鈴木が心に決めたことがあった。
数日前、鈴木の元に、自動車メーカーから、主催するレーシングスクールへ参加しないかという誘いの電話が来ていた。優秀な成績を残せば、育成プログラムへの参加資格を得ることができる。
鈴木は、自分が声をかけられるとは思っていなかった。本来なら、カートで優秀な成績を収めた選手が、自分から申し込むものだ。誰かの働きかけがあったのかも知れない。
考える時間が欲しいと、鈴木は回答していた。育成プログラムに参加するつもりもないものが、レーシングスクールに参加していいものなのか、真剣にプロのレーシングドライバーを目指す人たちの邪魔にならないか。
しかし鈴木は、やれるところまでやってみようと、はっきりと決意を固めることができた。
ジャンルは違えど、冬希と話すことで、身近に戦い続ける男を感じることができた。
安川さんという、学校でのアイドル的な同学年の女子に、妹の見聞を広めるために、話してやってほしいと言われた。
自分で力になれることならと思い、特に何かを期待したわけでもなく、何気なく引き受けた。
結果、自分が喝を入れられた形になった。そして、どれほど感謝しても感謝しきれないほど、貴重な出会いを得ることになった。
青山冬希という1学年下の尊敬すべき男と、肩を並べられる人間になれたとしたら、それほどの喜びはない。
レーシングスクールを受講させてください。
鈴木は、明日の朝一で連絡しようと思っていた。
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