第240話 目覚める才能

 優子は、帰宅後にすぐに自室に篭り、鉛筆を手に取った。

 出迎えてくれた母親には、

「晩御飯の時には呼んで」

 とだけ言った。

 母親は驚いていたが、無理もない。家族と一緒にご飯を食べるなど、高校に入って一度もなかったかも知れない。

 自分の都合のいい時に部屋を出て、ダイニングテーブルの上に置かれた、ラップがかけれた食事を取る、というような生活だった。

 お菓子ばかり食べて、食事を半分以上残すこともあった。今では、そんな自分が酷く幼稚に思えた。過去に戻って自分を引っ叩いてやりたい。

 体育館に引き返した後、優子は一人で体育館から出ようとする冬希を見つけ、礼を言った。今思えば、押し付ける様な礼の言い方だったかも知れない。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした冬希に、何かを言われる前に、優子は疑問をぶつけた。

「なんで、私にそこまで付き合ってくれたの。そこまでする義理はなかったでしょう」

 冬希は、少し考えた後で、

「特に理由はないよ」

 と言った。

 謙遜している風でもなかったので、本当に何も考えていなかったのかも知れない。それはある意味謙遜するような人よりヤバい奴だ、と優子は思った。

「私、もっと頑張る。絵を描くことだけじゃなくって、他にも、いろいろ。もっと、ちゃんとしようと思って。ちゃんと」

 具体的な言葉は、何一つ出てこなかった。しかし、今の優子にはそれが精一杯だった。

 しかし、冬希には伝わったようで

「うん」

 とだけ言った。それ以上の言葉は必要ない、という一言だった気がした。

 優子は、それが無性に嬉しくて、頬が緩みそうになるが、自分の笑った顔がどういうものだったか思い出せない。気味のわるい表情をしているのではないかと心配になり、顔を見られないように踵を返して、体育館から出て行こうとした。

「その服は、とても似合っているし、髪もすごく綺麗だ。これからも、続けてくれると嬉しいな」

 優子は、逃げ出すように走り出していた。

 どんな顔をして街の中を走っていたのか、思い出せない。多分、茹でダコようなっていたのではないかと思う。

 

 冬希は、真理との朝の勉強会のため、登校していた。

 中学の頃は、学校に行くことは好きではなく、休みの日にまで登校するなど、考えられないことだった。

 しかし、神崎高校では自主的に登校して部活や勉強に励む生徒も多く、冬希にとって居心地が良く課題も捗るので、特に何か用事がない限りは、学校に来ていた。

「進捗はどう?」

「芳しくないなぁ」

 夏休みが終わるまで、計画を立てて課題を進めてはいるが、プログラミングの課題となると、1つのところで引っ掛かると、一気に遅れが出てしまう。

「真理の方は?」

「芳しくないね」

 浅輪春奈に勉強を教えてもらって著しく学力が向上した真理だったが、春奈と一緒にやるとの真理一人でやるのとでは、やはり理解するまでの時間に大きな差があった。それでも真理は諦めずに向き合っている。

 そんな真理の姿を見て、冬希は素直に尊敬の念を抱いていた。

 昨日の藤田の将棋の対局もそうだが、結果を出すかどうかより、難しいことに正面から向かっていく姿勢に心を動かされるのだと、冬希は考えていた。

「このままだと、同窓会の日もここで、冬希君と宿題やってそうだね」

「このままだとそうなるなぁ」

 冬希と真理は、中学2年の頃のクラスの同窓会に出席しないつもりだった。

 真理は、主催する男子たちが誘うクラスメイトを選り好みしていることに反発しており、冬希に至ってはそもそも誘われてもいない。

 どうせバックレるなら二人同窓会でもやろうと言うのが、真理の提案だった。

 まだ具体的な話にはなっておらず、このままでは開催も危うい状態となっていた。


 10時になると、真理は部活に行くので、冬希は課題を続けたり、部室でトレーニングをしたりしている。

 体育館の1階には、柔道場、剣道場の他に、ウエイトトレーニングができる器材がある部屋もあり、郷田と冬希はそこもよく利用していた。

 自転車を用いたトレーニングは自宅でもできるが、ウェイトトレーニングは学校でしかできない。

 冬希は、トレーニングを一通り終えると購買で買ったプロテインを飲みながら鏡の前に立った。

 だいぶ筋肉はついてきたが、郷田に比べるとまだ貧相だ。

 トレーニングを終えると、引き続きOA教室で課題を行い、日が傾いて暑さが少しだけ和らぐと、ロードバイクに乗って帰途に着く。

 守衛さんに挨拶をして、校門から出ようとすると、白いワンピースを着た優子が居た。

 昨日着ていたものと違うようで、背中に大きな白いリボンがついている。

「やっと出てきた」

「ずっと待ってたの?」

「いや、美和姉からメッセージが届いてたでしょ」

「ああ、あれか」

 優子の上の姉から、どこにいるのか、学校にいるなら何時ごろ帰るのか、など質問攻めを喰らっていた。

 その割に、家に寄れなどと言う指示はなかったので、なぜだろうと思っていたところだ。

「なんか、男の子たちにすごい見られた」

「まあ、無理もないかもな」

 優子は、昨日同様、髪はサラサラで、栄養が足りていないように痩せて白かった肌は、多少血色が良くなっている。昨日はまだ、生気に欠ける印象があったが、今日はハッキリと可愛かった。

「ああいう、ジロジロ見てくる男子は、私みたいなオタクな女子に偏見を持っているに決まっている」

「そうかな」

「あと、そういう男が飼っている犬は、すぐに人に吠える」

「すごい偏見だな!」

 優子は、横を向いて小さく吹き出した。

「はぁ、今日はどうしたの?」

「これ」

 優子は、紐で綴じられた原画用紙を出してきた。

「見ていい?」

 優子は、黙って頷いた。

 冬希は、自転車を壁に立てかけ、原画用紙を受け取るとパラパラとめくってみた。

「これは・・・」

 冬希は、あまりの凄さに絶句した。全力でスプリントをしている自転車ロード選手が描かれていた。選手として走ってきた冬希を持ってしても、非の打ちどころがない。

「髪、トリートメントも自分でした。日焼け止めも自分で塗った」

「うん」

 日焼け止めは、冬希にもすぐにわかった。頬にムラができており、白い跡がついている。不器用なりに頑張って塗ったのがわかった。

「貴方が言ったから。これからは、色々とちゃんとする。でも、アニメも描く。それを伝えたくって」

「出来るよ」

 優子は、はっとなった。

「君なら、出来る」

 冬希は、自信を持って言い切った。

「貴方が教えてくれたから、だから私は」

 冬希は、手のひらを優子の頬に添えて、親指でそっと撫でた。

「えっ」

「あ、日焼け止めを拭おうと思って」

「ご、ごめん、男の子に触れられるの初めてで・・・」

 二人ともしどろもどろになっていた。

「と、とにかくありがとう!」

 優子は、そのまま背を向けて走り去っていった。

 冬希は、手に持ったままの原画用紙を見た。

「これ、また返しに行かなきゃなぁ」


 校舎の窓から、真理は二人のやり取りを見ていた。

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