第237話 姉のありがたさ
優子が憤然としてリビングに入ると、優子の二人の姉、そして父と冬希がいた。
テーブルの上は片付けられ、姉たちの友人二人は既に辞した後のようだった。
母は、キッチンで片付けをおこなっている。
「あなた、自転車の有名な選手だって、なんで黙ってたの」
優子は、冬希を睨みつけた。
「私みたいに、なにをやっても上手くできないような人間を馬鹿にしてるの」
優子の父が大きなため息をついた。
「嘘なんてつく必要はないよ、なにしろ僕はとても有名な自転車選手だからね、って彼が言えば満足だったの?」
「いうわけないでしょ、馬鹿じゃないの」
言葉にして言ったのは、優子の二人の姉だった。
優子は唇を噛んだ。本当はわかっているのだ、自分が勝手に巻き込んだ。その上、彼が自分の素性を話さなかったことを責めるなど、筋違いも甚だしい。
「みんな、才能に恵まれている人たちは、私みたいになにをやってもダメな人間を、どこかで馬鹿にしてるのよ」
「お前は、活躍している人たちがみんな才能に恵まれているから活躍できていると、本気で思っているのか」
優子の父親の声は、怒気をはらんでいた。
優子は、目に涙を溜めて俯いている。
「お父さん」
心配した優子の母親が、父を宥める。
「今日来てくれた二人もそうだ。ここにいる青山君もそうだ。彼らがどうやってそこまでの結果を残せるまでに至ったか、お前は考えた事があるのか」
優子は俯いたまま、なにも言い返せない。
冬希は、まずいなと思った。
この家族の目的は、優子を叱りつけることではないはずだ。
相手を言い負かすことで、本当に大切なことを伝えることは出来ないのだ。
「鈴木君や藤田君が、どんな思いで戦っているか見てこい」
優子の父が言った言葉は、実際にそうしろという意味で言われた言葉ではないのは冬希もわかったが、案外それも悪くないのではないかと思った。
というか、どこか落とし所を見つけなければ、このお説教は、解決を見ないまま優子が怒られたという以上のなにものも残らない。
「あの、それでしたら俺も一緒に行かせてもらってよろしいでしょうか。今日ちゃんと二人と挨拶もできなかったので」
優子の父は、言葉を失っている。
「あ、じゃあ鈴木君に聞いてみる」
「私は藤田君に」
二人の姉も、さすがにこのままではまずいと思ったのか、冬希が提案した着地点に乗っかる事にしたようだ。
返事はすぐに来た。
「鈴木君は、明日午前中はカートサーキットで練習するから、来ていいって」
「藤田君は、明日は対局があるから午後に会場に来てくれたらって」
「じゃあ、明日朝一で待ち合わせをしよう」
冬希は、やや不貞腐れている優子に声をかけた。
あっという間に外堀を埋められて、なにも言えなくなってしまった優子の父も、そういう事なら、と矛を収めた。
「しっかり目に焼き付けてきなさい」
そう言って、奥の部屋に引っ込んでしまった。
優子も、無言で部屋に戻っていった。
「ごめんなさいね。巻き込んでしまって」
冬希は、二人の美しい姉に、軽くボディタッチされてドキドキしていた。
気が晴れない状態が続いていた冬希も、自分をなんとかするキッカケを求めていた。むしろ巻き込まれたのは優子なのかもしれない。
「優子の連絡先、知っている?」
「いえ、実は・・・」
「呆れた」
本当に適当に見つけた人を引っ張ってきたのかと、二人とも言葉を失っていた。
冬希は、二人の姉の連絡先、そして優子の連絡先を教えてもらった。
翌日、冬希は朝早くから安川邸を訪れていた。
冬希は、マンションの前で待つつもりだったのだが、安川家としては、自分の娘に構ってくれる希少な人をぞんざいに扱う事などできなかった。
インターホンを鳴らすと、上がってくるように、上のお姉さんに言われ、自動ドアが開いた。
エレベーターの前まで行くと、誰が押したわけでもないのに、上ボタンが押されている。
到着したエレベーターも、17階が押された状態となっており、試しに別のフロアのボタンを押してみたが、点灯しなかった。冬希は、マンションのセキュリティというものに感心した。
玄関のインターホンを鳴らすと、優子の母が出迎えてくれた。
リビングに通されると、優子がいた。
髪はサラサラに梳かされ、白いワンピースが着せられている。
印象がガラリと変わった。
二人の姉は、モデルのように身長が高く、優子はガリガリで背も低いが、さすがは二人の妹だという、どことなく良いところのお嬢様のような雰囲気を醸し出していた。
ただ、ワンピースの下に、ジーパンを履いている。
「これだけは譲れないって言ってね」
下の姉が、困った表情で言った。
「ほら、暑いから帽子もかぶっていきなさい」
上の姉から、麦わら帽子を被せられる。
「日焼け止め、塗らないと」
下の姉が、優子の腕、首、胸元、顔に日焼け止めを塗っていく。
優子は、なされるがままだ。
準備が一通り終わると、冬希と優子は追い出されるように家を出た。
「こんなに構われたの、久しぶり」
エレベーターの中で、優子はポツリと言った。
「君は、お姉さんたちに大切にされている」
冬希にも経験があった。
子供の頃は、なぜこんなにも姉が世話を焼くのだろうと思った。悪いことをすると、母や父ではなく、姉が冬希を叱った。そして、姉から受けた指導の数々は、冬希が大きくなるにつれ、そのありがたさがわかった。
姉に大切にされていた、と思ったのは、中学に入った頃だった。
姉は、冬希が生まれる前、弟を欲しがっていた。
冬希が生まれてからは、冬希を育てる役を、母から奪うように、自分の時間を削って冬希の面倒を見た。
正月に伯母から聞いた話だ。
姉は一言もそういうことを言わなかった。
言ってくれればよかったのに、とは冬希は思わなかった。そういうことを言わないところも、姉の良いところなのだろう。
優子は、冬希の言葉がお世辞ではない、深い何か説得力のようなものを持っている気がして、反論できなかった。
久々に姉にかまわれて、そういうことなのかもしれないと、優子自身も気づき始めていた。
マンションのエントランスを出ると、朝9時前にもかかわらず、日差しが二人に降り注ぐ。
日焼け止めも、麦わら帽子も、優子を日差しから守っていた。
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