第235話 優子一家との会食
冬希と女の子は、タワーマンションのエントランスに居た。
女の子が鍵をセンサーに近づけると、オートロックの自動ドアが開いた。
そのまま奥に進んでいき、エレベーターの前に着いた。
また鍵をセンサーにつかづけると、エレベーターのボタンの光が点灯した。
「あなた、名前は?」
「青山冬希。君は?」
「安川優子。私があなたのこと、適当にでっちあげるから、あなたは話を合わせて」
大丈夫だろうか、と冬希は不安になった。
エレベーターは17階に到着した。
このあたりは、タワーマンションが乱立しているエリアで、17階というのは決して高い階層ではないのだが、普通に考えると十分に高い位置にあった。
絨毯が敷き詰められた床をしばらく歩くと、突き当たりの玄関前に立ち止まり、おしゃれなドアに鍵を差し込み、冬希に、上がって、と言った。
広い玄関には、一家族にしては多い数の靴が、綺麗に並べられていた。
冬希は小さな声で、お邪魔します、と呟くと、靴を脱いでちゃんと他の靴のように並べる。
優子は、靴を適当に脱ぎ散らかしており、冬希はその履き物も揃えた。
「連れてきたわよ」
優子は、リビングに入るか入らないかのタイミングで言った。
冬希は、少し緊張しながら、優子に続いてリビングに入った。
広い。とにかく広い。青山家のリビングの4倍はあるのではないかという広さだ。
そして、テーブルが長い、広い。
原木の模様を残した木製のテーブルだが、木目を見る限り、一本の木で作られているのだろう。縄文杉でも使われているのだろうか。
そして、その長いテーブルの奥側には、品の良さそうな中年男性と、その左側に同じく品の良さそうな女性が座っている。これが優子の両親だろう。
その対面には、髪の長い、綺麗な女性が座っている。年齢は、冬希より上だろう。2人の姉がいるという優子の話から、おそらく上のお姉さんだろうと推測できた。
その隣に座っているのが、上のお姉さんの友人の男性なのだろう。
その男性を挟んで、肩までの長さの髪の女性が座っている。こちらも綺麗な人だ。座る位置から考えると、下のお姉さんと思われた。
隣には、メガネをかけた真面目そうな男子が座っている。
冬希は、上のお姉さんと、下のお姉さんの連れている男性たちに、見覚えがあった。
7月に行われた、四半期の千葉県の文化・スポーツ功労者として表彰式に出ていた人たちだ。
上のお姉さんの隣に座っている方が、全国ジュニアレーシングカート選手権で、シリーズチャンピオンになったという、鈴木瀬名選手。
そして下のお姉さんの隣に座っている人が、将棋で高校生棋王のタイトルを奪取した、藤田義弘棋王だ。
なぜ覚えているかというと、冬希も功労者として一緒に表彰されたからだ。
鈴木と藤田も、冬希に気がついたようで、驚いた顔をしている。
優子のお父さんも、おおっ、という顔で冬希を見ているので、どうやら知っていてもらえたようだ。
ん、不味くないか、と冬希は思ったが、優子はその表情をまるで見ていないかのように、喋り始めた。
「この人は、青山冬希君。神崎高校の理科同好会で、蛾の生態調査をしていて、研究発表で入賞して今度県大会に行くのよ」
鈴木と藤田は、唖然とした顔をして、お父さんに至っては、頭を抱えている。
「どうも、青山冬希と申します・・・」
だがもう遅い、優子は気にした様子はないが、彼女が冬希のことをよく知らずに連れてきて嘘を言ったことは、思い切りバレてしまった。
「じゃあ、私はやることがあるから、後は適当によろしく」
優子は、リビングから出て行き、冬希は取り残された。
「青山君、久しぶりだね」
「インターハイ、見てたよ」
鈴木と藤田が、声をかけてきた。気を遣ってくれたのだろう。
「鈴木さん、藤田棋王、ご無沙汰しています」
冬希は、深々と頭を下げた。
表彰式で軽く挨拶をした程度の面識だが、知っている人がいてくれたことがありがたかった。
「よりによって、光速スプリンターとは・・・蛾の生態調査などと出鱈目を」
優子の父は、げっそりとした表情で立ち上がり、冬希に頭を下げた。
「青山選手、娘がとんだ御無礼を言ってしまい、申し訳ない」
「いえ、お気になさらないでください」
優子からすると、頭のいい神崎高校の生徒を捕まえることができたので、文化系部活で、家族の誰も知らないような分野の実績をでっち上げてしまえば、バレないだろうぐらいに思ったいたのだろう。
しかし、連れてきた人間の方に知名度があったため、盛大にバレてしまったのだ。
姉二人も、冬希の顔がわからないようだったが、鈴木と藤田から
「自転車ロードの光速スプリンター、青山冬希選手だよ」
と説明されると、驚いていた。
冬希の顔は知らなくても、光速スプリンターの名前は知っていたようだ。
「とりあえず、座ってください。食事にしましょう」
冬希は、藤田棋王の隣に座った。
テーブルの各席には、一人前の高級寿司桶が置かれており、それは優子のために用意されたであろう席にも置いてあった。
会食は、優子抜きで進められた。
優子の父としても、これ以上冬希に対して末の娘がいい加減なことを言う状況を作ることを避けたかった。
優子という爆弾が欠席したおかげで、会食は和やかな雰囲気で行われた。
冬希は、食べたことがないような高級寿司を食べることができた。
冬希は、自分の分だけではなく、優子の分、そして優子の母と二人の姉が食べきれなかった分も完食した。
「すごくよく食べるのね」
上の姉が驚いている。
「レースの時は、4000kcal〜5000kcalぐらい消費するので、食べるのも競技のうちみたいなもんですね」
「すっご。それは食事制限とかなしでも痩せるわ」
冬希の言葉に、下の姉が驚愕の声をあげる。
優子の姉二人は、肥満とは程遠い体型をしている。それを維持するのに、並々ならぬ努力があるのだろう。
「それにしても、偶然とはいえ、青山君を引き当ててしまう優子ちゃんは、やはり安川さんの妹だなと思うよ」
鈴木が、上の姉に言う。
「そうですね。人間力、とでもいうのでしょうか」
藤田も同意した。
上の姉とその友人である鈴木は高校3年、下の姉とその友人である藤田は高校2年ということは、食事中に聞いた。そして冬希と優子は高校1年だ。
「優子は、あの通り自分の興味がある世界以外を見ようとしない傾向がある。世の中は、もっとさまざまな、なくてはならない物で構成されているというのにだ」
末の娘の、そういう点を直したくて、視野を広げさせようと、ああいう条件を出したのだろう。
しかし、優子は二人の姉の連れてきた友人を見て、特定の分野で実績を残した人を連れてこなければならないと父親が言っているのだと勘違いした。人脈を広げるとか、人とのつながりを大切にするということは、そういうことではない。
つまり、最初から父親の意図を全く理解しようとしていなかったのだ。
「優子を呼んでくる。青山君に謝罪させなければ」
「あの、少し優子さんとお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
父親としては、自分の娘が他人に迷惑を掛けたのだから、謝らせなければならない。その理屈はわかるのだが、それを押し通したところで、この父親と優子の関係は悪化する以外、何ももたらさない。
この件に関しては、冬希も当事者なので、なんとかできるとしたら、自分しかいないという、妙な責任感のようなものが生じていた。
寿司を食べ過ぎた。1人前なら、恩に着る必要はなかったのかも知れないが、少なく見積もっても`2.5人前ぐらいは食べてしまった。
1.5人分ぐらいの恩は返さなければならない。
冬希は、改めて、寿司を食べ過ぎたと思った。
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