第227話 袖ヶ浦サマーサイクルロードフェスタ 3時間エンデューロ男子エリート③

 レースはスタートして45分を経過し、主催者でもある実業団チーム「マルケッティ」がペースをコントロールすることで、一見平穏に進んでいるように見えた。

「えげつないことしやがるぜ」

 坂東が言ったのは、アタックをかけた選手に対するマルケッティの対応だった。

 逃げようとする選手がいると、1名、もしくは2名で追って真後ろにつける。メイン集団を牽引する他のメンバーは、特に脚を使って追うことはしないが、後ろに張り付かれた選手は、逃げを諦め、集団に戻る。

 そのうち、集団からアタックをかけようとする選手はいなくなった。

「前半担当と、後半担当がいる」

 坂東は言った。

 マルケッティから出走している選手は8名いる。現在、4名がメイン集団を引っ張っており、残りの4人は集団内にバラバラに散っている。しかし、冬希はそれだけで前半組と後半組に分かれているという根拠としては、弱い気がしていた。

「そう思う理由が何かあるんですか?」

 冬希は、こともなげに坂東に訊いた。そういうところが、うちの1年に足りないところだ、と裕理は思っている。

「マルケッティの8人のうち、レース前にローラー台に乗っていたのは4人だけだった」

「まさか」

「先頭を走っているあの4選手だ」

 冬希が「まさか」と言ったのは、レース前から観察していたのか、という意味だったが、坂東はそこに驚かれているとは微塵も思っておらず、自然に誤解した。

 レース中に他の選手たちの調子や位置どりを気にすることはあったが、レース前の様子まで観察するというのは、この人にとっては普通のことなのか、と冬希は唖然とした。

 思い出してみれば、全国高校自転車競技会で、冬希と坂東がスプリントポイント賞を争った時、坂東は序盤から逃げに乗り、中間スプリントポイントを荒稼ぎしていた。あの時、冬希がレース前にローラー台に乗っていないのを確認して逃げに乗っていたのだろうか。冬希は、改めて恐ろしい相手と戦っていたのだと感じた。

「それに、あの4人の中には、フェルナンドもカルロスもいない。勝ちを狙うつもりでいるから、序盤に脚を使う気がないんだろう」

 それは、冬希も思っていたことだった。先頭を回している4人の中に、外国人らしきメンバーはいなかった。

「まあ、しらばくはレースは動かないだろうな」

「じゃあ、ボトル取ってきます」

 冬希は、露崎、坂東から残りが少なくなったボトルを一本ずつ受け取って背中のポケットに差し込むと、先頭を牽引する選手たちに、補給に行きます、と一言告げて集団を抜け出した。

 集団前方の選手たちは、冬希が大量のボトルを抱えているのを見て、追うことなくその後ろ姿を見送った。


 冬希がメイン集団にある程度のマージンを稼いでピットに戻ると、チームで陣取っているブルーシートに並べられたボトルを倒して置き、あらかじめ水を入れてあるボトルを3つ取り上げると、2本をボトルゲージ、2本を背中のポケットに入れ、再スタートを切った。

 冬希がピットロードを出ようとしたタイミングでメイン集団は冬希の前を50mほど過ぎ去っており、冬希な同じくピットから出た選手たちと先頭交代しながら集団を追って、合流することができた。

 集団の最後尾に着くと、冬希は少しの間、脚を休め、呼吸を整える。

 ふと前を見ると、マルケッティのチームジャージを着る選手が目に入った。見覚えのある選手だ。

 冬希が神崎高校の入試を受ける前に出たクリテリウムも、マルケッティ主催のレースだった。その時も、マルケっティの選手が集団を先導して、冬希はそこについていくのがやっとだった。一時的に集団から千切れた時、冬希を曳いて集団まで引きもどしてくれたのが、目の前にいる池下選手だ。

 袖に、日章旗があしらわれているのは、過去に成人男子の全日本選手権を優勝したことがある証だった。

 今もそうだが、当時冬希からすると、プロの自転車競技選手というのは、雲の上の存在だった。しかし、あれから1年未満で、そんな人たちに対等な立場で挑もうとしている。

 不思議なものだ、と思いながら、脚と呼吸が落ち着いた冬希は集団の中を上がっていった。


 マルケッティの池下涼満は、集団を上がっていく一人の選手を見つめていた。

「光速スプリンターか」

 今回のレースで注目すべきチームは、ハセガワ、ビーシーシー、尾美工業という3つの社会人クラブチームと、「高校選抜」という高校生たちのチームだ。

 社会人クラブチームは、日本中のいろいろなレースにも常連で出場している強豪選手たちが所属しており、コンチネンタルチームとして登録されているマルケッティの選手たちと言えど、鼻歌混じりに勝てるほど甘くはない。

 一方で、高校選抜というチームは、その名に恥じず、フランスのコンチネンタルチーム入りが決まっている露崎、昨年の高校生全日本チャンピオンの坂東、そしてピュアスプリンターとして露崎や坂東を倒したこともある「光速スプリンター」青山冬希、自転車競技に関わるものなら、誰もが一度は名前を耳にしたことがある高校自転車界の有名選手が揃っている。

 レース前のブリーフィングで、警戒すべき選手の一人にも挙げられた冬希が、まだ15歳だということを知った選手たちの間では、失笑が漏れた。まだ子供だ、警戒する必要があるのか、というものだった。

 しかし、フェルナンドもカルロスも、一切笑ってはいなかった。彼らは、15歳だろうとそれ以下の年齢だろうと、強い選手は強いということを知っているのだ。

 一方で、のちに全日本選手権に勝つことになる池下も、日本の大学を卒業して海外に渡った時、自分より速い子供もいるという事実にショックを受けたものだ。

 青山冬希という選手は、強力なスプリント力を持つ、優勝候補の一人だと、マルケッティの日本人の中でトップ選手である池下は確信していた。

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