第226話 袖ヶ浦サマーサイクルロードフェスタ 3時間エンデューロ男子エリート②

 上は太陽と、下はアスファルトからの照り返しで、想像以上に気温が上がっているように思えるコース上に、各チームの選手たちが、スタート位置の場所取り合戦に飛び出してきた。

 露崎、坂東は場所取りのようなものに必死になるタイプではなく、冬希は指示があれば場所取りに積極的に参加するつもりではいたが、坂東裕理が

「まあ見てろって」

 と落ち着き払って言ったので、見守ることにした。

 一頻り、スタートラインが埋まった後で、裕理は、兄の坂東輝幸、露崎隆弘、青山冬希を引き連れて、スタートラインを埋め尽くす選手たちの中に入っていった。

「すんまっせん」

 裕理が声をかけると、最後尾に並んでいた安田電機の板倉という名の選手が、訝しげな表情を裕理に向ける。だが、その背後に控えた選手たちの顔を見て、ギョッとした。

 板倉は、高校時にインターハイ出場経験があり、その実績を買われて大学、そして自転車競技部を持つ安田電機とキャリアを積んできた。しかし、そこにいたメンバーは、全国に出場したことがある、などというレベルではない3人だった。

 板倉は高校時代、県内では最強クラスの選手だったが、全国では上位入賞することは叶わなかった。しかし、目の前にいる3人は、全員が全国で1人当たり5勝以上挙げており、露崎は高校生活のほとんどを海外で過ごしており、冬希はまだ1年生で、二人とも出場レースが少ないのにそんな勝利数を稼いでいる。そして坂東に至っては、全日本選手権で優勝経験者だ。

 エントリーリストに彼らの名前があり、優勝を狙う各チームはそのゼッケン番号を押さえていた。間違いなく彼らだ。

「すんまっせん、俺らはほら、アレなんで」

 冬希は、アレってなんだろうと思ったが、板倉は少しずれて、裕理たちを通す。なぜそんなメンバーが出場するのか、不思議に思っていたが、裕理の口ぶりから、どうやら主催者枠での出場なのだろうと納得した。

 裕理は、手刀を切りながら、軽薄な笑みを浮かべつつ、選手の間をかき分けていく。

 選手たちは、後方の選手たちが道を開けているので、自分達もそれに倣って道を開けていく。ついには、4人は先頭近くまで到達することができた。

「あの、裕理さん。うちのチームって招待選手か何かなんですか?」

 冬希が、小声で裕理に言った。

「いや、普通にインターネットで申し込んだけど」

「じゃあ、アレなんでっていうのは・・・」

「アレっていうのをぼんやりさせておけば、なんとなく相手が誤解してくれるだろ」

 裕理は、別に嘘は言ってない、と人の悪い笑みを見せた。

 チーム名からして、すでにギリギリアウトなのではないかと、冬希は思っていた。

 裕理の悪巧みで「高校選抜」などという、御大層なチーム名でエントリーされているが、全国高校自転車競技会、全日本自転車競技連盟、ましてや先日行われたインターハイを主催する全国高校体育協会の、いずれを代表するチームでもない。だが、それらの3つの組織は、お互いのどこかが招集した選抜チームだと誤解し、問い合わせることもしないだろうという点まで裕理は考えていた。

 高校生の代表として出場するのであれば、「高校生選抜」とすべき所であるが、そこも裕理の絶妙なネーミングセンスでもある。

 そもそも、裕理からすると、どこの組織が招集したとしても、自分を除く、この最強の選手3人を集められる組織など存在しないのだから、「高校選抜」というチームが正式なものかどうかなど、紙屑ほどの価値もないことだと思っていた。

 裕理の考えた通り、「高校選抜」というチーム名は、そのメンバーを以って、他のチームたちを信じさせる十分な根拠となっていた。

 

 チーム「高校選抜」は、無事に集団の先頭付近でスタートを切れることになった。

 坂東裕理という男は、こういうあらゆるギリギリの手法を使って兄である坂東輝幸がトップ選手となる後押しをしてきたのだろうと考えると、冬希は尊敬の念を抱かざるを得なかった。周りの選手を詐欺同然の手口にはめ、自分達の有利な位置からスタートさせるなど、自分には絶対に無理なことだ。

 1周目は、サポートカーの先導でゆったりした走り出しとなったが、サポートカーが抜けて、正式スタートした直後、集団のペースが一気に上がり、企業の社会人クラブチームによるアタック合戦が始まった。

 スタート直後から、調子が悪い、と感じていた冬希は、スタート前の十分なウォーミングアップができていなかったのもあり、ハイペースについていけず、徐々にメイン集団の中で後方に下がっていってしまった。

 ペダルを回す脚は重く、呼吸も苦しい。

 まずい、千切れる、と思った時、前方から下がってきた裕理が冬希の前に入り、

「心拍数が上がるまで無理しなくていいから落ち着け」

 と言った。

 冬希は、とりあえず一旦頑張るのをやめ、気持ちを落ち着かせた。

 200名近い集団の前方から、ほぼ最後方まで下がることとなったが、心拍数が上がり始めてからは、集団に楽についていけるようになり、裕理の先導で集団の前方に復帰することができた。

「裕理さん、ありがとうございます」

「調子、あんまり良くないとや?」

「トレーニングは欠かしていなかったのですけど」

 色々と辛いことを忘れるために、トレーニングに没頭し、疲労が溜まっていたのかもしれない。

「露崎さんや、坂東さんに、呆れられてるでしょうね」

 全国大会でもないのに、スタート直後に遅れそうになるなど、自分はチームメイトとして期待はずれもいい所だろうと思った。

「ん?あの二人がそんなこと気にすると思わんけど」

 実際に、冬希が裕理に連れられて、露崎と坂東の元に戻った時、露崎は

「お、戻ってきたな」

 と言い、坂東も

「しばらくはやることもないから、集団の中で休んでろ」

 とだけ言った。

 裕理からすると、当たり前のことだった。露崎も坂東も、冬希と激しい死闘を繰り広げてきた。破れることすらあったのだ。それがたった1レースでスタート直後に遅れそうになったからといって、冬希の評価を下げるなど、あり得ないことだ。

「見てみろ、青山。今日の目標は、フェルナンドとカルロスの首を獲ることだ」

 坂東が言った。

 今日のレースは、日本の実業団のチームが主催するアマチュアレースで、当該の実業団チームは、選手として参加しつつも、主に集団を牽引したりして、レースをコントロールする目的で出場している。

 しかし、選手としては、日本国内のツアーレースで総合優勝した、スペイン出身の強豪選手たちも一緒に走っている。そういった選手たちを倒しておこうというのだ。

 冬希は、とんでもないことに巻き込まれたと思った。

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