第224話 おかあさん
葬祭場を出た親族たちは、火葬場に向かっていた。
マイクロバスの中では、雑談をしている人たちもいる。こういう機会でもなければ、なかなか一堂に会することもない人たちもいる。
郷田は窓から外を眺めていた。何かを考えていたわけではない。ただ、外を眺めていた。
火葬場に着くと、マイクロバスから降りる。葬儀社の人の案内で、中に入っていった。
先に霊柩車で着いた父は、火葬許可証の提出などの手続きを行なっているようで、姿は見えない。
母の棺は、ストレッチャーに乗せられ、そのまま炉の前の、お別れ用の部屋に運ばれていった。
父が戻ってきた。
火葬場では、「納めの儀」が行われた。読経、焼香が行われる。
母の入った棺は、炉の前に置かれている。これが母の顔を見ることができる、最後の時だった。
郷田は、本当の別れの時が来たのだと思った。また、涙が止まらなくなった。もう母には永遠に会うこともない。
「お母さん、ありがとう」
郷田は、絞り出すように言った。
棺は、奥に運ばれ、扉が閉められた。
それが最期だった。
郷田、郷田の父、叔母を含め、全ての親族は、火葬場休憩室で、昼食をとることになった。
火葬には時間がかかる。
郷田も、来てくれた親族たちと一人一人、話をした。自転車のことも聞かれたが、気を遣ってくれていたのか、表面的な話題に終始した。
火葬が終わったとの放送が入り、郷田たちは火葬炉の前に移動した。
郷田たちの他にも、今日火葬を行なっている遺族の人たちは多いらしく、廊下は喪服を着た人が多くいた。
火葬炉の前に行くと、まだ熱を持った遺骨と灰が、台の上にあった。
最早、母の姿はない。
郷田の父か、遺骨を箸で取り、それを直接郷田が箸で受け取り、収骨容器に収めた。
箸渡しを行なったのは最初だけで、後は親族たちが次々に収骨容器に母の遺骨を収めていった。
最後に喉仏が容器に収められた。
「お父さん」
郷田は、ポケットから取り出した指輪を父に見せた。母の結婚指輪だ。
父は、静かに頷いた。
郷田は、収骨容器に、母の指輪を入れた。
再び火葬場から、葬祭場に戻った。
棺で葬祭場から運び出された母は、今は収骨容器の中に収まり、父の胸に抱かれている。
祭壇に収骨容器が置かれ、読経、そして僧侶からの話があった。
葬儀社の人が、葬儀の終わりを告げた。
郷田の母の葬儀が終わった。
葬儀が終わった後、遺骨、遺影、位牌を持って、郷田の父、郷田、叔母の3人は、葬儀社の車で自宅の集合住宅へ戻った。
自宅では、葬儀社の人が手早く祭壇を作ってくれた。
実は、母はこの家に入るのは、これが初めてのことだった。福岡から転院してきて、一度も帰宅することは叶わなかった。
叔母は、ホテルに帰っていった。
残されたのは、郷田と父の二人だけとなった。
「隆将、これを」
郷田が渡されたのは、葬儀社の人が一緒に持って帰ってくれた、入院中の母の荷物だった。
写真、カレンダーもあるが、母がよく使っていたタブレットがあった。
「お母さんが、隆将に言いたいことを、タブレットに書き続けていたんだ」
郷田は、タブレットを持ったまま、遺骨の方を見た。
「パスワードは、お前の誕生日だ」
郷田が、4桁の数値を入れると、タブレットのロックは解除された。
数少ないアイコンの中に、日記のアプリがあった。郷田は開いてみる。
そこには、こう書かれていた。
============================
おかえりなさい、隆将。
あなたの活躍する姿をTVで見ることができて嬉しいです。
最近、よく昔のことを思い出します。
あなたを妊娠するまで、5ヶ月かかりました。最初のエコーは、まだまんまるな受精卵でした。それがあなたに対するお母さんの1番古い記憶です。
妊娠した後、なかなか出血が止まらず、流産する可能性があるということで、仕事をお休みすることになりました。あの時は、本当に不安で押しつぶされそうでした。
3ヶ月ほど休んで出血も治り、お腹の中で順調にあなたは大きくなりました。エコーを見て、鼻が高いと産婦人科の先生はおっしゃっていました。
年が明けて、お父さんが最初に仕事に行くのを玄関で見送った直後、破水しました。予定日までまだ1ヶ月もあったのに。あなたはせっかちさんです。
ちょうど、検診の日だったので、そのまま病院に行き、そのまま入院になりました。破水すると、外と繋がってしまうため、バイキンとかが入ってしまうので、産んでしまうしかないそうです。お父さんは職場について何もしないまま、お家に帰ることになったそうです。
陣痛促進剤を使うと、初産なのにあなたはあっという間に生まれてきてくれました。大変親孝行です。
あなたは、胎脂に塗れたまま生まれてきました。早産の子というのは、そういうものだそうで、肌を守るためなので、洗ったり拭いたりしないで、しばらくあなたは胎脂に塗れたままでした。
出産してから3日後、一人増えた家族と一緒に退院できると思っていたのですが、黄疸が長引いていて、あなただけ、退院できないことになりました。私は不安でいっぱいで、家でたくさん泣きました。
退院できるまで、毎日病院に行きましたが、あなたは治療のために光線を浴びる保育器に入っており、抱っこしてあげることもできませんでした。一緒に行ったお父さんは、目を塞がれた状態で光線を浴びているあなたを見て、海でサングラスをして日光浴をしているようだと言ったのを覚えています。
名前をつけるのも大変でした。お父さんが出してくる候補は、30個ぐらい、全部戦国武将のような名前でした。
当時としてもあまり変ではない名前ということで、お母さんが隆将を選びました。景勝とか帯刀とかよりも、あなたに似合っていると思いました。
あなたは、ミルクをよく吐く子でした。お父さんも、お母さんも、深夜にあなたを着替えさせたり、自分達も着替えたり、とても大変でした。
ハイハイをしてよく動くようになったあなたでしたが、1歳になっても立つことはありませんでした。整形外科に行くと、先天性股関節脱臼が見つかりました。
お母さんは、子供の頃から体が弱かったので、きっと私の遺伝のせいだと思いました。
あなたは、股関節脱臼の整復のため、数ヶ月間、ハイハイをするのが大好きだったあなたが、縛られたまま、寝たきりの生活が始まりました。あなたがかわいそうで、あなたの寝顔を見ながら、何度も泣きました。
整復した後、ギブスで数ヶ月、装具で数ヶ月、股関節脱臼が見つかって、10ヶ月で、ようやくあなたは自由を取り戻しました。
それから、2歳も近くなってようやくあなたは立って歩き始めました。
体の弱さは相変わらずで、おたふく風邪が悪化して入院したり、よく熱を出して、お父さんに救急病院に連れていってもらったりしました。
無理のない範囲で運動させようというお父さんの提案で、あなたに自転車を買ってあげることにしました。
あなたは、本当に嬉しかったのか、まだ4歳だったのに、自転車で一人で4kmは離れている、おじいちゃんの家まで行ってしまいました。
それから、あなたはどんどん元気になり、身長も高くなり、体つきもお父さんに似てきました。
そんな時、突然お母さんは歩けなくなりました。悪性リンパ腫が腰の神経を圧迫していたのです。
千葉のガン専門の病院で、月に1回注射を受ける治療が始まりました。お父さんもあなたも、文句ひとつ言わず、一緒についてきてくれました。6ヶ月の治療の中で、動かなくなった足のリハビリもやりました。うまくいかなくて、あなたたちには迷惑もかけて、言うことを聞かない自分の体が本当に嫌いなりました。
でも、千葉で高校に入ったあなたは、自転車の部活に入り、本当に楽しそうにしていました。それが1番の救いでした。
そして、同じ高校の部活の仲間と頑張って活躍する姿をテレビで見ることが、1番の楽しみでした。
あなたは、パートナーの青山くんと一緒に、お母さんにたくさんの活躍を見せてくれました。
この間、あなたは、大きな大会で優勝しました。突然、日本一になったと。お母さんも、日本一の子供を産んだお母さんになることができました。
ずっと体が弱い自分と、あなたの体が弱かったことで、お母さんは悲しくなっていました。
周りの人にも、よく自分のせいだと言って、困らせていたと思います。
みんな優しいから、お母さんのせいじゃないよって、言ってくれました。
でも、みんなのどんな言葉よりも、あなたが日本一になってくれたことが、お母さんにとっての救いでした。
今度、青山くんを連れてきてくれると言ってくれましたね。
お母さんは、隆将と、青山くんと3人で写真を撮りたいです。
楽しみにしていますね。
================================
郷田は、タブレットを置くと、遺影を見た。
自分を育てるため、母がどれほど苦労してくれたのかを、母の遺した言葉から知った。
母は、本当に幸せだったのだろうか、苦労ばかりさせてしまった。
郷田は、母への申し訳なさから、胸が締め付けられるような気持ちになった。
ふと、別の日にも日記があることに気がついた。
それは、母が肺炎を再発させて、入院して以降に書かれたものだった。
================================
また、肺炎になってしまいました。
もう病気は懲り懲りです。
リハビリをやっていても、全然体力が戻ってこなかったので、ダメなのかな、と思っていました。
お母さんは、このまま死んでしまうかもしれません。
そうなると、これからの隆将を見れないのは、残念だなって思います。
でも、悲しむ必要はありません。
お母さんには、隆将がいるから。
お母さんが死んでも、隆将が生き続けてくれていたら、何も怖くはありません。
あなたは、私とお父さんの子です。
あなたの半分は、お母さんでできています。
あなたは私の半身で、あなたが生き続けているということは、あなたの中でお母さんも生きつているということだからです。
お母さんは、あなたと一緒に生きています。
=================================
読み終わった。
母は亡くなった。もう声を聞くことも、顔を見ることもできない。
しかし、母と共に生きていくのだと、郷田は思った。
冬希は、玄関の前で、よく小鉢のおかずが入って夕食にならぶお皿に、塩が盛られているのを見つけた。
体に塩をふりかけ、風呂場の洗面器に入った水で手を洗い、家の中に入った。
台所から、包丁のトントンという音が聞こえてくる。日曜日に、一週間分のおかずを作り置きしているのだ。
「おかえり」
冬希に気がついた母は視線を手元の包丁に向けたまま、冬希に言った。
「あんた、またジャージ出してなかったでしょ。臭くなるから、帰ったら毎日洗濯カゴに入れなさいって言ってるでしょ。あと、靴下も。いつも裏返しに脱いで。今度やったら裏返しのまま畳むからね!」
「わかった・・・」
「ほら、ソファーの上に洗濯物畳んで置いてるから、自分の部屋に持っていって。お姉ちゃんの分もね」
衣類別に畳まれた洗濯物が、ソファーの上にあった。
「あんたね、インターハイの後、自転車屋さんにお礼言いに行ってないでしょ。お母さんが菓子折り持って挨拶に言っておいたからね。あんたも時間を見つけていきなさいよ」
「うん・・・」
当たり前のことのように思っていた。お母さんは、ご飯を作ってくれて、洗濯物を畳んでくれて、お世話になった人に、挨拶までしに行ってくれた。
冬希は、母親なしでは、まともに生活していけない。
だが、郷田は母を亡くした。
母親にご飯を作ってもらうことも、洗濯物を畳んでくれることも、靴下を裏に脱いでに怒られることも、もうない。
「お母さん、ありがとう」
冬希の母は、少し驚いたように顔を上げると、水道で手を洗い、エプロンで拭くと、冬希の肩を黙ってポンポン、と叩いた。
冬希の目から、涙がこぼれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます