第223話 お別れの儀
冬希が帰ったあと、訪問者もなくなったので、郷田と郷田の父は、自分たちも食事を取った。
途中、葬儀社の人たちが来て、帰りますと言って帰っていった。
葬祭場は、郷田と郷田の父、そして棺の中で眠っている母のみとなった。
郷田は、11時ぐらいまで式場の母の棺の前に座っていたが、父がやってきて、そろそろ寝ると言ったので、郷田も座敷に部屋に戻った。
通夜は、線香を絶やさないため、寝てはいけない、という習わしがあったようだが、現在の線香は、ぐるぐると螺旋状に吊り下がっている形式となり、放っておいても一晩ぐらいは持つということで、寝ても問題ないと葬儀社の人が言っていた。
二人は、布団を敷いて、そのまま横になった。
その頃、冬希は真理から、自分も葬儀に行くという連絡を受けた。
冬希は少し驚いた。確かに、真理と郷田は、真理がインターハイの応援に来た時に、言葉を交わしたことぐらいはあった。しかしそれだけだ。
理由を聞くと、春奈からの依頼だということだった。香典を立て替えておいてくれということらしい。
春奈は、ピンクのコルナゴを組み立てるとき、冬希ともども大変お世話になった。それでなくても、自分と同年代の知り合いの母親が亡くなったということに、何も感じずにはいられなかったのだろう。
冬希は、真理と待ち合わせをして告別式に向かうことにした。
朝6時、郷田はカーテンの間から差し込む光で目が覚めた。
隣の布団は畳まれており、すでに父の姿はない。
郷田も布団を畳むと、隣にある式場に向かった。
そこでは、父が棺の横に立ち、母を見つめていた。
郷田が近づくと、
「起きたか」
といった。
「おはよう。お母さんもおはよう」
まるで、自宅で台所に立って朝食を作っている母親に呼びかけるような、自然な声だった。
父は、祭壇を見上げると、その両側に置かれた供花に目をやった。
供花は4つで、家族一同、親族一同、そして郷田の会社の社長名義と、神崎高校理事長の名前のものもある。
「会社には、家族葬だから会葬は不要と伝えたんだが、花も不要だということは伝え忘れていた」
「いいじゃないか、神崎先生からも出してもらってるから、左右でちょうどバランスがいいよ」
「そうだな」
郷田の父は、式場の扉へと向かっていく。
「シャワーを浴びてくる。髭を剃って着替えなければな」
郷田も、制服に着替えるため、座敷の部屋へ戻っていった。
冬希と真理は、神崎高校の制服に身を包み、葬祭場に着いた。
前日にすでに中に入っている冬希は、前日のようにおどおどすることなく、会場に入ることができた。
二人で受付を済ませる。真理は、自分と春奈、2人分の名前と住所を書いている。
二人が階段を上がると、郷田に会った。
「きてくれてありがとう。父は今、お坊さんの相手をしている」
郷田は、二人に優しい表情を向けた。
「浅輪春奈さんの代理も兼ねて参りました」
「そうか、浅輪さんは元気にやっているかのか」
「はい」
実のところ、真理はドイツにいる春奈から、あまり詳しい状況などは聞いていなかった。ただ、ここでそれをいう必要はないということぐらいはわかっていた。
冬希と真理は、式場に入ってまだ空いている後ろの方の席に座った。
元々郷田が住んでいた福岡の方から、親戚たちが来ており、40名ほどの会葬者が集まっていた。
葬儀は、静かに進行していった。
冬希は、焼香の際、棺の中の郷田の母の顔を見て思った。亡くなっているということが信じられないほど、綺麗な顔をしていた。本当に亡くなっているのだろうか。生きているように見えるだけに、葬儀に妙な違和感を感じでいた。
しかし、それは郷田にしても同じだった。まだ蓋のされていない棺の中で横たわる母は、生きている時と遜色のない姿をしている。その母に対して、僧侶はお経を読んでいる。目を開けて、何やっているんですか?と起きてくるのではないかと、そんな気すらしていた。無論、そのようなことはなかったが。
最後に、郷田の父が挨拶をした。
堂々たる姿だ。言い淀むことなく、会葬者たちへの感謝の言葉を述べた。そしてお別れの儀。ついに最後の別れの時が来た。
参列者が、次々に棺に花を入れていく。
冬希と真理も、葬儀社の人から渡された真っ白な花を棺の足元に入れた。
小さく、綺麗な足元には、ひまわりのあしらわれたサンダルが収められていた。
郷田の父は、愛おしそうな表情で妻の頬を撫でた。
郷田は、日の丸があしらわれた全日本チャンピオンジャージを、母の胸元にかけた。
お別れの儀が終わり、棺に蓋がされようとした時、一気に郷田の胸に感情が湧き上がってきた。
母と一緒にいられる時間が終わろうとしている。母の死を知った時にも感じなかった、深い悲しみが我慢しようとする理性を飲み込んでいった。
人のいないところに行かなければ。泣くところを見せたくないと、式場を飛び出して待合室に出たが、そこにはすでに郷田の父がいた。
父は、壁に背を向け小さな声で
「雪絵・・・」
と呟いた。
もうダメだった。郷田は、崩れ落ちるように泣いた。涙はいくらでも出てきた。もう止めることは不可能だった。
真理は、郷田の父の泣いている姿、最愛の人を呼ぶ姿を見て、涙が出てきた。
冬希は、二人の姿を見て、郷田に負けないほど涙を流した。
蓋のされた寝棺は、ストレッチャーでエレベーターに乗せられ1階におり、そのまま霊柩車に乗せられた。
郷田の父が位牌を持ち、郷田が遺影を胸に抱える。郷田の叔母が収骨容器を持って、棺が霊柩車に収まる姿を見送った。
冬希は、涙が止まらなかった。
真理は、ずずっずずっと鼻を啜る冬希に、何枚か取り出したポケットティッシュを差し出すと
「ほらほら、顔を出して」
というと、頭を下げた冬希の鼻を噛んでやった。
じゅるじゅると大きな音をたて、大量の鼻水がティッシュに収まった。
「わっ」
真理はびっくりした。
そんな冬希と真理の二人を見て、郷田と郷田の父は笑った。
葬儀社の女性も笑い、真理も笑った。冬希も、照れ臭そうに笑った。
郷田の父は、霊柩車の助手席に乗り込み、郷田、叔母、そして親族たちは、マイクロバスで火葬場へ乗り込んだ。冬希と真理は、ここまでだ。
大きなクラクションが鳴り、残った人たちは、深々と頭を下げた。
冬希と真理も、霊柩車が走り去るまで、ずっと頭を下げていた。
二人は、帰途についた。
同じ中学校出身の二人は、帰る方向も同じだった、
神崎高校の制服を着た二人は、つくばエクスプレスから東武線に乗り継ぎ、昼の空いている車両に二人並んで座っていた。
「今日は、荒木さんがいてくれてよかった」
冬希は、中学時代の呼び方で言った。
冬希一人だったら、悲しみに押し潰されていたかもしれない。
「そっか、よかった」
真理は、優しく微笑んでいる。冬希は、救われた気がした。
船橋駅で京成線に乗り換えた後、真理は思い出したように冬希に聞いた。
「そういえば、同窓会どうするの?」
「同窓会?」
「えっと、中二の時のクラスのみんなで、8月の最終土曜日に集まろうって」
「呼ばれてない・・・」
「えっ」
真理が確認すると、確かに同窓会用のチャットグループに、冬希の名前はなかった。
発起人の中野という男子に、真理は冬希に声をかけておこうかと聞いたが、中野は
「俺から声をかけておく」
と言っていたので、誘われているものだと思っていた。
真理は、改めてチャットグループのメンバーを見た。女子は、全員いる。男子は、半数程度しかいないように見える。
男子のメンバーを見ていると、中野の意図が透けて見えてきた。中野が声をかけた男子は、みんな中野より偏差値の低い学校に進学した男子たちばかりだった。
中野も比較的偏差値の高い高校に進学していたが、神崎高校と比べると、学力という点では些か以上に見劣りする。冬希に参加されると都合が悪いのだろう。
卑劣なことをする、と真理は思った。元々この同級生のことがあまり好きではなかったが、もはや嫌悪感しかなかった。
部活の先輩の母親が亡くなったことで、涙が枯れるまで泣いて目を泣き腫らした隣の同級生と比べると、元クラスメイトでも、ここまで人間性に違いが出てきてしまうものかと思ってしまう。
「冬希くんは、参加しない?」
「うーん、誘われてもないのに行くのもね」
名門私立の神崎高校に進学した上に、自転車ロードレースでも活躍する冬希だ。同窓会に出席すれば、女子たちは放っておかないだろう。神崎高校の彼氏がいるというのは、千葉県ではかなりのステータスとなっている。
そういった女子たちが、冬希にちょっかいを出すという事を、真理は少し嫌だなと思った。
「じゃあ、私もいかない」
「いいの?久々に友達と会える機会なのに」
「いいよ。別に」
「そっか」
「でも、せっかくだから、二人でどこかに行く?」
「えっ」
真理は、悪戯っぽい表情で冬希の顔を覗き込んだ。
冬希は、驚いている。
まだ高い日差しが差し込む車内で、間も無く自宅最寄駅に到着するというアナウンスが流れていた。
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